第61話 皇都大賞典

 翌週、皇都大賞典の決勝の竜柱が発表になった。


 紅花会からは三頭が出走。

『サケタイセイ』は五枠十番、予想人気は二番人気。

『サケセキフウ』は三枠六番で、六番人気。

三浦の『サケカンプウ』は六枠十一番、予想人気は八番人気。

人気どころでは、一番人気が八枠十六番の『クレナイアスカ』。

三番人気が八枠十七番の『ジョウレッカ』。

四番人気が三枠五番の『イナホデンゲキオー』。

五番人気が二枠三番の『マンジュシャゲ』となっている。




 翌日夕方、岡部は戸川に呼び出され、皇都の大宿に向かい激励会に参加した。

岡部以外には、戸川厩舎の面々と三浦厩舎から三浦と筆頭厩務員の正木まさきが参加。

三浦は岡部を見ると真っ直ぐに寄ってきた。


「岡部。研修が終わったって事は来年からは後輩だな」


「『大先輩』の三浦先生。何かあったら相談に伺いますね」


 『大先輩』と呼ばれたのが相当嬉しかったようで、三浦は満面の笑みで岡部の背を叩く。


「もし戸川に相談できない事があるようなら俺に言ってきたら良いよ。お前でもどうにもならないような事で、俺に何ができるのかは知らんけどな」


「そうですねえ、じゃあ差し当たって、僕が呂級に上がるまではちゃんと現役でいて欲しいですね。大切な相談相手として」


 岡部の笑顔から放たれた鋭い毒舌に、三浦は笑顔を引きつらせた。


「……そう思うなら、さっさと上がってこい!」


 三浦が不貞腐れた顔で言うと正木が大笑いした。



「先生のとこは、今年は『カンプウ』以外はどうでした?」


「春には間に合わなかったんだけどな、短距離で良いのが出たよ。『ケンコウ』の仔で『クラマ』という牡なんだがな」


 最初は少し勝ち味が遅い仔だったのだが、今年の夏の放牧から本格化し条件戦を一気に勝ち上がった。

来年からは重賞戦線だと三浦は嬉しそうに言う。


「ああ、あの時の『ケンコウ』の仔ですか」


「何だ、知っておるのか?」


「どれが良いと聞かれ、僕は『タイセイ』を選んだんですが、戸川先生は『ケンコウ』の仔も良いと」


 初めて北国牧場に行った時の見立ての話である。

あの時、ぱっと見で『タイセイ』を良い竜だと思ったが、まさかここまでやるとは。


「どうしてお前は『タイセイ』だったんだ?」


「『タイセイ』の方が体が柔らかそうだったんですよね。だから扱いやすそうだなって」


「確かに言われてみればちょっと走りが硬いのは感じるな。まあ短距離以外使う気は無いから構わないんだが」


 三浦は真剣な顔をして、もしかしてその体の硬さが春の惜しい競争の原因だったのかもと、ぶつぶつ言いながら悩んでいる。



「新竜はどうだったんです?」


「そっちも一頭良さそうなのがいるぞ。仕上がりが異常に遅いから初戦は年明けだがな」


 『サケアタゴ』という名の芦毛の牝竜なのだそうだ。

父は異なるが『セキフウ』のすぐ下の妹にあたる。

姉同様、明らかに距離が伸びてから良くなる感じらしい。


「かなり牧場の生産の質が上がってきたみたいですね」


「ならば八級の奴らも、もう少し気概を持ってもらいたいんだがな。最後に戸川が上がって来てから、一体何年経つと思っているのやら」


「何かあるのかもしれませんね。八級の竜に」



 宴会が始まると、参加者はそれぞれ明後日の競走についての私見を語り合った。

