第10話 提案

 戸川宅に戻ると、梨奈は真っ直ぐ脱衣所に向かって行った。

奥さんは台所に買い物袋を置くと、梨奈と入れ違いに脱衣所に入って行った。


 客間に向かうと、テレビの前に家の主が寝そべっている。

テレビは二人の男性がマイクの前で漫才をしている映像を映している。

何か面白かったらしく戸川が笑い出した。


「ただいま戻りました」


 岡部が挨拶をすると、戸川は照れくさそうに岡部の方を見た。


「買い物は無事済んだん?」


「はい、おかげさまで」


 お金の話をしてお礼を述べると、戸川は、文無しじゃどうしようもないからと笑った。

戸川は座布団に座り直し、真面目な顔を岡部に向ける。


「話聞いた思うけど、厩務員の件はどないやろ?」


 自分は騎手なので、できれば騎手になりたいと岡部は言いだした。

昨日見て未だに魅了されているあの大鳥。

あれに乗ってレースがしてみたいと強い希望を抱いている。


 戸川は、それが制度上極めて困難な夢であることを知っている。

さらに岡部の歳も心配している。


「僕はまだ二三歳で、決して困難な年齢じゃないと思うのですが?」


 岡部も引き下がらない。

だが戸川は、二三歳かとうねり声を上げた。


「やっぱし若い子に交じって学校で騎手見習いするいうんは、色々と気苦労がありすぎんで。それに、この国瑞穂のこと全然知らへんのやろう?」


 それには岡部もぐうの音も出ない。


 そうは言っても、戸川も岡部が競竜に乗りたがっているのは薄々感じてはいる。

そこでまずは厩務員、それでもし乗れるようなら調教助手にしようと思う。

それでもやはり正規の騎手になりたいというなら、そこで申請しなおせば良い。


 もちろん試験などはあるし、仁級からの始動にもなる。

だがそれでも一から競竜学校に通うことを思えば、いくらでも軌道修正が効く。

多分それが一番確実で気苦労が少ないと説明した。


 戸川は、それでも岡部が納得しないようなら、お金の話もしなければと思っていた。

そこまで戸川が説明した所で、奥さんが客間に顔を出し、洗濯物を脱衣所に置くように促してきた。


「あと濡れた靴下も早う脱いでね」


 岡部は、話を一旦区切ってもらい脱衣所に向かった。



 岡部が客間に戻ると、戸川は、先ほどの話で納得してくれたかと問いかけた。

脱衣所に行っている間に覚悟を決めており、岡部はよろしくお願いしますと戸川に仰々しく頭を下げる。


 戸川は胸を撫で下ろし厩務員の話を始めた。


 実は今日、戸川は事務所に行って手続きの詳細を聞いてくれていたらしい。

成人で所属厩舎が既に決まっているのなら、戸籍謄本が必須なだけで、後は身一つで構わないのだそうだ。

研修は一週間から最大一か月、そこは個人の力量で変わる。

午前は学科で午後は実習、競竜にある程度乗れるようになる訓練をするらしい。


「戸籍取得には二日かかるそうです」


「はあ、そうなんや。相変わらずやなあ役場は」


 戸川は大きなため息をついた。

戸籍が得られ、そこから厩務員採用の手続きをし、研修の日程が決まる。

最短でも十日はかかることになる。

研修が終り厩務員の資格が貰えないと、そもそも一人で厩舎棟への出入りができない。



「あの、ずっと気になっていたのですけど、『級』とか『級』とかって何なんですか?」


 そういえばそうだよねと、戸川は席を立ち、何やら録画装置を操作しだした。

円盤状の物を録画装置に挿入して、岡部を見ると、にっと笑顔を作り元の席に戻る。


「さっき言うた『呂級』やけど、口で言うより観てもろうた方早い思うんや。これが、その呂級の競竜や」


 戸川がリモコンを操作すると、テレビには恋愛ドラマの良い感じの場面が映し出された。


「あれ? 何やこれ? どういうこっちゃ?」


 戸川は、誰が見てもはっきりとわかるほどに狼狽えている。


「ああ、遠隔間違えてもうた。こっちやがな。あはは」


 別のリモコンを、テレビの近くから持ってきて操作を始めた。

機械に疎いのか、ニュースの番組が表示されたり、電源が消えたり、円盤状のものが吐き出されたりと、色々もたもたしている。


