第13話 父娘

 二人が戸川宅に戻る頃にはすでに雨は降りやんでいた。

だが空はまだどんよりと煙り、またいつ降り出してくるかわからない。


 家の前で車を降りると、奥さんは車を車庫に収め玄関の鍵を開けた。

岡部は、真っ直ぐ客間に向かいテレビを付ける。


 昼過ぎにワイドショーを放送するのは、この世界でも同じらしい。

ただこの世界は放送局それぞれに特色があるようで、局によって、ずっと政治の話題だったり、ずっと経済の話題だったりしている。

もちろん、ずっと球技の放送局もあれば、ずっと競竜の放送局もある。

共有してるのは天気予報くらいだろうか。

天気専門の放送局もあるのに。

試みに政治の放送局を選んでみたのだが、元の世界のワイドショーと違って、複数の専門家が解説のわかりやすさを競い合っているかのようで、これが本当に同じ日本人の作っている放送なのかと疑問を覚える。



 岡部がテレビに感心していると、梨奈が学校から帰ってきた。

梨奈はちらりと客間を覗き、真っ直ぐ自分の部屋に向かい着替えを済ませると、すぐに客間にやってきた。

体に不似合な大き目の桃色の服に、かぼちゃのような形のズボンを穿いている。


 おかえりなさいと梨奈に言うと、梨奈は照れた顔をしながら相変わらずのか細い声でただいまと返した。

頑張って心を開こうとしている姿が岡部にも見て取れ非情に健気に感じる。


「番組、何か面白いのやってた?」


 梨奈は何とか岡部と接しようと必至に話題を探った。

そしてやっと見つけたのがそれだった。


「随分と放送局が多いんだね」


 岡部の何気ない一言が、梨奈にとっては異界の話に感じて興味深いらしい。


「綱一郎さんのとこは放送局いくつくらいやったの?」


「地域にもよるけど、少ないと三つかな。多いとこでも十とか」


 梨奈は最初、聞き違いと感じたらしい。

だが岡部が指を三本立てるので、聞き違いでは無いとわかった。


「え? たった三つ? 三個しか映らへんとか、それ電視機買う意味あんの?」


「だよね。それなのに法で決まってるからって、同額の視聴料取られるんだよ」


「えええ? 電視機見んのに金取んの? そんなん誰が視んのよ?」


 ずっと思っていたのだが、梨奈は声はか細いのだが語気は強めである。

最初は色々あって気が動転しているからかと思ったが、どうやら素でそういう話し方らしい。


「こっちでは取られないの?」


「だってこれ、全部宣伝やないの。政治の局は政治家の宣伝やし、球技の局は球技団体の宣伝やん。何で視る方が金払うんよ」


 なるほど。

確かに改めて指摘されてみると、この世界の放送局は元の世界のグリーンチャンネルのような業界チャンネルばかりである。


「公共放送って無いの?」


「個人放送やないし、結構国が管理してはるから、全部公共放送みたいなもんやけど」


 公共放送と聞いてそういう感想を抱くということは、つまりは「無い」ということなのだろう。


「いや国が運営する放送局というか……」


「国が視聴を強制して政府に何の得があんの? そもそも公僕の作った番組なん絶対面白ないやん」


 ……まあ、確かに面白くは無かった。

そう言われてしまうと、何であんなチャンネルに金を払わされていたのだろうという気持ちになってしまう。


「ちゃんと情報を伝えれば、面白い必要なんてないんじゃないのかな?」


「いくら国営やからって誰も観へんかったら税金の無駄になるんと違うの? 政治家も何も言わへんの?」


 ……それは……そう。

言われてみれば、何であんないい加減な放送内容で政治家が怒らなかったのだろう?


「教育関係は視聴率とか関係ない方が良いって言われてたなあ」


「それこそちゃんと観てもらわへんと。狂った放送で誰も気付かへんかったら危険やないの」


 そもそも教育番組が狂った事を放送するという発想が無かった。

もしかして国際問題になっているような事って、教育チャンネルが根底にあったりしてるのだろうか?


「政治の情報なんて、国営の放送で垂れ流さないと他では流せないでしょ」


「政治家の専門放送の方が、ちゃんと情報歪まへんと説明できると思うんやけど。そしたら他でやる必要なんてないん違う?」


 確かに。

言われてみれば、政治家が自分の党で番組持って番組運用すれば良いのに、何でやってなかったんだろう?


