第25話 厩舎
翌日、いつもより三十分早く目が覚めた。
戸川もそれに合わせて起きてくれたようで、朝食をとり厩舎に向かった。
各厩舎には十房の竜房がある。
それは仁級も八級も同じらしい。
通常、朝の厩務は一人当たり二頭から三頭の竜を担当する。
つまり十頭全てがいた場合、厩務員は四人必要ということになる。
大体どの厩舎も朝は三人が出勤してくる。
夜勤は防犯と健康の関係上必ず二人と決められている。
そこからすると、厩務員は、夜勤明け、日勤、夜勤で、一日、七人が勤務するという計算になる。
当然休日の担当も必要なので、どの厩舎も八人から九人の厩務員を抱えている。
ただ呂級は止級への参加が無い場合、六月から八月まで重賞がない。
多くの竜は牧場へ放牧されており、厩舎に残った竜も軽い調整程度しか調教は行われない。
その為この時期、昼間の厩務員の人数を減らし長期の夏休みをとってもらっている厩舎もある。
調教助手は替えが効かないので、厩舎間で貸し借りをしながら長期休みをとっている。
戸川と岡部が厩舎に向かうと、既に日勤の厩務員が出勤していて、これから仕事を始めようとしているところであった。
戸川は厩務員三人を呼び止めると岡部を紹介した。
三人の厩務員は、それぞれ
牧、花房が夜勤明けで垣屋が日勤らしい。
垣屋は、厩務員というより何となく会社員のような印象を受ける。
髪も短く刈っていて細身で長身、柔和な顔をしている。
反対に牧は、まだ学生のような少し幼さが残る印象を受ける。
話によると戸川厩舎の厩務員の中で一番若いらしい。
黄味かかった茶髪を真ん中で別けていて、垣屋よりも肉付きが良く背が小さい。
花房は、ぱっと見ではまだ大学生のような印象。
肉付きが良いのは恐らく厩務員が肉体労働だからだろう。
身長は平均的、陽に焼けていて、とにかく色が黒い。
牧をからかって竹箒で尻を叩かれて笑っており、性格はかなりひょうきん者のようだ。
三人の中で一番年長の垣屋が竜房を案内してくれた。
慣れるまでは毎回一頭の竜を担当してもらうことになると思うので、その時の指導者の指示に従って世話をするようにとの事だった。
各竜房には竜の名前と簡易血統表が付けられている。
岡部が担当する竜は『サケジクウ』という八歳の月毛の牡竜。
名前の『サケ』は『
戸川は紅花会の所属であり、
つまり、全ての竜に『サケ』という冠名が付いている。
その為、厩務員の間では、この『サケ』を略して言うのが一般になっている。
薄黄の竜は、岡部を見ると大型の鳥類のような鳴き声をあげた。
歓迎してくれているみたいだよと、垣屋は岡部の顔を見て微笑んだ。
岡部が近づき首筋を撫でると、竜は気持ちの良さそうな声をあげる。
扱いを見るにしっかりと研修を受けていたと見えると、垣屋は岡部の肩に手を置いて笑った。
長靴に履き替え、まずは牧が竜を外に連れ出した。
空いた竜房の寝藁を片付け、竜房を綺麗に掃除し新しい寝藁を敷く。
外では垣屋が、連れ出された竜の足を触って問題が無い事を確認している。
垣屋は岡部を呼び、包帯の巻かれた脚を触ってみるように促した。
「この子、今、脚痛めててね。少し腫れてるのがわかるやろか?」
そっと触れると、確かにかなり熱を持っているのがわかる。
「少しでも異常があると感じたら、すぐに先生に報告するようにね。僕らが一番わかってあげられる問題やからね」
垣屋の説明に岡部は大きく頷いた。
「次はさっきの『ジクウ』の番だよ」
垣屋に教わりながら、まず『ジクウ』の頭に轡を付ける。
「これ、竜によってはもの凄い厭がるけども、付けてしまえば落ち着くから。暴れさせて、いらん怪我させへんようにね」
岡部は説明通りに竜の額を撫でながら口を開かせ、竜牙に轡を引っ掛けた。
大人しく轡を付けさせてくれて偉いぞと、褒めるように首筋を撫でると、竜は甘えて岡部に顔を擦りつけた。
「へえ。研修だけでもそんな風にできるようになるもんなんやね。僕なんて初回はかなりおっかなびっくりで、別所さんにビビるな言うてごつい叱られたもんやけど」
垣屋の話に、牧がそうでしたねと言って笑い出した。
「相性が良いんですかね。この子と」
月毛の竜は、岡部に甘えて顔を擦り付け続けている。
岡部は、『サケジクウ』の轡に手綱を付けると竜房の外に曳いて行き引き運動をさせた。
「今日は『ジクウ』調教があるから、鞍付けて竜房の外に繋げといてな」
垣屋はそう言って自分の竜の引き運動に入った。
暫くすると竜房に長井が現れた。
「岡部君、先生と相談して今日から乗ってもらう事になったから」
そう言われ岡部は事務室に連れて行かれた。