 そうこうしていると、ゆうげよと梨奈を呼ぶ奥さんの声がした。

奥さんは客間にも顔を出し、ゆうげだよと告げて台所に向かっていった。


「……続きは、ゆうげの後やな」


 岡部は必死に笑いを堪え頷くと、二人で台所に向かった。




 台所に行くと、すでに梨奈は自分の食卓についていた。

制服から腿までのオーバーオールに着替えており、か細い脚が剥き出しになっている。

四人食卓に揃うと、思い思いにいただきますの挨拶をし食事を始めた。


 今宵の献立は、お新香、豆腐と青葱のお味噌汁、おそらく法蓮草と思われる青菜のお浸し、主菜は鶏肉のポン酢煮。

お味噌汁はやはり出汁が強く感じられ、お昼の味噌汁に比べ非常に味が力強く美味しい。

お新香は朝のべったら漬けと違い紀の川だが、甘味が強く非常に旨い。

岡部はお浸しがあまり得意では無いのだが、このお浸しならいくらでも食べられそうだ。

極め付けは主菜の鶏肉。

普通、こういうのには手羽が使われている為、骨が邪魔で微妙に食べにくい。

だがこの鶏肉は、使われているのは同じ手羽でも骨が取られており、肉には強く味が染み、とにかく柔らかく、鶏特有の臭味が一切感じられない。


「旨っ!!!」


 あまりの旨さに、自然に感想が口から洩れ出た。


「凄い柔らかくて、何ですかこれ? 旨っ!」


「ほんまに? 圧力鍋で煮たんよ。若干、味付けがからかったかな思たけど、岡部さんの口には合うたみたいやね」


 奥さんは非常に嬉しそうな顔をしている。

戸川と梨奈は、岡部ほど興奮はしていないようで、黙々と食事を進めている。


「うちの人達、全然、食事の感想やら言うてくれへんから、張り合いないんよ」


 どの料理も旨いから、いちいち言わないだけと戸川が、好きな物は好きってちゃんと言ってると、梨奈がぼそっと、それぞれ呟くように言い訳した。



 食事が一通り済み、茶をすすり終えた梨奈が席を立とうとすると、戸川がそれを制した。

岡部と奥さんで食べ終わった器を流し台に下げると、戸川は二人にも席につくように促した。


「改めて紹介しておこう思うんや」


 戸川は目の前の岡部を見てから右の二人の女性を見る。


「こちらが今日からうちで面倒をみることになった……オカ……モト」


 これは絶対に出てこないやつだと、岡部はすぐに察した。


「岡部綱一郎です。その、よろしくお願いします」


「そう、綱一郎君! この世の人と違うそうやけど仲良うしてやってな」


 間髪入れずに梨奈が、お化けなのと隣の岡部に尋ねた。


「生きてますよ。何というか、別の世界から飛ばされたというか、何というか」


 明らかに梨奈の目が、好奇に満ちた目になっている。


「ほな、いつか、かぐや姫みたいに、元の世界に帰ってまうの?」


 目を輝かせて岡部に尋ねた。

そういうのが琴線に響く年頃なのだろう。

かぐや姫だなんて可愛いらしい例えと、奥さんが囃し立てると、梨奈は少し不貞腐れた表情をした。


 梨奈は不貞腐れたまま、じっとりした目線を父親に向けている。

戸川もその視線に気づいたようで、目を反らし続けている。

実に気まずい。


「年頃の娘がおんのに、よう若い男、拾ってこれたもんやね」


 梨奈は、やや小声だが強い語気で恨みごとを言った。

父親の威厳は一瞬で消しとんでしまい、戸川は梨奈から目を反らし、岡部を通り越し出口の扉に顔を向けている。


「どこ向いとんのよ! 何や間違いがあったら、どないするつもりなんよ。ちゃんとこっち向いて説明して!」


 梨奈は目いっぱい手を伸ばし、戸川の顔を自分の方に向けようとしている。

それを戸川は首だけで必死に抵抗している。


「年頃の娘言うんは、どこにおるんやろうか? もしかして私のことやろか?」


 二人の喧嘩を見て、奥さんがとぼけた声を出した。


「なにが哀しうて、そんな棒切れのおばちゃんの心配せにゃならんのよ」


 梨奈は今度は奥さんに噛みついた。

その物言いに、若干朝の恨みを感じる。


「誰が棒切れよ! 私は誰かさんみたいな板切れと違うのよ」


 奥さんは体をくねらせて梨奈を挑発する。


「どこの世界に、そない枝のしなり見て喜ぶ人がおんのよ」


