第60話 観光

 南府は南府駅を中心として、北環状線と南環状線、南北線、東西線という鉄道網によって交通網が構築されている。

かつて台湾が南国ではなく北国のような開拓局の時代、北国の中心都市が函館だったように、南国も台北が中心都市だった。

南国も北国同様ある程度の中央化は重要と考えているようで、東国寄りの政権と西国寄りの政権がしのぎを削っている。

その象徴とも言えるのが東国と似たこの鉄道網なのだろう。



 南府の繁華街は南府駅から南北線で北に一駅行った南府公園の周りに集中している。

紅花会の大宿も南府公園駅のすぐ横に位置している。

朝、目が覚め外の景色を眺めると、広大な南府公園の美しい光景が眼下に広がっていた。


 岡部と最上は朝から大浴場で一風呂浴びて食堂へ向かった。


 朝食は好きな物を取って食べる方式だった。

岡部は前日の会長の忠告通り、鶏出汁の粥に細切り焼豚、油揚げの甘辛煮、しらすを乗せた物と、甘辛の豚肉の餡の入った薄餅を持ってきた。

奥さんは昨日食べた煮豚の饅頭がかなり気に入ったようで、朝から饅頭を二つも食べている。

梨奈は豆花に芒果餡と芒果果実、鳳梨果実をたっぷりと乗せて持ってきた。

最上は水餃子と包餃子を持ってきている。

梨奈が朝からこんなに美味しいもの食べれて幸せだと言うと、最上が、そうかそうかと優しい顔で笑った。


「梨奈ちゃんは体調はまだ大丈夫なのかね?」


 最上が心配して尋ねると、梨奈は少し拗ねたような顔をする。


「みんな、それ言うんやもん」


「そりゃあそうだろう。私は君を幼い頃から知ってるが、私が見る時はいつも熱を出していて誰かに背負われているのだから」


「今は全然そんな事はないんですよ」


 梨奈はニコリと微笑み、両腕で力こぶを作るような仕草をする。

その無邪気な笑顔に癒されたのか、最上は好々爺のような笑い声を発する。


 その隣で奥さんが、よくそんなバレバレの嘘がつけるものだと呆れ顔をした。

北国で熱出して倒れたの見られてるんだけどなと岡部も苦笑いである。

最上も二人の指摘に苦笑いする。


「自分の体なのだから、労わる事ができるのは自分だけだからね」


「はい。わかりました」


 最上は良い返事だと言って、孫を愛でるように梨奈の頭を撫でる。


 その横で、絶対わかってない返事だこれと奥さんが冷たい目で梨奈を見ている。

いつも良い返事はするんですけどねと岡部も渋い顔を最上に向けた。

梨奈が怒って岡部の腕をつねると、最上が大笑いした。



 朝食を食べ終わると、四人は公園北の繁華街へ向かった。

奥さんと梨奈は小物屋に入り、きゃっきゃとはしゃぎだす。

岡部と最上はあまりの店の可愛さに非常に入りづらさを感じ、胡麻団子でも食べようかと店の外で言いあっていた。

ところが店を離れようとしたところを梨奈に腕を掴まれ店の中に連れ込まれた。


 梨奈はブローチを指さし上目遣いで買ってと岡部にせがんだ。

岡部が渋々そのブローチを購入すると、奥さんが良いなあと羨ましがった。

それを見ていた最上が、戸川の代わりに私が買ってあげようと言ってカメオを奥さんに買ってあげた。


 それを見ると梨奈は、私はこれと言って可愛い縮緬の巾着を最上に所望した。

わかったわかったと言ってその巾着を買ってあげると、梨奈は奥さんにあげてくださいと巾着を最上に渡した。

これはかなわないなと最上は岡部を見て高笑いした。



 公園北のいくつかの店をまわって、その中の一件で昼食を取った。

食事が終わると、申し訳ないが仕事に行ってくると言って最上は梨奈の頭を撫でた。



 南府駅から横貫道高速鉄道に乗り花蓮駅に向かった。


「すみません。何だかおかしな事になっちゃって。会長もお疲れでしょう」


 岡部が最上を気遣うと最上は笑い出した。


「私はかなり楽しんでおるよ。この歳になって南府で年頃の女の子と観光だなんて、そうそうできる事ではないからな」


「お孫さんたちとは観光旅行しないんですか?」


 最上は静かに目を閉じ、顔を少し上げ、そうだなあと呟いた。


