第三章 汚職 ~仁級調教師編~

第1話 忘年会

「仁級の対処をする間、最上家の方々とは少し距離を置こうと思っています」


 『皇都大賞典』の口取り式が終わり、最上と別れる間際に岡部はそう告げた。

何故そんな寂しい事を言うんだと最上は不満顔をする。


「久留米の魔物を釣り上げるには餌は少ない方が良いと思いますので。色々話を伺うに、獲物は釣り人の姿が見えてると食いつかないように思えますから」


「君も今の所は及川が元凶と考えているという事か」


「あの研修の竜を見るに、元凶か、それに類する人物であると考えています」


 ここまでで得られた情報は極めて少ない。

だが『サケエイリ』の件だけでも十分判断はできると思っている。

それと戸川が及川の事をはっきりと『ろくでもない奴』と評した。

その二点で、ある程度の人物像は見えてきている。


「あれは外面が良い奴だからな。確かに我々の臭いがしたら手を出してこなくなるかもしれん」


「年末の豊川で僕と最上家の面々が距離を取れば、何かあったと推察するでしょう。それである程度警戒を解くのではないかと」


 最上は小さくため息をついた。

最上が自分で頼んだ事とはいえ、貴重な才能を悪食の魚を釣る餌にしなければならないとは。


「もしそれで何も起こらないようであれば、僕は疑似餌としては不出来だったという事になるでしょうね」


「わかった。いろはや義悦たちにも、豊川までには言い含めておく」


 岡部は露骨にがっかりする最上に、向こうの出方次第ではすぐに終わりますからと慰めた。

それでも最上は哀しそうな目で微笑んで岡部を見ていた。



 岡部はこの話を戸川には前もってしていた。

岡部から相談を受けた戸川は、御殿場の蒸留酒の水割りをちびちびと呑みながら無言で唸った。

戸川は紅花会の筆頭調教師であり、もちろん及川調教師とは面識がある。

戸川も及川が外面だけのろくでもない人物である事は十分承知している。

だからといって、それだけで久留米における紅花会の成績がそこまで悪くなるものなのだろうか。

何か他に要因があるのではないかと思っているらしい。

いづれにしても、及川が害してくるような事があるのなら容赦なくやってしまえと囃し立てた。




 数日後、豊川の大宿での忘年会に、戸川、岡部、櫛橋の三名が出席した。

今年は宿の受付に義悦はおらず、代わりに競竜会のいろはの娘京香が立っていた。

京香は岡部を見て一言、後ほどとだけ言うと淡々と会場の案内を行った。

それを見た戸川は、どうやら会長の指示はちゃんと浸透したみたいだと岡部の顔を見て苦笑いした。


「さっきの窓口の人、私を冷たい目で見てたんやけど、私、何かやらかしたんやろか?」


 会場に入ると櫛橋が眉をひそめて戸川に言った。


「あれ、いろはさんの娘の京香さんや。聞くところによるとあの娘、綱一郎君を狙うとるらしいからな。櫛橋はいつも一緒におるから嫉妬されたんと違うか?」


 そうなんですかと驚く岡部の顔を、戸川と櫛橋がじっと見つめた。


「そうなんや。それやったら言うてくれたら熨斗のし付けて贈呈するんやけどねえ」


「それはそれであの娘怒るんちゃう?」


「わかるわあ。あの娘、気位高そうやもんね。めんどくさいわあ」


 ぶすっとした顔の岡部を横目に、戸川と櫛橋は笑い合っている。



 暫くすると受付を終えた三浦が会場に入ってきて、岡部たちの元に近寄ってきた。

今年の随員も昨年同様、高城助手である。


「戸川、改めて『大賞典』おめでとう! うちのは決勝でなんとかなる仔ではないな。あれは」


 三浦の『サケカンプウ』も最後それなりの良い脚で上がっては来たものの、『タイセイ』たちから離れた集団で七着であった。


「見た感じ少し足らんいう感じですね。次はどこで重賞出れそうなんです?」


「来月だ。『クラマ』っていう仔が恐らく決勝まで残れると思う」


 岡部があの時の『ケンコウ』の仔だと言うと、戸川はあああの仔かと頷いた。


「そしたら、また対決かもしれませんね」


「ほう! 短距離で良いのがおるのか」


 戸川はニヤリと笑うと、得意気な顔で三浦を見た。


「『サイヒョウ』がもしかしたら」


「おお! あの『硝子の雪姫』って言われてる仔か。やっと重賞やれるようになったのか」


 『サケサイヒョウ』は中々脚元の矯正が進まず、走る都度腰に熱を持ってしまい、まだ『新竜賞』以降、重賞に挑戦できていない。