「こっちでは政治家なんて嘘つくのが仕事みたいなとこがあったよ?」


「そしたら野党の放送局も新聞協会も放送局があるんやから、そっちで対抗放送したら良えのよ。まあ、局三つやったらそれもできへんよね」


 改めてそう言われると、元の世界のテレビは一体何を見せられていたんだろうという気分になってしまう。

あんなのでも子供の頃は愉しみだったのだが。


「俳優さんが演技してるのなんかも宣伝なの?」


「そうや。あれも宣伝やで。映画館とか演劇場や歌劇場とか、俳優協会の宣伝や。宣伝費が出せへんようになったらその放送局は潰れるだけなんよ」


 そうか。

映画館みたいな舞台がスポンサーになっているのか。

確かに舞台がスポンサーなら、俳優を宣伝すれば、その俳優を直接見れると来場が期待できるかもしれない。


「じゃあ放送局って結構変わるものなの?」


「自由経済なんやから栄枯盛衰は当たり前やん。もしかして綱一郎さんところは社会主義の国やったの?」


 現役学生の話は流石に単語が難しい。

なんちゃら主義とか岡部にはもはや大昔の話すぎるし、そもそも社会科はあまり得意では無かった。

……特に得意な教科があったわけでもないが。


「自由経済のはずだけど、報道の自由がどうって、放送局は非常に大事にされてたな」


「政治でそんなんされたら、まともに政治の批判なんできへんやん。それこそ不自由極まりないやないの」


 梨奈のそういう考え方が岡部の世界には無いもので、非情に不思議な感じがする。

そういえば奥さんも岡部の世界の話をすると、それだとこうならないのかとすぐに言っていた。


「そういう制度に対する理由みたいなのって、学校で学ぶものなの?」


「逆に聞くけど、綱一郎さんとこは、ただ制度だけ淡々と教えられたん?」


 そう聞いてくるということは、この世界では単語だけ覚えるというような教育はしていないということだろう。


「社会は記憶科目だったからそうだったね」


「ようそれで覚えられるね。そないな授業聞いて何が面白いんよ」


「もちろん、つまらなかったよ」


 梨奈はその言い回しが相当可笑しかったらしく、顔を赤くしてケラケラと笑いだした。



 梨奈を横に侍らせたまま、岡部は放送局を競竜の局に移動させた。

時間的にとっくに仁級の競竜の中継が始まっている。


 最後に観ることになった仁級の竜は胴が前後に長く、その胴の横から大きな手足が生え、くの字に曲がり地面を押し掴んでいる。

いかにも大きなトカゲといった風で、胴に小さな鞍を置き、そこに騎手が小さくなりながら跨っている。

気になったのは、とにかく色が原色で派手であるということだろう。


「私、仁級って伊級の次に好きやわ。可愛いもん」


 梨奈はそう言うが、レース風景にはスピード感が無く、なんとももっさりとしたものだった。

長い尻尾を左右に振って這う姿は、確かに見方を変えれば愛くるしいのかもしれないが。


「なんだか躍動感みたいなものが乏しいね」


「そうやろか? 別にお金賭けるわけやないから、どの竜が勝ったとか関係無いからね。可愛いが一番や」


 梨奈の言葉で、奥さんが言っていた人気があるという割に級位が最下位なのが、なんとなく合点がいった。


「さっき見た八級の竜の顔も、あれはあれで可愛いかった気がするな」


「嘘やん! あんな禿たおっちゃんみたいなんが? ありえへんよ!」


 梨奈は予想外の意見が面白すぎたようで、お腹を抱えながら大笑いしている。

そう言われるとそう見えるかもと、岡部もつられて笑い出した。


「ずいぶん派手だけど、何色くらいあるんだろう?」


「虹と同じ七色よ。せきとうおうりょくせいらん。元々は自然と同化する為の機能やけど、今ではずっとあの色やね」


「梨奈ちゃんも、結構競竜に詳しいんだね。父さんの仕事の影響なのかな?」


 梨奈が、岡部を『綱一郎』と呼ぶようになったのは岡部も気が付いている。

であるならばと、奥さんが呼んでいるように、ちゃん付けで呼んでみた。

梨奈もすぐにそれに気が付き少し頬が赤らんでいる。


