第14話 情勢

 朝、いつもの時間に目を覚ますと、布団をたたみ着替えて食卓へ向かった。

食卓では、やはり戸川が既に起き朝食をとっている。


 朝の挨拶をかわすと、岡部の席にも朝食の膳が用意された。

味噌汁、お新香に、主菜は小さ目のお好み焼き。


 岡部が食べ始めると戸川が口を開いた。


「戸籍が取れたら、謄本貰ってその足で競竜場に来てや。すぐに厩務員の登録手続きしてもらうから」


 厩舎棟の守衛口で戸川を呼び出せば、後は戸川が案内するという事だった。

そこまで話すと奥さんが口を挿んだ。


「行ったらすぐに手続きしてもらえるもんなん?」


「手続きはな。研修がいつからかはわからへんが」


「そしたら私、ちょっと待ってた方が良えかもね」


 そうしてくれとお願いすると戸川は岡部を一瞥し、今日はなんだか気が軽いと弾むように食卓を後にした。


 岡部は奥さんと共に引き続き朝食をとり続けている。

すると不意に奥さんが口を開いた。


「厩務員になったら綱一郎さんは寮に入るん?」


「そういう説明でしたね」


 奥さんが何が言いたいのかわからず、岡部の返答も少し探り探りになっている。


「ずっとうちにおるわけには、いかへんのやろか?」


「そんな御迷惑は……」


 岡部の反応に、いつも優しい顔を向ける奥さんが、突然きつい顔をする。


「綱一郎さんは家族になったんよ! そんな言い方せんといてよ!」


 岡部は奥さんの少し厳しい顔を見ると、しまったという顔をする。

それを見た奥さんも少し対応を間違ったと感じたらしい。


「綱ちゃん、家族なんやから遠慮はあかんのよ」


 奥さんは、またいつもの優しい顔に戻っている。

声もいつもの小鈴のような透き通る声に戻っている。


 岡部は朝食を食べ終わるとすぐに席を立った。


「嬉しいです。そんな風に言ってもらえて」


 岡部は気恥ずかしさから奥さんからは目を反らし、自分の分と戸川の分の膳を流しに運んだ。


「昨日言ってた好きなお好み焼き、まさにこういう感じなんです。僕もこういうお好み焼き何度でも食べたいです」


 岡部の独白を聞き、奥さんの顔がパッと明るくなった。


「そしたら明日もお好み焼きにしようね!」


「いや、それはさすがにちょっと……」


 二人は顔を見合わせ笑い出した。




 洗顔を終えると、すっかり朝の一連の行動となった、新聞、番組での情報収集に入る。

布団をしまい長机と座布団を敷き、テレビの電源を入れる。

するとそこに、奥さんが洗い物を終え客間に顔を出した。


 競竜の速報が終わると、番組は昨日の球技速報に変わる。

担当曜日の球技は送球そうきゅう


 昨日梨奈に言われた事を思い出し新聞を見ると、総当たり表に西府の名前を見つけた。

テレビの映像では手の平大の球を掴んで、選手間で回しながら、相手コートの外に設置されたかなり小さ目のゴールに投げ込んでいる。

ゴールの前には相手の選手が立ちふさがり、選手は跳躍しながら相手選手の隙からゴールに投げ込んでいる。


 見た事のある球技である。

すぐそこまで出かかっている。

だが残念ながら、岡部はこの球技の名前を思い出せなかった。


「西府はほんまに、闘球とうきゅう以外はさっぱりやな……」


「皇都や西府って球団何種類くらいあるんです?」


「皇都と西府が四種で他は三種よ」


 確か以前の説明で、一週間毎日別の球技を行っているという事だった。

つまり全七球技。

とすると皇都も西府も、三球技はチームが無いということになる。


「それって東国も同じ感じなんですか?」


「西国の特色らしいね。東国なんかは幕府集中らしいし、北国と南国は全郡に球団があって、完全に郡対抗らしいよ」


「幕府集中なんですか?」


「そうらしいよ。幕府に全部の球技の球団があるらしくて、どの球技も幕府が圧倒的に強いんやって。十連覇とか普通にするらしいよ」


 つまり東国は幕府以外は属郡扱いという雰囲気なのだろう。

何となくだが、それ以外の郡に住む人が可哀そうに感じる。


「それって何が面白いんでしょうね?」


「私もそう思うわ。そやけど東国の人は、そういう強い所が強いいうんが面白いんやって」


「その強い相手に食い下がるのを見て、やるじゃんって思うんでしょうかね?」


「そんなん悪趣味やん。なんか歪んでるわ」


 奥さんはケラケラ笑うと客間を後にし、脱衣所に向かっていった。

岡部は勘違いしているのだが、実はこの時間、奥さんは別に球技速報を楽しみにしているわけではない。

球技速報の後の天気予報を見に来ているのだった。



 テレビを見続けていると、政治のニュース、経済のニュース、西国各郡のニュースが流れる。


 一通りニュースを見ていると、目覚めた梨奈が階段を駆け下りてくる音がする。