その中で戸川が危険視しているのが『イナホデンゲキオー』だった。


 『イナホデンゲキオー』は昨年の『重陽賞』で『セキフウ』が四着だった時の勝ち竜である。

ところがその後、『大賞典』は最終予選敗退、春の『内大臣賞』に至っては予選で敗退。

そのせいで『重陽賞』の勝利はだったのではないか、もう終わった竜なのではないかという見方が蔓延し始めている。


 それについては、岡部も戸川も見解は一致しており、直線一気を狙った末脚特化の戦術が上手くはまらないのだろうとみている。

秋になってそれがまたはまり出したのか、予選、最終予選と一位通過している。

『タイセイ』が王者『クレナイアスカ』に勝つとすれば逃げ切りであり、最も怖いのはこういう竜に出し抜かれる事である。


 今回、絶対王者の『クレナイアスカ』には史上初の同距離重賞六連勝という記録がかかっている。

これまで五連勝した竜は過去に何頭かいる。

だが、その全てが六戦目で敗北している。


 『クレナイアスカ』が東国の竜である事から、今回『サケセキラン』の時同様、またもや報道が東西対決だと火を付けている。

そのせいで皇都に報道陣が押し掛ける事になり、戸川厩舎も対応に苦慮した。

『セキラン』の時と異なり岡部がおらず、戸川の仕事は、長井、池田、櫛橋、牧で何とかこなした次第である。




 競走当日の夕方五時、岡部は背広を着こみ皇都競竜場の来賓入口で最上と待ち合わせをした。

最上は皇都の大宿から送迎車で到着。

二人は守衛から入場証を受け取ると中に入っていった。


 最上階に昇ると一面の濃い緑の絨毯張りの部屋に通された。

最上が一番の奥の窓から競技場を一望できると案内すると、岡部は真っ直ぐ窓へと向かった。

窓は斜めに貼られ出窓のようになっており、眼下に新緑の絨毯のように競技場が広がっているのが見える。


「どうだい眺めは? 下からみる景色とは随分と違うだろう?」


「関係者観覧席から見る景色なんかとは全然違いますね!」


 最上は左手にある小さく外に突き出た区画を指差した。


「あそこに突き出ているのは天覧の時なんかに手を振ってる場所なんだよ」


「へえ。僕はまだ、そういうの見た事ないですね」


 ふと横を見ると、競竜会のいろはがお客様を案内しているのが見えた。

岡部に気が付いたらしく、いろはは笑顔で小さく手を振ってくれたが、仕事中だろうという事で会釈だけに留めた。



 最上に来賓席を案内されていると、随分と珍しい人が来ているじゃないかと岡部を呼ぶ声がした。

声の主である竜主会会長の武田善信に挨拶すると、隣にいる人物を紹介された。


 年齢は善信会長と同じくらい。

背は善信より少し低く、年齢のわりにどこかやんちゃな印象を受ける。

よく見ると、どことなく顔に見覚えがある気がする。


「君が噂の岡部先生なんや。学校では孫の信英が随分お世話になったそうやね」


 武田善信は岡部に、雷鳴会の会長で親戚の武田たけだ信勝のぶかつだと紹介した。


「僕の方こそ、武田くんにはお世話になりました」


 そうか君がと言って、信勝会長は岡部を見て頷いている。


「あれに何遍も調教師試験を受けい言うてたんやけどな、なんやかやと渋っとってな。そしたら、去年、急に向こうから試験受けたい言うてきて。君と同期になれるかもしれんって」