「それもあるかもやけど、球技を見て愉しむ前提として規約を覚えるように、競竜を見る前提としての常識なんやと思う」


「梨奈ちゃんも友達と見に行ったりするの?」


「……私は行かへんけど……学校の人では、行く人もおるみたいよ」


 梨奈が顔を露骨に曇らせたのが岡部は気になった。

だがそれを聞き出したら、心を開こうと頑張っている梨奈の心を永遠に閉ざしてしまうかもと直感で感じた。


 そこから岡部は、テレビの競竜中継をただただ見つめている。

梨奈は何かを岡部に言おうとしているが、中々言い出せないでいる。

そのすれ違いが二人の間に静寂をもたらしてしまっている。



 競竜の中継のスタジオの会話が客間に垂流されると、戸川が帰宅し客間に顔を出した。


「おお! 今日も熱心に競竜のお勉強、感心、感心!」


 戸川は岡部を見て早々にからかった。

一瞬、一杯ひっかけて来たのかとも思ったが、どうやら、であるようだ。

岡部はおかえりなさいと挨拶し、今はこれが仕事だと思っていると返答した。

うんうんと頷くと、今度は梨奈の顔を見た。


「梨奈ちゃん、競竜の中継見るやなんて珍しいね」


 戸川としては、普通に娘と会話がしたかっただけなのだろう。

だが梨奈はその戸川の一言で、それまで必死に支えていた心の中の何かが挫けてしまったらしい。

宿題しなきゃと言って客間から出て行ってしまった。



 戸川は後頭部を手で掻くと、困り顔で岡部の顔を見た。


「どうや? 競竜の事少しはわかったかな?」


「恐らく触り程度は把握したんじゃないかと思います」


「奥が深い世界やからね。この短い間で少しでも把握できたら大したもんや」


 戸川は優しい笑顔を浮かべた。

岡部は止級がまだイマイチよくわからないと申告した。

戸川は止級ねと露骨に気分を落した声を出したが、気を取り直して岡部に説明した。


 伊、呂、八、仁の各級位は、それぞれ調教師や騎手の級位に対応している。

仁級は新人、八級は中堅、呂級が玄人、伊級が名人というのが競竜界の認識である。

元々、止級は一部の国だけが開催しており、国際競竜協会も管轄外の競竜であった。

空や岡の無い国は無いが、海の無い国は存在するのだから当然だろう。


 瑞穂でも、止級の競争を開催する競竜場は、瑞穂競竜協会に属さず競竜場単独で開催していた。

最近になって止級が国際競竜協会に組み入れられることになり、にわかに脚光を浴びることになった。

だが瑞穂では、止級の競竜場はとっくに経営が立ち行かなくなっていたのだった。


 止級を瑞穂競竜協会の制度に組み込むことになった際、どこに組み入れたらいいかで非常に困窮したらしい。

結論が容易に出ずにいると、ある日その会議に一人お調子者が入り、水しぶきがあがる止級は観るに涼しげなので夏の風物詩にしたらどうかと言いだした。

何故かその珍妙な案が採用されてしまうことになる。

その結果、観戦場が砂浜になっている、水着に雪駄で観戦できる競竜という一風変わった競竜場が誕生した。

さらに呂級が伊級に挑戦できる場にしたら、関係者も盛り上がるのではないかということになった。


「じゃあ戸川さんも参加で?」


「うちの会派は、まだ生産も購入販路も知財も整ってへんくてね」


 戸川は、岡部から目を反らしこめかみをぽりぽりと掻いた。


「それはちょっと残念ですね……」


「まあそうやけども、太宰府まで厩舎の人連れていけるほど、うちは余裕あらへんから」


 戸川は非常にバツの悪い顔をする。


「伊級に上がる近道やからね。僕もこれまで何遍も会長に促したんやけど、ちくちくやり返されるだけでね……」


 客間が何とも言えない気まずい空気に支配されてしまっている。



 梨奈ちゃんゆうげよという奥さんの声が聞こえてくる。

二人は無言で顔を見合わすと、立ち上がり客間を後にした。


 今宵の献立は予想通りお好み焼きだった。

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