事務室の奥の机に戸川が座っており、帳面を見ながら難しい顔をしている。
「おお、来たな」
戸川は帳面から顔を上げると、岡部に接客長椅子に座るように促した。
今日調教する二頭のうちの一頭を岡部にやらせると戸川は言った。
緊張する岡部に、どうせ乗るなら休み期間である今のうちに乗って、慣れておいた方が良いからと説明した。
「来月中頃から徐々に運動増えるやろうけど、今は緩ませる時期やから毎日乗ってもらうから、そのつもりでな」
いつもの緩んだ顔ではなく、いたって真面目な顔で戸川は言った。
「来月までは基本軽めでしか追わへんけども、もし君に異変を感じたらすぐに調教を止めるようにな」
岡部も真顔で頷く。
「今日は僕の後ろを付いてくれば良えから。時計とかは気にせんで。調整やと思って乗れば良えから」
長井もいつもの感じではなく、少しピリピリした感じを出している。
長井と岡部が外に出ると、自分が鞍を乗せた『サケジクウ』の他に、『サケホウセイ』という七歳の鹿毛の牡竜が用意されていた。
岡部は緩衝着と防護帽を身につけ鞭を腰にひっかけ、『ジクウ』の引き綱を引きながら、ゆったりと調教場へ向かって行った。
『ホウセイ』は花房が引き綱を引いている。
調教場につくと、既にそこそこの頭数の竜が乗り運動を行っていた。
長井と岡部は花房に手伝われそれぞれの竜に騎乗。
まずは『
暫く輪乗りをしていると、竜の背から明らかに気合が乗ってくる気配を感じる。
「そろそろ良えやろ」
長井は輪乗りから外れ、直線路に向かって竜を進ませる。
岡部もそれに習って竜を進ませる。
長井は徐々に徐々に速度を上げていった。
岡部もそれを追って徐々に速度を上げる。
ある程度速度を上げると、その速度を保ち小回りで周回をし、最後はゆっくりと輪乗り場に戻って来た。
長井は岡部を見ると、ごくろうさんと言って微笑んだ。
竜から降りると、花房と二人で竜を引いて三人で竜房へ戻った。
「君、調教資格取ったんやね。あれって結構難しいって聞くけど、どうやったん?」
そう花房が話しかけてきた。
「元々、少し乗った事がありましたから。ただ研修中に落竜して大騒ぎになっちゃいましたけどね」
そう言って岡部が笑い出すと、長井は、笑い事かよと言って笑い出した。
「ああ、聞いたわ。先生も長井さんも日野さんも血相変えとったやつや」
花房は、あの日夜勤だったようで、出勤してきたら厩舎がてんやわんやになっていたらしい。
「まだ、どこまでやれるかわからないんですけどね」
「君の方もやけど、竜にも怪我させんよう気い付けてや」
そう言うと花房は先に洗い場に入って行った。
岡部も洗い場に入り柱に引き綱をかけ鞍を外した。
まずは脚元の状態の確認から行う。
特に熱を持っているわけでも気にしてる風も無い。
蹄に何か刺さっていたりもしないし腫れも無い。
水で汗を流し強めにブラシをかける。
それが気持ちが良いらしく、『ジクウ』は大型鳥類のような鳴き声をあげる。
洗い場から竜房に戻すと、『ジクウ』は首を出して頭を岡部にこすりつけてきた。
竜の顔の二倍ほどはある大きな桶を用意し、垣屋に教えられた配合で餌を桶に入れる。
餌の配合は一頭一頭異なり、完全に各厩舎の企業秘密なので絶対に口外してはならないと、垣屋はかなり厳しい口調で指導した。
桶を竜房に引っ掛けると『ジクウ』は桶に顔を突っ込み、美味しそうに食べはじめる。
その姿を、岡部は微笑みながらじっと見つめていた。
ふと見ると、岡部を残し厩務員は全員いなくなっていた。
そこに戸川がやってきた。
「どうや? こんな感じやけども。やってけそうかい?」
問題無いと思うと、岡部は頼もしい返事をした。
「明日からは、午後から君の調教がどの程度できるんか色々試すから、そのつもりでな」
逆に言えばどうなったら調教ができなくなるかを試すという事である。
そう思うと変な緊張が走る。
岡部は黙って頷いた。
「吉川も手伝ってくれる言うてたし、長井と相良んとこの
そう言うと、ちょうど津野が相良厩舎から出てきた。
戸川は大声で津野を呼びつける。
背が低く丸顔。
笑うと目が細くなるのが特徴である。
岡部同様、厩務員で調教資格を取って調教助手をしているらしい。
「彼が例の方ですか。先生から話は聞いてますよ」
そう言って岡部に握手を求めた。
岡部も握手を返した。
「まあ、休みの為やと思って明日からよろしうな」
「え? それ、ほんまの話やったんですか? それやったらいくらでも協力しますわ」
津野は岡部の肩をぽんと叩き、よろしくと言って事務所に帰って行った。
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