「実はその話、以前武田先生からも伺ったんですけど、そんなに嫌がってたんですか?」


「そらもう! 若輩で厩務員に馬鹿にされるんは絶対嫌や言うて。調教師の肩書でそないな事にはならへんって、あれの親父と何遍も説得したんやけどな」


 善信会長もかなり相談を受けていたようで、あの子は小さい頃からこれと決めたら頑固だったからと困り顔をする。

信勝会長は、そういうのは頑固じゃなく、芯が強いというんだと笑い出した。


「私もそんな孫が急に態度を変えるようになった岡部いう子が気になっとってな。この善信に聞いたら、よう色々教えてくれたよ」


「……幕府でやんちゃした話とかですか?」


 それを聞くと信勝会長は善信会長と二人で大笑いした。


「それも聞いたよ。なんや聞いててスカッとしたわ。若いもんは元気やないとあかんわな!」


 厩務員ならそれでも良いかもしれないが、調教師としてはそれじゃあ困ると善信会長が渋い顔をする。

そんな善信を信勝は、お前だってこれくらいの頃はやんちゃそのものだっただろうと言って笑い飛ばした。


「同期は一生もんやって聞くからな。孫をよろしう頼むな」


 岡部はこらこそと差し出された手を取った。



 再び最上の元に戻り暫く歓談していると、横から見知らぬ人物が話しかけてきた。

それなりに長身の最上よりも長身で、歳は最上よりも武田善信よりもずっと若い。

だが眼光の鋭さは最上と張るものがある。


「最上さん、今日はずいぶん良い竜用意してきたようで」


「おお、織田さん。残念だが『アスカ』の新記録は阻止させてもらうよ」


 最上と織田でじゃれ合うように言い合いをした後、最上は、うちの期待の新星の調教師だと岡部を紹介した。

岡部が初めましてと挨拶すると、その男性は名刺を差し出し、紅葉会会長の織田おだ繁信しげのぶだと自己紹介した。

岡部は、お噂はかねがねと挨拶をした。


「噂? 一体どんな噂だよ。どうせろくでもないものだろう?」


 戸川先生が織田会長を会派でも有数のやり手だと褒めていたから、以前からどんな方だろうと気になっていたと、岡部はそのまま思った事を口にした。

すると織田は最上を見て笑い出した。


 織田は岡部の左肩に手を置いた。


「素直な良い子じゃないか。最上さんのとこには勿体ないな。どうだうちに来ないか?」


「おいおい、織田さん。それを言うと私だけじゃなく多くの人を敵に回す事になるぞ?」


 織田は最上を見て首を傾げた。


「どういう事だ? すでに他に彼を欲しがってる会派でもあるのか?」


「雷雲会さんが狙ってる。ちなみに一番欲しがってるのはうちの家内だ」


 それを聞くと誰が見てもわかるくらい織田会長の顔が焦ったものになった。

顔は強張り震えるように首を横に振る。


「あげはさんはさすがにちょっと……今の話は無かった事にしてくれ。後生だからあげはさんにも黙っていてくれ。じゃあ今日は良い競走を期待しているよ」


 そう言うと織田会長はそそくさとその場を去って行った。



 来賓室には食堂が併設されており個室も用意されている。

せっかくだからと個室で最上と二人で夕食をとることになった。


「そういえば、梨奈ちゃんはあの後大丈夫だったのかな?」


「そんなわけないじゃないですか。今回はなんとか家まで持ちましたけどね。二日ほど熱出して寝ていましたよ」


 それは悪い事をしてしまったと最上は言うのだが、岡部ははしゃぎ過ぎなんだと笑い出した。


「あの子が見立てた巾着を、あの子からだと言って家内に渡したら、たいそう喜んでおったよ。孫は最近ああいう事をしてくれないからな」


 そう言って最上は大笑いした。


「あの南国旅行は本当に楽しかった。あんなゆっくり観光したのは何年ぶりだろう。仕事が無ければなお良かった」


「主目的は仕事ですよね?」


「何度も言うが、主目的は君への慰労だ!」


 最上が笑い出すと岡部もつられて笑い出した。


「花蓮の帰り、義悦さんに何を言っていたんです?」


 岡部の質問に対して最上はかなり言い渋った。

だが色々と考え話した方が良いと判断したらしい。


「義悦には知らない振りをしていてくれよ。君のような軍師を手放すなと言い含めた」


 最上は席を乗り出して岡部に顔を近づけ、二人きりだというに小声でそう言った。


「僕は戸川一家と同じようにこの紅花会に恩があります。会長は祖父代わりだとも思っています」


「ならば義悦に代替わりしても変わらず紅花会を支えて欲しい」


「もちろんです! 僕の力でお役に立てるのなら存分に」


 岡部の力強い回答に、最上は嬉しそうに頷いた。




 夜の八時が近づいてきた。

岡部は最上に連れられて、下見所の中央広場に立って竜を見ている。

そんな岡部を見付け、櫛橋と池田と清水は驚いて二回見直した。

係員が停止を呼びかけると、松下騎手が『タイセイ』に駆け寄ってきた。

背広姿の岡部を見て松下もぎょっとした表情をする。


 その後岡部は最上と会話を続けていた。

それを見て櫛橋と松下が顔を見合わせ首を傾げている。

池田と石野、清水と喜入も岡部を指差して首を傾げあっている。


 下見所から竜が送り出されると、岡部と最上、戸川、三浦は関係者観覧席へと場所を移した。

『タイセイ』たちを競技場に送り出した櫛橋たちが関係者観覧席にやってきた。


「何で岡部先生がここにおんのよ! そない七五三みたいな恰好して」


「七五三はないでしょ! 僕は今日は竜主の関係者なんです」