「いかんせん京香たち以外は住む場所が遠いからなあ。昔は両親に連れて来られて、年末に豊川で会えるのが楽しみだったんだがなあ。年頃になったら恥ずかしがって来なくなってしまってな」


「でも仕事するようになったら、京香さんたち以外にも職場で会えるようになるんでしょうね」


 最上は小さく何度も頷くように頭を揺らす。

一番上が京香、次が義悦、光定、百合、義和、あやめ。

学生はもうみつばの所の義和と、あすかの次女のあやめだけ。


「孫全員が豊川に集うようになるまでは頑張りたいところだな」


 一番下のあやめが十三歳だから早ければ五年後。

それを聞くと岡部はたった五年じゃないですかと笑い出した。


「ああ見えて梨奈ちゃんも会報作りを手伝ってるようですしね」


「ああ、その話はいろはから聞いたよ。良い感性をしてると言っておった。何とか酒田に呼べないかと相談も受けたがなあ。極めて難しい話だろうと回答しておいたよ」


 そもそも最上もあまり会報には興味が無く目を通していなかったらしい。

いろはから言われ、久々に会報を読んでみたのだそうだ。

自分が知っている会報とは全く違う代物になっていて驚いた。

今では会報が届くのが楽しみになっているらしい。

これをあの戸川の娘がと思うと、いろはの気持ちもわからなくはない。


「ですが、梨奈ちゃんはあの通り性格がかなり内向きですし、体も弱いですからね」


「私も色々と持たんと思うのだ」


 無理に酒田に呼んで、それで寿命を縮めたなんて事になったら、戸川に何て言って詫びれば良いかわからない。

最上の見解に岡部も全面同意であった。




 花蓮の大宿に着くと、昨日同様、義悦と大山が待っていた。


「昨日待ち人がいるって言ってましたけど、午前中何してたんですか?」


 受付の広間で義悦が最上に尋ねた。

大山も興味があるらしく最上が何を言うか注目している。


「年頃の女性と逢引だよ。羨ましかろう?」


 最上が真顔で回答するので、隣の岡部は思わず噴き出した。


「可愛い娘ですか?」


「可愛いぞ。ちょっと幼く見えるがな」


 義悦が首を傾げると、最上は高笑いした。

大山は何だか聞いてはならない事を聞いたというような焦った顔をしている。

岡部は口に手を当て、笑い声が漏れないように肩を震わせ必死に我慢した。



 四人は小宴会場に入ると、茶と菓子を用意させ、大山に現状の報告をさせた。

大山は事前に作成した資料を三人に配布。


「まず結論から言います。現在、竜運船の開発は完全に停滞してしまっています」


 最上と岡部は話を聞きながら資料に目を通している。

見てもよくわからない数字の羅列されている表、船の設計図、マル秘と判子の押された資料と、どれも説明が無いと何が書かれているかいまいちよくわからない。


「何が問題になっているんだね?」


「現状では三点、大きな問題点に阻まれています。まず一つ目が燃費の問題です」


 大山は資料を見るように二人に促した。

それが現状の燃料と航続距離の資料だと説明した。


「私たちは専門でやっていないから、数字だけではイマイチわかりにくいなあ。例えばだ、燃料一杯にして、どれくらいまで行けるんだ?」


「ここから台北港まで行けるか行けないかくらいです」


 短すぎる。

素人の最上が聞いてもそう感じている。


「燃料槽を広くしたら良いだけではないのかね?」


「燃料槽を広くすれば船は重くなります。そうなれば燃費が落ちます。船で運ぶ利点として、空輸や陸輸より輸送費が安くならないと魅力が減ると考えますので」


 確かにそれは最重要の視点だと最上は唸った。

岡部も無言で頷いている。


「岡部さんは、これについて何か考えはありますか?」


 岡部は資料をじっと見つめ、一点だけだが気付いた事があった。


「僕も船の事をそこまで理解しているわけじゃないんですけど、漁船って走ってる時、船首をかなり浮かせながら走りますよね。この資料だと、数字的にそうなっていないような」


