第59話 南国

 岡部たち四人は、福原空港で飛行機に乗り台北空港へと向かっている。


 最上の提案で南府に行く事になったと梨奈たちに告げた時は、耐えきれないような冷たい目で睨まれた。

だが二人も南国旅行に招待されていると言うと、うって変わって大喜びした。

会長と仕事があるので、ずっと一緒にはいられないかもしれないという話をすると、梨奈から、会長さんも一緒に観光したら良いのにと素朴な提案をされた。

それをそのまま最上に伝えると最上は笑い出し、では仕事の時は二人で観光していてもらい、それ以外は御一緒させてもらうと大喜びだった。

あの爺さんも孫世代にはずいぶんと甘いんだなと、戸川は大笑いであった。



 そうは言ったものの、梨奈は直接最上に会うと人見知りを発症し、まともに会話もままならない。

北国の時に梨奈が俯いた状態で最上に挨拶しなかったのを奥さんは非常に気にしていたらしい。

その後で散々迷惑をかけたというに、今回もこの態度である。

腹を立てた奥さんは、梨奈の襟首を掴んで無理やり最上に挨拶させるという強硬手段にでた。

その後で北国旅行の時の事も合わせて改めて礼を述べた。


 飛行機の席も梨奈を最上の隣にしたいと奥さんは言っていたのだが、仕事の話があるのでと岡部が座ることになった。

正直なところを言えば、そんな事で変に緊張し熱でも出されたらと考えたからである。


「突然南国だなんて、何があったんですか?」


「いや、何、義悦の顔を見ておきたくてな」


 最上は岡部の問いかけに目線を反らし、何かを隠しているという表情をしている。


「少し待てば豊川で会えるじゃないですか。それを待てずと言う事は、緊急と思えるような事態と言う事ですか?」


「まあ、そういう事だな」


 最上は観念して小さくため息を付く。


「もしかして音沙汰が無いんですか?」


「うむ。あいつを訪ねた会派の会長からの問い合わせが続いていたんだがね、最近、それがぱたりと無くなってね」


 にも関わらず義悦からは何も言って来ない。

向こうで何かあったのでは無いかと危惧していると最上は少し目を細めて言った。


「それなりに上手くいって落ち着いたのではないのですか?」


「それならそれで良いんだ。私の心配が杞憂である事を望むばかりだよ」


 最上は少し浅く椅子に座り飛行機の天井を仰ぎ見た。


「それだけの事でわざわざ南国まで?」


「だから電話で言っただろ。主目的は君の慰労だと」


 そう言うと最上は岡部に優しく微笑んだ。




 台北空港から台北の駅に向かうと、すぐに奥さんと梨奈が行きたいところがあると乗合車を呼んだ。

車で縦貫道を数分行くと『西門通り』という小規模店が所狭しと連なった繁華街へと到着。

梨奈と奥さんは旅行雑誌を開き、ここに来たかったとはしゃぎだした。


「なんだか、西府の千日前や皇都の四条みたいな賑わいだね」


 岡部の感想に梨奈は、わかるかもと言って笑顔を向けた。


 一本道を入ると突然屋台や飲み屋が連なる通りになった。

大通りの脇道が飲み屋街なのは瑞穂国内どこでも共通の光景らしい。


「まずはちょっと早いひるげ食べて、その後でさっきの商店街に行きましょうよ!」


 奥さんはそう言うと一件の店に入り店先の青空卓に座った。


 岡部がお品書きを見ながら、実は南国の食べ物が苦手だという話をすると最上が笑い出した。

最上が言うには、いきなり大冒険をするからそういう事になるのだそうだ。

豚の角煮や味噌炒め、餃子や焼売、拉麺といった食べ慣れたものを食べれば、西国や東国との違いを楽しめるという事だった。

奥さんも梨奈も、いまいちピンと来ないという顔をしている。

そもそも奥さんも梨奈も初めて南国に来たらしく、岡部の言っている事もよくわからないらしい。

そこで岡部は最上に注文を全て任せる事にした。


 最上が注文したのは、角煮饅頭、焼売、水餃子、包餃子といった皇都でも見慣れたものばかりだった。