 そう言うと岡部は入場証を見せた。


「ううわ! 私物化や! 会派の私物化や!」


 櫛橋が岡部を煽っていると池田からそろそろ始まるぞと指摘された。



 発走者が旗を振ると奏でられた発走曲が競竜場内に鳴り響いた。

場内に実況の音声が流れ始める。



――

今年一年を締めくくる重賞『皇都大賞典』の時間が近づいてまいりました。

皆さんの今年一年はどのような年でしたでしょう。

泣いても笑ってもこれで今年も最後、笑顔で締めくくりましょう。

現在、各竜の枠入りが順調に進んでいます。


全竜、枠入り完了、発走しました。

良い発走を見せたのはエイユウナガト。

その後ろにサケタイセイが続いて行きます。

重陽賞竜『金色の聖天』サケタイセイ、今日は最初から先頭に取付いています。

少し間が空きます。

ジョウレッカ、サケセキフウ、ロクモンカンセイと続いて行きます。

現在竜群は正面観客席前。

大歓声に見送られ緑の芝の上を竜たちが疾駆していきます。

タケノブダイ、タケノダイコクと続き、その後にクレナイタイサイ、ジョウハヤテ、マンジュシャゲ、クレナイアスカ。

現在長距離重賞五連勝『月毛の竜王』クレナイアスカはここにいました。

一角を回り各竜最初の曲線へと向かいました。

クレナイアスカから少し離れて、チクシミズ、サケカンプウ、イナホデンゲキオー、ハナビシモウセン。

そこからまた離れてリガンリュウ。

さらに離れてロクモンオロシとイチヒキヤマセ。

計十八頭、かなり縦長となって向正面に入りました。

先頭は依然エイユウナガト、その後ろを突くようにサケタイセイが続きます。

一番人気クレナイアスカは現在中団内。

各竜向正面を疾走。

おっと、ここで先頭を走っていたエイユウナガト二番手に下がり、先頭サケタイセイに代わりました。

二番人気、重陽賞竜サケタイセイ、圧倒的な速度を見せています。

前半終わりここから競争は後半に入ります。

全体の流れはやや早めです。

サケタイセイ気持ちよく飛ばし始める。

二番手エイユウナガトが少し離れ始めています。

三番手のジョウレッカはそこからさらに離れています。

各竜向正面を過ぎ三角を回って曲線に入りました。

依然先頭はサケタイセイ、後続との差は縮まるどころか徐々に広がっています。

二番手はかなり離れてエイユウナガト。

そこからさらに離れた三番手集団はかなり混戦。

先頭サケタイセイは早くも四角に近づいている!

少し遅れて後続も四角を回りました!

しかしサケタイセイとの差がかなりある!

ここから追いつけるのか!

ジョウレッカ、サケセキフウ、集団から抜けサケタイセイを追う!

クレナイアスカはまだ集団でもがいている!

クレナイアスカ厳しいか!

大外からロクモンオロシ、イチヒキヤマセ、イナホデンゲキオーが上がってくる!

先頭いまだサケタイセイ!!

クレナイアスカやっと集団を抜け出し一気に伸びてきた!

クレナイアスカ、ジョウレッカを捕えた!

クレナイアスカ、サケセキフウも抜き、一気にサケタイセイに迫る!

凄い脚だクレナイアスカ!

残り半分を切った!

外からイチヒキヤマセも凄い脚で上がってくる!

クレナイアスカ、じりじりとサケタイセイに迫って来る!

残りわずか!

大外からイチヒキヤマセ!

クレナイアスカが捉えるか!

サケタイセイが耐えきった!

サケタイセイ一着で終着!

クレナイアスカ敗れました!

新記録達成はならず!

サケタイセイ、長距離の新王者誕生!

――



 サケタイセイと松下はゆっくりと競技場を一周すると検量室に帰ってきた。


 最上は岡部と肩を組んで喜び合った。

ひとしきり喜んだ後、その興奮冷めやらぬままに功労者を労いに検量室へ向かった。


 検量室では、既に検量を終えた『セキフウ』の池田と石野、『カンプウ』の三浦と清水、喜入が、戸川と櫛橋の所に集まっていた。

最上はまず松下と握手すると、よくやってくれたと言って肩を叩いた。

次に戸川と握手をすると、来年はあの竜を送ってやるからなと言って肩を叩いた。

櫛橋は岡部を見ると『タイセイ』が勝ったんだよと言った途端、感極まって岡部にすがり付いて泣き出した。

一同が勝利の余韻に浸っていると報道の人が来て松下が連れて行かれた。




――放送席、放送席、『サケタイセイ』の松下騎手に来ていただきました。

『皇都大賞典』勝利おめでとうございます!


「ありがとうございます!」


――直線、突き抜けたまま挑みましたが、あれは作戦ですか?


「そうですね! この竜の強さを最大限引き出すのは、あれしかないかなと」


――最大の強敵『クレナイアスカ』が追い上げてきた時はどう思いましたか?


「四角であれだけ離れればそうそう負けはしないと思っていたのですが、まさかあそこまで追い上げられるとは」


――今回、結果的に走破時計が競技場記録だったのですが、それについてどう思いますか?


「それがこの竜最大の持ち味やと思いますので、今日はそれだけ調子が良かったんやと思います!」


――年が変わっても『クレナイアスカ』と対戦する事になると思いますが勝算はありますか?


「この競走を持って王者交代となれるように、次回も関係者一同頑張りたいと思います!」


――本当におめでとうございました。

以上、松下騎手でした。

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