 何でそれがわかるんだと最上に聞かれ、岡部は表を指差して、こことここの数字があまり変わっていないと示唆した。

この資料でそれを読み取るのかと、最上じゃなく義悦が舌を巻いた。


「輸送船なので石油輸送船や貨物輸送船のようなものを想像してもらえれば。その代わり、なるべく波の抵抗を受けないように衝角を球状にしています」


「じゃあ、船体を通常より沈ませながら走っているんですか? それだとそもそも水の抵抗が凄いんじゃあ」


 何か根本が間違っている気がする。

長時間乗ればその分竜に負担がかかるわけだから、速度は重要な要素の一つだと岡部は指摘した。


「確かに喫水線を上げれれば抵抗は大きく減りますからね。速度が出るだけじゃなく燃費も良くなるでしょうね。ちょっと方針として検討してみますね」


 大山は帳面に何やら書き込んでいる。

義悦は資料を読んで、これは当分会議が長引きそうだと呟いた。



「二つ目の問題は入港の問題です。実は今の輸送船は船底がかなり深く、それなりに水深の深い港にしか停泊できないんです」


「太宰府はともかく、浜名湖内はかなり水深が浅いぞ?」


「現在、外海を輸送する事を前提としていますので大型船を想定していますが、少し小型化が必要なのかなあと」


 この説明に最上が素朴な疑問を漏らした。


「どっちも作って外海で乗せ換えるわけにはいかんのかね?」


「用途別に作るって事ですか? 船を横付けして水槽をやり取りできれば良いって事ですよね。なるほど! 検討してみます!」


 その方が船がたくさん売れるじゃないかと最上が指摘すると、さすが会長だと義悦が笑い出した。

最上は経営者として重要なものの考え方だぞと義悦を諭した。

義悦は勉強になりますと頭を下げた。



「三つめの問題は、今一番大きな問題点です。実は竜を実際に乗せてわかったのですが、竜への負担がかなり大きいんです」


「車で運ぶよりも負担が大きいのかね?」


「それに比べれば全然少ないのですが、当初の想定に比べると論外という数値が出ています」


 大山は資料の中の一覧表を見るように促した。

表には、よくわからない数字が羅列されていたのだが、平常時との数字の差がかなり大きくなっているのだけはぱっと見でわかる。


「原因は特定できているのかね?」


「水の中でずっと揺れてしまっていて槽壁に当たってしまうんですよ。恐らくはそれが原因じゃないかと」


 そういう意味では、信号で頻繁に停止する陸上輸送と現状では大して変わらないかもしれない。

ただ水が新鮮かどうかだけの差になってしまっている。


「強力な緩衝剤で覆えばいいじゃないか。竜運車みたいに」


「それも試してみたんですが。船の輸送時間が長いから、結果的に負担が増えてしまっています」


 そもそも体を固定しても海水が水槽内で暴れてしまって、そちらの方が竜が落ち着かない。


「そうは言っても竜を傷つけたら元も子もないからなあ。なるべく固定するしかないのかもしれんな」


「それだと竜運船の利点を大いに損ねてしまいますね」


 最上は、そうだよなあと唸る。


 そこまで聞いていた岡部が質問を投げた。


「具体的にどの程度の負担になってるんですか? この資料の数字だけではイマイチよくわからないんですけど」


「数字で説明すると難しくなるんですが、ここから燃料一杯走って、回復に一日かかるくらいと言えば、わかるでしょうか?」


 大山の説明に、岡部はそれはちょっとと絶句した。


「台北まで行けない距離でそれでは、お話にならないですね。止級の竜って輸送には慣れないんですか?」


 岡部の言葉に大山は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。