確かに皇都で食べるのに比べると出汁の効きは悪いが、肉に付けられた下味がその分強く、これはこれで美味しい気がしてくる。

最上は、少し味に慣れてきたと思ったら甘味噌のような地の調味料を付けるとさらに楽しめると教唆した。


 岡部が角煮の独特な味がどうしても慣れないと言うと、一口食べた奥さんが『八角』というここでよく使われる香辛料の味だと思うと説明した。

肉桂と一緒で西国や東国ではあまり使わない物だからと奥さんが言うと、さすがよくご存じだと最上は褒めた。



「梨奈ちゃんは、まだ甘いものは入るのかな?」


 最上からの突然の問いかけに、梨奈は照れながら、甘いものは別腹だと蚊の泣く様な声で返答。


「南国風、素朴、大陸風、どれがお好みかな?」


 質問の意味がわからなかったが、少し悩んで、素朴かなと無邪気な顔で答えた。

最上は、そうかそうかと言って豆花とうかを人数分注文した。


「牛乳寒ですか、これ?」


み豆腐だよ。それを甘い糖液や黒糖蜜、小豆餡、芒果もうかの餡、鳳梨ほうりの餡なんかを乗せて食べるんだよ」


 最上は配膳された豆花に小豆餡と糖蜜をかけて食べ始めた。

岡部も最上を真似て芒果餡に糖蜜をかけて食べ始める。


「旨っ!!」


「だろ? 八角のような地の調味料を避ければ、こうして美味しいものにちゃんと出会えるという事なんだよ」


 隣では奥さんは、あれやこれやと配膳されたものを全部乗せて食べている。

梨奈は芒果の餡と鳳梨の餡をたっぷりかけて幸せそうな顔をしている。


「これは、次の食事が楽しみになりますね!」


「何を言ってるんだね。夜の楽しみはこれだろ!」


 最上はお猪口を傾ける仕草をして笑い出した。



 食事が終わると最上は伝票を持って立ち上がった。

仕事があるのでここで一旦お別れだが、夜にまた南府の大宿で再開しようと梨奈たちに言い、岡部と二人で台北駅に向かった。


 台北駅で縦貫道高速鉄道に乗り南府駅へ。

南府駅で横貫道高速鉄道に乗換え花蓮駅に向かった。

その車内で最上は少しお願いがあると言い出した。


「開業先が久留米という事でな、少し頼みたい事があるんだ」


「僕でできる事であれば」


 ふむと短く言うと、最上は珈琲を口にし、岡部の顔の向こうの窓から外の景色を見た。

峻厳な山々が連なる力強い大地の息吹を感じる風景である。


「君は仁級にうちの会派の調教師が何人いるか知っておるかね?」


「確か四場合わせて二五人程度だったかと」


 岡部の回答に最上は君を入れて二十六人だと訂正した。


「実はその中で、今、九人が久留米にいるんだよ」


「……九人はちょっと多いですね」


 岡部が十人目と言う事になる。

残り十六人が三場にいると考えれば、割ると平均で約五人。

他場の倍の人数が久留米にいると言う事になる。


「もう十年以上八級に上がる調教師が出ていないんだよ。君にはその原因を探って欲しいんだ」


「及川調教師は何と? 顔役なんですよね?」


「及川か……競竜部に原因分析を指示したら、その及川っていうのに調べさせたそうなんだ。原因不明という報告だったんだよ……」


 竜の質の問題では無いのかと言ってきたらしい。

そんな事がみつばの耳にでも入ったら何を言ってくる事やら。

そもそも他の三場の厩舎と比べ、久留米の厩舎は断トツで成績が悪いのだから、竜の質の問題でない事など明白なのに。


 最上は少し暗い顔をし、拳をぐっと握りしめた。


「もしもあれと衝突するようなら遠慮する事はない。暴力沙汰にさえならなければ徹底的にやってくれて構わない」


「ですが、そんな事になったら紅花会の名に瑕がつく事になりませんか?」


 最上は岡部の指摘を鼻で笑い、鋭い目を岡部に向けた。


「それで会派として良い結果になるなら、必要な外科手術だと認識する」


