第7話 初手
実地研修も三か月目に突入している。
呂級の三月と言えば、春の長距離走『内大臣賞』と世代戦の第一戦『上巳賞』が行われる。
また新竜戦もいよいよ大詰めとなり長距離戦が追加となる。
戸川厩舎では期待の新竜『サケカンゼオン』がいよいよ初出走となる。
世代戦に出走は無いが『サケタイセイ』が『内大臣賞』に参戦となっている。
『カンゼオン』の調教を終え厩舎に戻ろうとすると、後から聞き覚えのある声が岡部を呼び止めた。
「岡部先生。『カンゼオン』状態かなり良えみたいで。秋の『重陽賞』の目玉になりそうやね」
岡部はゆっくりと振り返り、声の主――日競の吉田を見て微笑んだ。
「まだ新竜戦も終えてないのに、もう『重陽賞』の話ですか?」
「記者やったら、先、先を見な。目先だけしか見へんかったら、良い記事なん書けしませんよ」
吉田は得意気な顔をし、人差し指を立ててそう言い放った。
「他の記者は目先のことしか見てないように見えますけど?」
「そやから他所の後追い記事しか書けへんくて売上落すんですよ。うちは紙は減っとりますけど、電子が順調に売上げ伸ばしとりますからね」
商売繫盛で何より。
岡部と吉田は顔を見合わせて大笑いした。
「で、何の情報が欲しいんです?」
「そやねえ。ほな、今年の新竜の情報ではどないでしょう?」
いつもより要求された代価が大きい、瞬時に岡部はそう感じ取った。
「事務室に報告してくるので、どこかで待っていてもらえますか?」
岡部はそう言うと、急いで厩舎に戻り仕事を済ませ吉田の元に戻った。
事務棟に行き会議室を借り、すみれに二人分の珈琲を淹れてもらうようにお願いした。
「えっと、今年の新竜の話でしたっけ?」
「その前に、ほんまにそれだけの価値があるもんかどうか判断いただけませんか?」
吉田の持ってきた情報、それは公安委員長の浅野の事であった。
浅野は与党労働党の議員だが、極左と言われる経治会に所属している。
経治会は保守的な人の多い瑞穂の民衆に毛嫌いされるような会派だが、選挙の際には党名で選挙をする為そこまで落選はしていない。
しかし、あまりに派手に活動する議員は地元も警戒しており普通に落選する。
浅野もこれまで何度も落選を経験している。
だが落選をしても次の選挙では簡単に議員に復帰している。
産業日報の山科記者はそれに疑問を覚え調査を開始した。
そこで見つけたのは、社共連系の会社からの定期的な献金の痕跡だった。
その会社を調査すると、どこも労働監督所から何度も是正勧告を受けている会社ばかり。
公正取引委員会から勧告を受けている会社すらあった。
過去には、共産党員の無免許運転や、活動時に犯した交通違反のもみ消しを指示した痕跡も見つかった。
裏の取れなかった噂として、いくつかの行方不明事件への関与も見つかっている。
「翼賛党の竹中たちに比べ、ずいぶん汚職の痕跡が残ってるんですね」
岡部は話がひと段落したところで珈琲を口にし感想を漏らした。
「竹中や木下も同じような事しとるんやろうけど、幕府日報はもみ消す力が弱いんでしょうね」
「組織のほころびってやつか……」
吉田はでしょうねと言って頷くと、珈琲を飲み口内を湿らせた。
「どうします? これも泳がせますか?」
岡部は静かに目を閉じ腕を組み、暫く無言で考え込んだ。
「あいつらは、まだ僕の事嗅ぎまわってるんですか?」
「聞くところによると、戸川先生の事も調べ始めたらしいですね」
「なら牽制しておきたいですね。できれば公安委員長を別の会派に変えておきたいです」
吉田はうんうんと頷きはした。
口には出さなかったが、およそ一般人の指示内容ではないと心の中で苦笑した。
「そしたら、来年春に行われる選挙の前に、議会で何かしらの汚職を追及させるんが良えと思います」
「公安委員長という清廉が求められる役職の違法献金の話はかなり打撃があるでしょうね」
何かしらの汚職と言っただけで、違法献金とすぐに言ってきた事に吉田は面食らった。
先ほどの説明では単に献金としか言っていないのに。
「わかりました。山科にその情報を流すよう指示しますわ」
「議会での追及が始まったら、経治会の歴代の公安委員長の汚職問題も掘り出して燃料をくべれれば、さらに効果的でしょうね」
いつの間にやら報道の使い方を覚えたらしい。
吉田は岡部の一言でそう感じた。
「つまり、経治会そのものを公安委員長から排除できるんが理想いう事ですね」
「記事ができたら僕にもまわしてもらえますか? うちの会長にも依頼しようと思いますから」
この人を本気で怒らせてはいけない。
吉田は顔こそ笑っていたが、背筋には冷たいものを感じていた。
数日後、吉田から記事が手渡された。
岡部はその記事を確認すると吉田にこれで流すように指示した。
さらにその記事を最上へ送付した。
木曜日、岡部は坂崎、花房を伴って『カンゼオン』の新竜戦を見に食堂に向かった。
「おう、岡部! こっちで一緒に見ようや」
目ざとく岡部が来たのを目にすると南条が呼び寄せた。
「南条先生は今日は出走無いんですか?」
「残念やけどな。そやけど今年は『上巳賞』には出せたぞ!」
『マツカサトップウ』という名の竜で、昨年十一月に新竜戦、今年一月に条件戦とここまで二戦二勝らしい。
ただどちらもやっと勝てたという感じらしく、最終予選に残れれば御の字という感じなのだとか。