だが、これまで出走した能力戦はどれも圧巻の強さであり、無冠の女王として毎回大きな記事になっている。


「何でうちの仔はそうやってすぐに愛称を付けられるんやろう」


「それだけクセの強い仔が多いんだろ。『セキフウ』も四連続四着で一部で人気になってるらしいしなあ」


 『セキフウ』は春の皇后杯が四着だった事から、『惜敗女王』という変な呼ばれ方をしている。

そのせいで複勝の対象にならないにも関わらず、異常に複勝竜券だけ売れるという変な現象が起きているのだとか。


「しかし、重賞二勝、二着一回で最終六位は厳しいな。二年連続だもんな」


「『タイセイ』『セキフウ』以外ボロボロでしたからね。一頭、二頭が気張ってもあかんいう事でしょうね」


 呂級の重賞は全部で十二。

それ以外に止級の重賞が四つ。

昇格は五位までなので、基本的には呂級の重賞を三つ取れば昇格できる計算になる。

もし首位の厩舎が三つ以上取れば、重賞二勝は昇格圏である。

ところが、今年首位で昇格した織田盛信調教師も勝った重賞は『クレナイアスカ』の『内大臣賞』と『クレナイサクラ』の『天狼賞』のみ。

戸川を含め六人の調教師が仲良く十二の重賞を二個づつ分け合う事になった。


 結局、『サケサイヒョウ』以外では能力戦をろくに勝てなかった戸川が六位で足切りされてしまったのだった。


「にしても二年連続で数万円差だぞ。もうちょっと何とかならんかったのか」


「伏見さんへの賽銭が足らへんかったんですかねえ」


 お茶らけていう戸川に、三浦はやれやれという仕草をした。




 歓談していると戸川が挨拶のために呼ばれて行った。

会長の話の後、戸川が話をし乾杯した。


「今日は最上一家に挨拶はせんで良いのか?」


 乾杯が終わるとすぐに三浦が岡部にそう尋ねた。


「ちょっと事情がありまして。事前にお断りさせていただきました」


「また何かあるのか……全く会長も人使いが荒いなあ」


 最上は定期的に戸川厩舎に来ているのだが、それと同じように三浦厩舎にも行っている。

どうやらそこで三浦にも色々と話をしているらしい。


「会長は酷く寂しがっていましたが、八級に上がるまで我慢してくれと」


 それだけで三浦も何となく何かを察したらしく、小さく吐息を漏らした。


「先日俺に相談してきたよ。本当は君に相談したかったんだろうがな」


「何かあったんですか?」


「君が落ちた時のために用意した騎手候補が空いてしまったようでな。誰か調教師候補に心当たりはないかだそうだ」


 恐らく、岡部に戸川厩舎から誰か推薦を貰おうとしていたのだろう。

戸川に聞けば良いだろうが、戸川は岡部を手放しているから、できればこれ以上手駒を手放したくないと渋るだろうと考えたのであろう。


「先生の厩舎に誰かいないんですか?」


「うちより戸川の方に適任の人材がいるだろと言ってやった」


 そう言うと三浦は櫛橋をちらりと見た。

櫛橋もここまでの会話は全て聞こえており、三浦の言う『適任の人材』が自分だろうと言う事をすぐに察した。


「私は嫌や言うてますから。土肥行くより嫁に行きたいもん」


 櫛橋がそう言うと三浦は、まだ二年あるから先に嫁に行ったら良いと笑い出した。


「会派としては、できれば女性の調教師も抱えておきたいだろうからな。女性厩務員の駆け込み寺のような場所が欲しいだろうし」


 現在、紅花会には女性の調教師がいない。

そのせいで能ある女性厩務員が白桃会や桜嵐会に引き抜かれたりしている。

これは実は紅花会に限った話ではなく、多くの会派が抱えている悩みだったりしている。


「私、そういうんが嫌で白桃会から逃げ出してきたんですけど?」


「それはつまるところ、そういう娘の気持ちが一番わかっているってことだろう?」


 三浦の言葉に櫛橋は言葉に詰まってしまった。


「もしお前が調教師になると言ったら会派は全力で応援するよ。岡部に対するよりも全力でな」


「そんなん、ほんまにやるんやったら自分の力でやりたいですよ」


 櫛橋の発言に三浦はがっかりした顔をした。

戸川はどんな教育をしているんだかと呟いて岡部の顔を見た。

岡部も三浦が何を言いたいかわかるだけに苦笑いである。


「いいか、櫛橋。皆、周りに助けられてやってるんだよ。自分の力でなんてありえないんだよ。戸川はそういう事を口にはしないかもしれないが、お前だってこれまでで十分それを学んだだろう」