「わかりました。そこまでおっしゃるのでしたら。まずは開業してみて何があるかですね」


 岡部は珈琲を口にし外の景色を見ようとした。

だがすぐにトンネルに入ってしまい、窓硝子には自分の険しい顔が映っただけであった。




 花蓮の大宿に向かうと、既に義悦と大山が岡部たちの到着を待っていた。

最上は義悦、岡部、大山を連れて小宴会場へ向かった。

四人分の飲み物と菓子を用意させると、菓子を一つつまみ、さっそく本題に入った。


「義悦、事業の方はどうなった?」


 最上の声は低く非常に威圧感のあるもので、岡部と対話している時にはおよそ出さない声である。

会長としての威厳のようなものを感じる。

そのせいで、義悦だけでなくあからさまに大山が委縮している。


「当初は問題山積な上に何をしたらいいかわからず途方にくれていました。とにかく問合せだけは次々と来るような有様でして……」


「で、私に投げたと?」


 義悦は最上の相槌に一旦言葉詰まらせた。

小さく咳払いすると気を取り直して続きを話しはじめた。


「こちらはこちらで報道とのやり取りが大変だったんです!」


「知ってるよ、報道の話は! それに対する体制を早急に作るのが、お前の最初の仕事じゃないか!」


 最上の叱責に萎縮する義悦を憐れに思いながらも、残念ながら岡部は口を挟む事はできなかった。

義悦以外にはやれない事を義悦はちゃんとやらなければならない。

それは責任者として当たり前の事だと岡部も納得するからである。


「いかんせん初めての事で……人員の把握にも手こずりまして」


 最上は大きくため息をついた。

明かに失望したという顔をしている。


「少しは勉強になったか?」


「組織を作るという事の大変さは学びました。もちろん知識ではわかっていましたが」


 ふむと言って最上は小さく何度か頷いた。

逆境の中からでも学びを得る、その姿勢を評価したのであろう。


「わかっているというのと、やれるというのは大きく違うんだよ。足りない駒は探さなきゃいけないしな。人だって無限に沸いて出るわけじゃないんだし」


「足りない駒を探すのにも手こずりまして。未だに人手不足が解消できてません」


 最上は大きくため息をついた。

何もわかっていない、そう呟くと最上は目を伏せ後頭部を掻いた。


「人材と言うのはな、大きな原石なんだよ! その原石に仕事をさせて、徐々に徐々に駒の形に磨いていくんだよ。お前はこれまで社内で一体何を学んできたんだ!」


 最上の叱責に大山がビクリとして泣き出しそうな顔をする。

義悦は俯いてうなだれている。

そんな義悦を見て、岡部は見かねて口を挿んだ。


「会長。僕は会長の指示の仕方にも問題があったと思いますよ。これだけの重要で巨大な事業です。せめて軌道に乗るまでは頻繁に相談にのり、細かく助言し、監督をするべきだったと思います」


 最上は岡部の指摘に無言で首を横に振る。

君の考えは甘いと反論した。


「大きな方針を聞いて、後は自分で考えてどうにかしていかなければ、経営責任者としての成長なぞ望めんのだよ。経営者、責任者というのは学校の授業のように教科書がある類いのものとは違うのだから」


 岡部はちらりと義悦の方を見た。

その仕草で最上は、岡部が義悦にわかるように言葉を引き出してくれているのだと察した。


「それはわかるのですけど、会長は紅花会を日章会のような斜陽の会派にしたいんですか?」


「どういう事だね?」


 そこから岡部は、喫茶店で服部にした、日章会が斜陽になった原因を最上にも語った。

上からの曖昧な指示を、下が自分に都合の良いように捉え、結果的に八級と仁級の生産がおろそかになってしまった事を説明した。


「もし今回のような指示を義悦さんも下に行っていったら。さらにその者が下に同じように指示をして……いつしかそれが会派内の当たり前になってしまったら。そうなったらいづれは紅花会も日章会のようになってしまうかも」


