第6話 相談

 翌週、戸川厩舎に義悦がやってきた。


 表向きの要件としては『サイヒョウ』の今後の相談と引退竜についての相談だった。

『サイヒョウ』については、今後の結果がどうあれ、秋の『天狼賞』の後、来年の『金杯』で引退、繁殖入りという事に決まった。


「祖父に今日皇都に行くと言ったら引退竜についての相談も、ついでにして欲しいと言われまして」


「うちの引退竜に何ぞあったやろか?」


「『ホウシン』の事です。先生から見て『ホウシン』の繁殖入りをどう考えるか聞いてきて欲しいと」



 『ホウシン』の母である『ショウエン』は戸川が呂級に昇格した際に用意されていた竜の一頭である。

当時紅花会には呂級の調教師は三浦しかおらず、呂級の生産規模が非常に小さくなっていた。

三浦も常に降格すれすれで、しがみついているのがやっとという状況。

戸川が昇格してきて多少はマシになったとはいえ、かまど竜も少なく未勝利引退する竜も多かった。


 経営が氏家に移り肌竜(=繁殖入りした牝竜)の質の向上が方針として掲げられると、少なくない数の肌竜が処分された。

氏家は繁殖成績と血統を加味し、期待できないと判断した肌竜を次々と売却していった。

逆に競走成績がイマイチでも血統が良ければ繁殖に入れていった。


 その方針の中『ホウシン』の血統も多くが売却された。

ところがここにきて、処分した『ホウシン』の牝系から『カンゼオン』という竜が出た。

『カンゼオン』はまだ未出走ながら、長距離での活躍がかなり期待されている。

既に『カンゼオン』の牝系は牧場には一頭もおらず、『ホウシン』を繁殖入りさせてみてはどうかという話になったらしい。



「氏家場長の話だと『ホウシン』は『タケノショウゲキ』という稲妻牧場が独占している『ソルシエ系』の血統なので、産駒には期待できるかもしれないということらしいんですよ」


 義悦の説明を聞き、戸川は腕を組んで唸った。


「思い入れはあるけども、正直これといって良え所の無い竜やで。余程良え種を付けんと」


「初年度は『セキラン』を考えてるそうですよ」


 『セキラン』の名が出ると、戸川は一層表情を渋らせた。


「『セキラン』の価値上げよう思うんやったら、質の高い肌竜を揃えるんが筋やと思うんやけど……」


 そこまで聞いた岡部が、そういう事かと手を一叩きした。

これで良い竜が出るようなら、稲妻牧場からの種付け依頼が見込めるという事ではないかと二人に説明した。


「そういう事か! 稲妻の系統に合ういうんを証明できる事になるんか」


 義悦はそこまでは聞いていなかったようで、そういう事なのかと驚いた。


「僕にしてみたら、思い入れのある血統が残るいうんは勿怪もっけの幸いなんやけど、綱一郎君はどう思う?」


 戸川に問われ、岡部は成功するかどうかは別問題として異論は無いと返答した。

可能性があるのなら試してみる価値はあると岡部が言うと、義悦はそうですよねと顔を明るくした。



 義悦は帰り際に、個人的に相談があると言って岡部を厩舎から連れ出した。

岡部はさすがに研修中であり、事務棟に行ってくるとしっかり戸川に許可を取って厩舎を後にした。


 事務棟ですみれに珈琲を二杯お願いすると、岡部は事務棟の会議室を借りた。


「どうしたんです? 折り入って相談なんて。竜運船の話ですか?」


「何となく戸川先生に相談する前に岡部先生の意見が聞いておきたくて」


 そこにすみれが珈琲を入れて持ってきてくれた。

すみれは珈琲を置くと、岡部先生に珈琲入れるの久々ですねと微笑んだ。

岡部も、なるべく早くここに来れるように精進しますねと言って笑った。

すみれが部屋を出ると義悦はどこまで話したっけと言って話を続けた。


「そうだった。先生は『タイセイ』をどう見ますか? その……どれくらいやれるかとか」


「向こう三年くらいは、あれに追いつく竜は出ないと思いますけど」


「三年か……早急に引退させたいって言ったらどう思います?」


 義悦が何を言いたいのか、何を言い渋っているのか岡部は黙って考えた。

そもそも『タイセイ』は最上会長の竜であり義悦の竜ではない。

それを義悦が言ってきたのはどういう事か?