「時間を貰えないと。そないいきなり言われても困りますよ」


「まあ、じっくり考えたら良い。これはお前にしかできない事なんだから」


 櫛橋は、もじもじしながら岡部の顔をチラチラと見ている。

岡部もそれに気が付いてはいたが微笑みを返すだけに留めた。



 三浦たちとそんな話題で歓談していると京香がやってきた。

京香は櫛橋を一瞥すると、ここでは何だから場所を変えたいと言ってきた。

櫛橋は露骨に面倒そうな顔をして、どうぞと言って手の平を上にし京香に向けた。


 岡部と京香は壁際に二人で向かって行った。


「どうして私が来たと思う?」


 京香は岡部の顔を覗き込むように見てクスリと笑った。


「最上家の代表でしょうか?」


「代表っていうか伝令かな。母さんから伝言。餌付けないと針だけじゃ魚は釣れないんじゃないのって」


 岡部は京香の得意気な顔を見て呆れた顔をした。


「あまりお薦めはしませんけど」


「私は仕事上そういうの気にしないから。いちいち気にしてたら客商売なんて務まらないもん」


 岡部が京香を見ると、京香は無垢な笑顔を岡部に向けた。


「で、私は何をすれば良いのかな?」


「普通にしていただければ。というより、まだ開業もしてませんから今の時点では何も」


 期待外れ、そんな感情を京香は露骨に顔に出した。


「なんだ、つまんないなあ。岡部先生のお手伝いできるって聞いて楽しみにしてたのに」


「今の時点ではまだ、ですよ? そもそも京香さんって普段競竜会で何をされてるんですか?」


 少し拗ねたような態度をしていた京香だったが、岡部が自分の事に興味を持ってくれたと思い、表情をパッと明るくした。


「主に仁級のお客様の対応よ。八級も少し」


「と言う事は、いろはさんが八級と呂級なのか……」


「誰かが伊級に行ったら伊級も母さんがやると思うよ? そうなったら私の八級の担当が多くなるんじゃないかな。もしくは八級も全部私になるか」


 岡部は顎に手を当て、少しの間考え込んだ。

その横顔を京香が嬉しそうな顔で見ている。


「じゃあ、そしたら久留米の状況を知ってる限りで教えて欲しいです」


「ただで?」


 京香はそう言うと岡部の顔を上目遣いで見た。


「お手伝いしてくれるんでしょ?」


「しょうがないなあ」


 京香は嬉しそうな顔で岡部を見た。



 京香の知っている内容はかなり大雑把なもので、新規開業の調教師がたった数年で辞めてしまったというものだった。

辞めていない調教師の中では、杉調教師、坂調教師なんかが比較的開業が若いのだが、どちらも成績が不振でどれだけ続くかという状況なのだとか。

古参の及川調教師、中山調教師、田村調教師が顔役として他の調教師を押さえつけている。

辞める調教師に事情を聞いたのだが、もう疲れたと言うだけで詳しい事情はわからなかったらしい。



「私でわかるのは、竜がよく所属替えしてるって事くらいかなあ」


「良い竜を及川調教師たちが奪っているという事ですか?」


「それも良くわからないのよね。詳しく聞こうとしてもお嬢ちゃんには関係の無い事って馬鹿にして」


 その言葉に岡部は非常に不愉快なものを感じた。

思っていた以上のろくでなしだと感じる。


「でも、外面が良いって聞きましたけど?」