義悦も眉をひそめて大山の顔を見ている。


「……竜って輸送に慣れるものなんですか?」


「ええ。一度慣れさせてしまえば、かなりまで。呂級だけの話じゃないと思うので、その辺りは中野さんやみつばさんの方が詳しいとは思いますけど」


 開発部隊の竜の知識の乏しさがこんなところで露呈したと呟き、大山はかなりバツの悪い表情をする。

南国牧場の方たちもそんな事一言も言っていなかったと大山は愚痴った。

多分常識的な話過ぎて、知ってて当たり前と思われたのだろうと義悦は大山に指摘した。


 あまりの連携の悪さに最上は呆れて目を覆ってうなだれている。


「あくまで僕の希望ですけど、数時間で、浜松、太宰府間を輸送して、一日二日で回復する程度を最終目標にしていただければ」


「それは……現時点では雲の上の数字ですね」


「でも、それが実現できないと止級では実用的じゃないですよ」


 実用的じゃないという言葉を岡部は用いた。

だが言い方の問題で、ようは利用価値が無いという事である。


「仮に平均二五海速まで出たとして、単純に計算しても、どうしたって半日以上はかかりますよ」


「時間がそれ以上どうにもならないなら、一日程度で回復するくらい快適じゃないと」


 岡部の指摘に、大山はそういう事じゃないと顔を引きつらせた。

海上で平均二五海速がほぼ不可能な数字なんだと説明した。


「研究に研究を重ねて、それでも現状では数年はみてもらわないといけないと思います」


 そう言うと大山は乱雑に髪の毛をくしゃくしゃと掻き乱した。



 岡部と大山のやりとりを聞いていた最上が義悦に訊ねた。


「義悦、今の二人の話を聞いて、今後どうすれば良いと考える?」


「人と金をかけます。その為の資金は他の会派にも呼びかけます」


 うむと最上は頷いた。


「だが私なら、ただ金を出せと言われても、そう簡単には出さんが?」


「知識や技術を持った人なら出せるんではないでしょうか。向こうだって情報が欲しいでしょうから」


 最上は再度うむと頷いた。


「そういう考えができるようなら心配は無いだろう。何かあったら相談しにきなさい。それと! 定期的に報告をしてこい!」


「わかりました。そのうち金の無心に行くと思います」


 最上は義悦の言い回しが愉快だったようで高笑いをした。



 帰り際、最上と義悦は密談をした。

その際、二人で岡部を見て薄笑いを浮かべ頷き合っていた。



 翌日、四人は大量に土産を買いこんで台北空港に行き、飛行機で福原空港へ向かった。

飛行機の中で最上は言い忘れていた事があったと言い出した。


「『大賞典』はどこで見るつもりなんだ? 関係者じゃないから厩舎には入れないのだろう?」


「中継では忍びないので観客席から見ようかと」


「そうなのか。じゃあ竜主席で一緒に見んか?」


 一瞬岡部は最上の言った意味が理解できなかった。


「えっ、それって……」


「最上階の特別席だ。私の関係者としてな。何なら勝ったら口取りもさせてやるぞ」


 珍しく狼狽えている岡部に、最上は笑いを堪えるのに必死である。


「一生の思い出になります!」


「何を言っておるんだ。君は調教師になったのだから、重賞に勝ったら毎回口取り式じゃないか!」


「そっちじゃなく、最上階の方ですよ!」


 最上階は竜主と関係者だけの部屋なので、調教師でも中々入る事ができないのである。


「ああ、そう言う事か。最上階はな、竜は小さくしか見えんのだが、なかなかの眺めなんだぞ」


「ありがとうございます! 当日が楽しみです!」

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