「それは……かなり困るな」


 最上も岡部の言う事が十分納得できるし、岡部の言う未来が容易に想像できる。

築き上げるのは困難な道だが、崩れるのはあっという間。

最上もそれをこれまで嫌と言うほど目撃しているのだ。

義悦をちらりと見て、なるほどと唸った。


「義悦さんを次期会長にと思うのなら、理解が実務に繋がるまでは、もっときめ細かい指導をすべきだったと思います。義悦さんがそういう悪い指示の仕方を学ばないために」


「わかった。この件は私の方針の失敗を認めよう」


 最上は珈琲を啜って一旦気分を落ち着けると義悦に続きを報告するように促した。

 


 義悦は気を取り直して現状報告を続けた。


「秋頃、岡部さんにお知恵をお借りしまして、双竜会と清流会の牧場長に呼びかけて、現状の報告会を行いました」


「色々言いたいことはあるが、まずは黙っておこう」


 最上の言葉に岡部は思わず笑い出しそうになった。

手で口元を隠し必死に平静を装った。


「両牧場長に三会派だけの極秘事業だと言い含め、できる範囲で助力をお願いしたいと伝えました」


「それで何か影響はあったのか?」


 最上の問いかけに義悦は大きく頷いた。


「報道からの突き上げが無くなりました。ですが、暫くすると協力する為の情報開示を要求してきました」


「そりゃあ、まあ、そうなるだろうなあ」


 それが彼らの主目的なのだから当然であろう。


「共同開発ではなく開発協力のはずだと言ったら、それでは協力ができないと」


「だろうな。私でもそう言うだろう」


「では以後の開発は、高雄で新たに協力者を募って行うしかなくなりますと伝えました」


 最上は義悦の説明に首を傾げた。

そしてすぐに、それが岡部の入れ知恵であろうと察した。

だがその意図がわからない。


「高雄? 古河牧場に助力でも求める気か?」


「そういう脅しです。余程その脅しが効いたのか、以降競って協力を願い出てくるようになりました。停止していた実験も、そこからまた動き始めています」


 最上は、ここまでの報告に思わず唸った。

岡部に助力を得たという段階からは、最上の予想のかなり上をいっている進捗だと感じた。


「で、今後の対処について、岡部君から何か学べたのか?」


「最良と思える状況を考えろと言われ、南国に戻ってから首脳と色々と話をしました。そこで相手が何を後ろ手に隠しているかを推察するのが、駆け引きには非常に重要なのだと言う事を感じました」


 ちゃんと自分たちの事を知って、さらに向こうの事も知らなければ駆け引きでは勝てない。

そう言い放った義悦に最上は非常に満足気な顔をした。


「で、その為に何が必要だと考える?」


「別の角度から物事を見て考えてくれる人が必要だと感じています。できれば複数人」


 最上は大きく頷くと、そういうのを『参謀』というのだと義悦を諭した。


「よろしい。それがわかれば今後余程の事が起きない限り何とでもなるだろう。後は迅速さだな。少しはみつばを見習え」


 義悦は一緒に夕食でもと言ったのだが、最上は、人を待たせているから南府へ帰ると断った。

その上で、明日また来るから次は大山の報告だと言って宿を後にした。



 横貫道高速鉄道に乗り込んだ時には、もう辺りは暗くなり始めていた。

冬は陽が短いなと最上は外の景色を見ながらしみじみと言った。


「窘めてくれて助かったよ。あのまま説教になるかと思った」


「そうなったら義悦さん、落ち込んじゃうでしょうからね。会長だって孫に嫌な顔されるのはお嫌でしょう」


 岡部の指摘に最上は鼻を鳴らして顔に笑みを湛えた。


「そりゃあな。だが会長として厳しい顔もしておかないといけないからな。身内に甘いなんて噂をたてられたら何かと面倒だからなあ」


 最上が照れ笑いしているのを岡部は見て見ないふりをした。


「楽じゃないですね。会長職も」


「お! 君にも私の苦労がわかってきたか!」


 そう言うと最上は高笑いをした。

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