「爺ちゃんや母さんたちにはね。私みたいな若輩はそうやって馬鹿にしてくるのよ」


 上にはへつらい下は虐げる、典型的な小物、奸物という事なのだろう。

だが何でそんな奴に他の調教師は従っているのだろうか?


「だけど、そんな事言ったって竜の配属先は京香さんが決めれるんでしょ? 竜主なんだから」


「竜の一覧を持っていくと及川調教師に奪われるのよ。後はこっちでやっておくから、お嬢ちゃんは太宰府観光でもしてお帰りって言われて」


 話を聞いているだけで岡部は胸の奥がむかむかしてきている。

思った以上のクズ。

岡部はある程度、及川という人の人物像を固めた。


「他の競竜場ではそんな事は無いんですか?」


「うん。久留米だけ」


 岡部は口元を歪めると不敵に笑った。


「何だか僕、開業が楽しみになりましたよ」


「会派とのやりとりなら、私にしてくれて良いからね」




 京香と話をしていると、開業の挨拶をしてくれと義悦が寄ってきた。

義悦は極力岡部と顔を合わせないように背を向けて会話をしている。


「会長から聞いてる。仕方ない事とはいえ、ほんと心細いですよ」


「どうしてもの時は、宿に呼び出してくれたら良いですよ。そこまでは相手も監視しないでしょうから」


「やれるとこまではやってみます。自力でできるところを越えたらお願いしますよ。私も極力そちらの足を引っ張りたくないからね」


 岡部は促されるままに壇上に上がると開業の挨拶をした。




 壇上から降りると真っ直ぐ能島の元へ向かった。


「お久しぶりです、能島さん」


「おお! 君から挨拶に来てくれるとはね」


 能島は嬉しそうな顔で岡部の肩をポンポンと叩いた。


「そりゃあ、能島さんは僕が知ってる数少ない先輩調教師ですからね」


「うわっ、研修って、そういう社交辞令を教えるようになったんだ」


「それは、あんまりですよ」


 二人のやりとりに周囲の調教師がどっと笑い出した。

酷いと思いませんかと岡部が尋ねると、さらに笑い出した。


「能島さんって配属どこでしたっけ?」


「俺は愛子あやしだよ。この人達はみんな愛子の先輩調教師だよ」


 岡部は能島が紹介してくれた三人の調教師に挨拶をした。


「愛子だと同期では白詰会の大須賀くんが開業予定になってますね」


「君たち同期は、かなり仲が良いって聞いたな。俺の時はそうじゃなかったから羨ましいよ」


 研修で能島たちの期の雰囲気を聞いてしまっているだけに岡部の胸中は複雑であった。

話題を変えて本題に入ろう、そう岡部は感じた。


「能島さんは、今年、成績はどうでした?」


「そこそこだよ。でも先輩たちのおかげで徐々に上向いてはいる。愛子では皆助け合ってやってるからね」


 能島の言葉に三人の調教師もうんうんと頷いている。


「情報交換なんかもしてるんですか?」


「相談にのってもらったりね。岡部君、確か久留米だったよね」


 久留米と聞くと、三人の調教師の表情が曇った。

何かあったらうちらでも良いから電話で相談してきなよと言ってくれた。


 これが他所の日常だとして、久留米は一体どんな状況なのか。

岡部は自分の勤務地に思いを馳せた。

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