時計を見ると昨日より三十分近く起床が早く、遅刻という風でもない。

トイレかと思ったが、真っ直ぐ客間に駆け込んできた。


「梨奈ちゃん、おはよう。今日は早いね」


 梨奈は、おはようと挨拶すると、長机の前に座り込んだ。

空いた座布団を渡すと、梨奈はその座布団を尻に敷き直した。

相変わらずの薄着で、見えてはまずいものが薄っすら見えているが、岡部は、なるべく目を反らした。

梨奈は座布団の上にぺたりと座り込むと両足を外側に外した。


「綱一郎さんって父さんのとこで働くん?」


「今日、役場で戸籍もらったら手続きに行くことになってるよ」


「そうしたら家出てしまうん?」


 梨奈は眉をひそめ、少し寂しそうな顔をする。


「そういう話ではあったけど、先の事はまだわからないよ」


 不安そうだった梨奈の顔は、少しだけ明るみをおびた。



「ねえねえ、綱一郎さんは以前はどんなとこに住んではったの?」


 どう説明したらいいかわからなかったが、わからなくてもそれはそれで梨奈は喜ぶと思い、気にせず話し出した。


 静岡県の御前崎という発電所の近くの港町で生まれ育った。

その後は千葉県の白井にある競馬学校に行き、卒業後は茨城県の美浦みほトレーニングセンターの近くに住んでいた。

競馬学校は全寮制で、美浦ではマンションを借りて住んでいた。


 そこまで聞いて、梨奈は少し不思議そうな顔をしている。


「話の腰折って申し訳ないんやけど、一つ聞いて良えかな? ねえ、『マンション』って何?」


 そう言えば、この世界はカタカナ語が少なかったんだった。

岡部は梨奈の質問で、改めてその事を思い出した。


「マンションって、一つの建物で部屋がわかれてて、その一部屋を借りる感じの住居だよ」


「集合借家のことを、綱一郎さんとこではマンション言うんやね」


 マンションは普通に英語だと思っていた。

もしかして、ドイツ語とかフランス語とかなのだろうか。


「そういえば、梨奈ちゃんのところは外国語って習わないの?」


「習うてるよ。今ブリタニスを習うてる」


 新聞を指さし発音良くペイパーと言うと、自分を指さしキューッ、岡部を指さしバスタードゥと言ってケラケラ笑い出した。

バスタードゥがいまいち何のことかわからないが、ブリタニスは恐らく英語ということだろう。


「じゃあマンションって、そのブリタニスじゃないんだね」


「ああ。マンションってそのマンションなん? 綱一郎さんホンマは凄いお金持ちやったの?」


「玄関開けたら一部屋だけの、風呂便所付きのボロい兎小屋に住む、ごく普通の貧乏人だったよ」


 梨奈は岡部の説明が可笑しかったらしく、笑いながらお腹を押さえている。

余程面白かったようで、顔を赤くし涙が垂れそうになっている。


「そういうんは、ブリタニスではアパートメン。マンションいうたら豪邸のことよ」


 岡部にはそれが英語とブリタニスとの差なのか、はたまた実は英語でもそうだったのか判断が付かなかった。


「ブリタニスっていうのは言語の名前なんだよね?」


「言語の名前やけど国の名前でもあるんよ」


「首都は?」


「ピンポン! ロンデニオン!」


 梨奈はボタンを押す仕草の後、人差し指を上に握った右手を岡部の前に突き出すと、勝ち誇ったような顔を向けた。


「ブリタニスは競竜を仕切ってる国やから、覚えておいた方が良えよ」


 そこまで聞くと、ブリタニスがなんとなくイギリスの話っぽいという気がしてくる。


 梨奈は、そうだと言って席を立つと客間を後にした。


 暫くすると階段を駆け下りてくる音が聞こえる。

途中階段を踏み外しそうになったらしく、うわっと声をあげた。


「梨奈ちゃん、あんまりのんびりしてると遅刻するよ?」


「うん。これ渡したら準備する」


 廊下に出たところで、ばったりと奥さんに出くわしたらしい。

そんな会話が漏れ聞こえてきた。


 梨奈が何か本を持って客間に入って来た。


「これもう使わへんやつやから。少しでもこの世界の勉強になったら思て」


 中学一年の地理資料と書かれた雑誌程度の厚さの本を机に置くと、梨奈は客間を後にした。




 岡部は貰った資料をじっくり眺め見ている。

イギリスが『ブリタニス』、フランスが『ゴール』、アメリカが『ペヨーテ』。

自分がいた世界とは全然違う。

地形は全く同じなのに。

得体の知れない恐怖が岡部を襲う。



 じっくり資料で勉強していると、奥さんが客間に顔を出した。


「綱ちゃん、そろそろ役場行ってみようか」


 岡部はテレビを消し梨奈の資料を買い物袋のところに置くと、客間を後にした。

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