「うちは、世代戦は長距離が一頭と中距離が一頭ですね。長距離の方が今日初陣で」
「今日出るいう事は、相当良え気配いう事やな」
南条は少し茶化すつもりで言ったらしい、だが岡部は不敵な笑みを浮かべた。
「能力
「おいおい、随分と吹くやないの! 戸川さんとこは最近景気の良え事で羨ましいわ」
南条は新聞を取り出すとどんな竜なのか、どんな記事を書かれているのか確認した。
大した情報は載っていなかったが、新聞も期待している事だけは察せられる。
「先生のとこの会派は、最近はどうなんですか?」
「うちとこの会派は自前で牧場持ってへんからね。呂級以降はなかなか難しいもんがあるわ」
購入会派はどこもそんな感じだと思うと南条は言った。
「潮騒会さんや山吹会さんなんかは、それでも良い竜買ってきてますよね?」
「財布の大きさがちゃうがな。うちは半導体の工場一個だけやで」
金の湧く泉を何個も抱えてる会派と比べないでくれと南条は若干不機嫌な顔をした。
「じゃあ次代の経営手腕に期待ですね」
「そう言えばさ、次代のて言うたらさ、僕、おもろい話聞いたんやけど?」
岡部は何となく何の話か察したが、どんな話かととぼけた。
「事務の本城に聞いたんやけどな、うちとこのすみれちゃん、最近連れ合いができたらしいよ」
「お相手は誰なんですか?」
「それがな、君もよう知っとる人物やで」
岡部がいまいち反応が薄いのをみて南条も何かを察した。
「もしかして二人くっつけたん君なん?」
「僕だけじゃないんです。同期の武田くんと二人ですね」
南条は武田って雷鳴会の武田先生の息子さんかとわざわざ確認を取った。
「それほんまなん? ほんまやとしたら万年最下位言われたうちの会派も、だいぶ運がまわってきたっちゅうもんやで」
「うちの会派の牧場が使えるとか?」
「それも相当魅力的なんやけども、雷鳴会とお近づきになれるいうんが大きいねん」
南条は興奮しているが、岡部はさすがにそれはどうだろうと苦笑いをした。
「いづれにしても、もしまとまったら、うちと赤根会さん、かなり濃密な付き合いになるのは間違いないでしょうね」
「是が非でもまとめるように会長に言うとかんと」
南条が鼻息荒く言うので岡部は笑い出した。
「周りが囃したら、まとまるものもこじれちゃいますよ」
「ううむ。すみれちゃん、口は達者やけど意外と奥手やからな。確かにそれはその通りやもしれん……しかし歯がゆい」
意外と野心家だと岡部が大笑いすると、南条は俺は伊級に行きたいんだと言い出した。
その為ならコネでも何でも利用すると。
大画面に『サケカンゼオン』の下見が映し出された。
「これか。期待してるいうんは。二人で引いてるけど、これで仕上がりなんぼくらいなん?」
「七割ってとこですね。春もう一回使って秋に備える予定です」
本格化はまだまだ先だからあまり無理させない方向と言うと南条が苦笑いした。
「これで七割かよ。これで。重賞の決勝みたいやぞ?」
「まあねえ。体は良いものがあるんですけどね。中身がまだ小僧そのものでして」
発走機が開いても『カンゼオン』は発走せず、少し遅れてゆっくりと発走した。
正面直線で後方にぽつんと位置取った『カンゼオン』は、真っ直ぐ走らず観客席の方に寄って来てしまった。
その時点で観客はどっと沸いた。
松下がどれだけ競技場中央に戻そうとしても観客の方を見続けて走っている。
一角を回るとやっと他の竜を気にし出して追走。
向正面ではやる気が無いのか何なのか、どんどん離されていく有様。
そうかと思えば、向正面の終りで松下の合図も待たず突如加速を開始。
曲線でグングンと前の竜に迫った。
四角で一団のすぐ後ろに位置取ると、何と真っ直ぐ観客席に突っ込んで行った。
外柵に突っ込む手前でくいっと曲がり、外柵沿いを全力で猛加速。
皇都の競竜場は重賞の決勝かのように盛大に湧いた。
『カンゼオン』は大外で終着したので着順がパッと見ではわからなかった。
大歓声と大爆笑の渦の中、掲示板に表示されたのは『カンゼオン』の一着だった。
食堂も爆笑の渦に包まれている。
また戸川先生が変な竜を育てたと他の厩舎の厩務員が笑いあっている。
南条も大爆笑している。
当事者である岡部はさすがに笑うわけにいかず、先が思いやられると言って渋い顔をしている。
「なんやあれ! 松下、あれやと生きた心地がせえへんかったやろうな」
「これは酷い。松下さんも可哀そうに……」
大画面に先ほどの競争の録画映像が流れ、食堂は再度大爆笑となった。
「そやけど、今日初週やぞ? ようあんなんで勝てたな」
「身体能力はあるんですよ。ただ内面がね……」
録画映像は再度最後の直線の場面となり、再度食堂が爆笑の渦に包まれた。
笑いすぎて腹が痛いと言っている人が続出している。
「長距離やと松下は『タイセイ』に乗るんやろ? あれ誰が乗るんやろうな」
南条の素朴な疑問に、岡部は南条の顔をじっと見て顔を引きつらせた。
「東国の喜入さんか、吉川先生のとこの石野さんか……」
「いやあ、喜入も石野も、今頃、背筋に冷たいもん感じてる思うで?」
「そこまでには何とか内面を……」
あれがどこまで成長できるんだろうなと、南条は気の毒そうな顔をして岡部を見続けた。
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