急な話であれば一番の可能性は種牡竜だろう。

だが、まだ長距離で大金の稼げる見込みの高い竜を早急にというのは……


「誰からの要求なんですか?」


 『誰から』という事を聞いてきた岡部の推察力に義悦はかなり度肝を抜かれた。

氏家以外の誰かから種牡竜にしたらどうかと言われた事を察したという事である。


「……双竜会からです」


「という事は『ニヒキカンショ』の血ですか」


 双竜会と言っただけでそれを察する。

その何でもお見通しと言った感じに義悦は少し畏怖すら覚えている。


「その事を知っているんなら話は早い。先日私の所に双竜会の場長が来て、種竜にって言ってきたんですけどどう思います?」


繋養けいよう先(=飼育場所)や所有権はどこになるんですか?」


「さすがにそこはどっちもうちですよ。向こうが何言ってきてもそこを譲る気はないです」


 共同所有と言ってきても氏家さんは拒むと思うと義悦は声を荒げた。


「僕は王者でいる間は現役を続けるべきだと思います。その方が種竜になった時の評価が高いでしょうし。もちろん先生の意向にもよりますけど」


 義悦は岡部の説明に納得すると、そう祖父に報告しておくと言った。



 ちょうど話がひと段落したところで扉を叩く音がした。


 岡部がどうぞと言うと、武田が申し訳なさそうに入ってきた。

義悦に武田を紹介すると、あの雷鳴会の会長のお孫さんなんだとかなり驚いた顔をした。


「こっちはうちの若頭ね」


「ちょっと岡部先生! 冗談でもそういう事言うと本気にする人が出ちゃうかもしれないでしょ!」


 義悦が本気で怒ると、会派の一門なんてじゃないよと武田は笑い出した。

武田はすみれから貰ってきた珈琲を飲むと、岡部にちょっと相談があると切り出した。

じゃあ私はこれでと義悦が席を立とうとすると、武田は、ちょうど良かったから一緒に聞いてほしいとお願いした。


 武田の相談事というのは新婚旅行の事だった。

武田の妻となった華那は北国の稲妻牧場でも千歳の本場ではなく、室蘭空港から海岸線を北東に行った白老というところにある分場の出身である。

現在懐妊中の華那は出産が終わるまで新婚旅行には行きたくないと駄々をこねている。

華那の希望としては、出産後牧場近くの実家に乳児を預け、北国に一泊二日程度で車で旅行したいのだとか。

その華那がどうしても新婚旅行で行きたい先が実は紅花会の牧場らしい。


「敵情視察がしたいの?」


 岡部がそう尋ねると、武田は鼻の頭を掻いて少し言いづらそうにした。


「……それがな、その……華那ちゃん『サケセキラン』が大好きやねん。どうしても『セキラン』を見に行きたいんやって」


「稲妻牧場にも人気の竜はたくさんいるのに『セキラン』なんだ……」


「そうやねん……こんなん、おとんには絶対聞かされへん。会長はおろか叔父さんの耳にでも入ったら何を言われる事やら。しかも最近は『サイヒョウ』が可愛い言うてんねん」


 岡部が義悦を指差し、この方『セキラン』と『サイヒョウ』の竜主さんだよと言うと、武田は、華那ちゃんが聞いたら羨ましがるだろうなと笑った。


「『サイヒョウ』って女性人気高いらしいよね。やっぱ白毛だからかな」


「僕にはようわからへんねん。そやけどぬいぐるみ貰えるからって、わざわざ紅花会の宿、何カ所か一緒に泊まりに行かされたんやで」


 子供産まれたら『サイヒョウ』のぬいぐるみ貰いに宿泊しにいかないとと言ってると武田は呆れ口調で言った。


「で、僕に相談って、その惚気のろけを聞いて欲しいって事?」


「すまんすまん。相談いうんはな、見学の話やねん。『セキラン』のあの騒ぎから、紅花会さん一般の観覧受け付けてくれてへんのよ」


 岡部が義悦の顔を見ると、義悦は、確かにあの時のままだねと言った。


「岡部先生が予約取ってあげれば、普通に観覧できると思うけどね。何なら私が取ってあげても良いよ」


「ホンマですか! 紅花会の若頭がそう言うてくれるんやったら安心やわ」


「誰が若頭だ! もう! 岡部先生が変な事言うから」


 岡部は爆笑しながら、僕は別に変な事は言ってないと居直った。


「だいたいさ、岡部先生が祖母と母に変な事言ったせいで家にも帰り辛くなったんだよ」


 義悦が責めるように言うと、岡部は視線を反らし明後日の方向を見た。


「岡部くん、何を言うたん?」


 武田の質問に義悦はかなり言い淀んで口を歪めた。


「……私が奥さんを貰った後の話」


「そら次期会長なんやから、会の事考えて早よ嫁さん貰て跡継ぎつくってもらわな。会の下の者からしたらそう願うんは普通ちゃうん?」


 義悦は武田から正論で指摘され反論の言葉を失った。


「……頭ではわかるんだけどさ。横から言われると苛っとするものじゃない」


「わかるわかる。僕も一門の端くれやもん。ほな、若頭はどんな娘が好みなん?」


 武田の発言に義悦はすぐに机を叩いて抗議した。


「若頭はやめてよ! 最上で良いじゃない!」


 義悦が本気で嫌がるので、岡部と武田は大笑いした。


「そしたら最上さんはどんな娘が好みなん? 可愛い子いうの以外で頼むな」


 義悦は腕を組み、本気で考え始めた。


「話してて面白い娘かな。しっかり者の娘が良い。結婚まで考えるんなら会派の事に理解のある娘。あとはやっぱり……」


 そう言うと、最上は自分の両胸に手で山を作った。

岡部と武田はそれを見てゲラゲラ笑った。


「最上さんは乳派なんか! 僕はケツ派や! 岡部くんは?」


「昔から鎖骨の形が気になる」


 ごく普通の会話のように岡部は真顔で自分の性癖を答えた。


「渋い! それは渋いで、岡部くん!」


 武田は義悦と顔を見合わせゲラゲラ笑った。


 岡部は珈琲を飲んでいて、ふと一人の女性が頭に浮かんだ。

話してて面白い、しっかり者、会派に理解がある、そして胸がでかい。

義悦の提示した条件を一つ一つその女性に当てはめていった。


 そこまで聞くと武田も岡部の言わんとする事が理解できたらしい。


「岡部くん。僕もその条件に当てはまる独身の娘に覚えがあるんやけど。最上さんは歳はなんぼなん?」


「岡部先生と同じ二六歳」


 ふむふむと武田頷く。


「年上の娘でも良えの?」


「極端な年上じゃなければ」


 武田と岡部は互いに顔を見合わせ、にやりと笑った。


「そしたら僕、ちと珈琲のおかわりもろうてくるわ」


 そう言うと武田は会議室を出て行ってしまった。



 暫く待つと、顔を真っ赤にしたすみれが珈琲を二杯持って武田と共に会議室に入ってきた。

岡部はすみれを義悦に紹介しようとしたのだが武田に無言で制された。


「そしたらうちら仕事に戻るんで、後は二人でしっかりな」

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