「年頃の娘言うんやったらね、こう色気を、たぎらせてから言うて欲しいもんやわ」


 奥さんは、何とも古臭いセクシーポーズをとって、梨奈に見せつけている。


「私かて、そのうち、色気がモクモク吹くようになるの!」


 梨奈は机に両手を押し付け、立ち上がった。


「また、そんなありえへんことを……」


 ありえないと断言され、梨奈は完全に怒りのスイッチが入ってしまった。


「希望を持って何が悪いんよ! 大体、誰のせいでこんなペラペラやと思うてんのよ!」


「単なる遺伝やん」


 馬鹿馬鹿しい、奥さんは、ぷいっと梨奈から顔を背ける。


「父さんとこは、どうなんよ? 私、そっちかも知れへんやん!」


「夢観るんは勝手やけど、どう見てもこっちやと思うわ」


 岡部も目の前の戸川と奥さんを見比べてみて、奥さんの方だと感じている。

だがここで余計なことを言うと、自分にとばっちりが来そうで黙っている。


「父さん、婆ちゃんはどうやったん?」


 突然話が自分に飛び、戸川は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。


「何言うてるのかようわからへんが、何かあったんか?」


 戸川は梨奈に冷静に聞き返した。

戸川のその一言に、梨奈は徐々に顔を赤らめ、終いには椅子にへたり込んでしまった。


 気を取り直して戸川が岡部に語り掛けた。


「綱一郎君。戸籍上、君はうちの子いうことになるから、僕を父親やと思うてくれて構へんからね」


 岡部は泥を塗るような事のないように努めますと堅苦しく言うと、戸川に頭を下げた。

奥さんを見ると、奥さんは優しい笑顔で岡部を見返し、いたずらっぽい顔で梨奈を指さす。

続けて梨奈を見ると、耳を真っ赤にして俯いている。


「そしたら、綱一郎君、さっきの話の続きをしよか」


 戸川は席を立つと、何かを思い出したように振り向いた。


「ああそうそう、梨奈ちゃん。死んだ婆さんな、酒樽やったよ」


「……絶望的やん」


 梨奈は寂しく呟いた。




 戸川と岡部は台所を後にし客間に戻った。

戸川はビデオを再生し、岡部に説明を始めようとしている。

すると廊下から、自分の部屋に戻ろうとする梨奈の足音が聞こえてきた。


 すぐに部屋の隅の買い物袋をごそごそとすると、岡部は客間から飛び出した。


「あの、梨奈さん!」


 呼び止められた梨奈は、逃げ出すべきか振り返るべきか暫く葛藤した。

普段の梨奈なら全力で逃げていただろう。

だが岡部が自分の兄になると、今日一日かけて咀嚼した。

頭では理解しており、ずっと逃げ続けるわけにはいかないと感じている。


もじもじしている梨奈の後ろ姿を、岡部は暫く見続けていた。

梨奈は耳を真っ赤にしたまま俯き、ゆっくりと振り返った。

岡部は梨奈が多少なりとも、自分に心を開こうとしてくれていると安心した。


「朝は、その……本当に申し訳なかったです。お詫びといっては何だけど、これを」


 そう言って赤い紙袋を差し出した。

梨奈はその袋を受け取ると、恥ずかしさで口の端をニマニマと動かした。


「ありがとう。その、気にしてへんよ。あと、あの……梨奈で良えから」


 梨奈は逃げ出すように階段を駆け上がり、自分の部屋へと駈け出して行った。



 客間に戻ると戸川は、もう続きを話しても良いのかなと、明らかに待ち疲れたという顔をした。


「あの娘が、あないに元気に喋るんを久々に聞いたな」


 戸川は奥さんと同じ感想を口にした。


「成長するにつれ、どんどん無口になってもうて。もう、どう扱ったもんか、ほんまに困ってたんや」


 戸川は男親の定番の愚痴のようなことを呟きながらリモコンを操作した。

するとテレビには、競竜中継の映像が流れた。


「これが呂級の競竜や!」


 やや長い首を前後させながら、長い尻尾をたなびかせ、四本の長い脚を使って芝生を疾走する多数の竜の姿がテレビに映っている。

その姿はどう見ても馬そのものだった。


「昨日のあの大きな鳥じゃないんですか?」


 昨日のあの鳥は『級』の竜で、最高位の調教師が扱う竜なのだそうだ。

現役の競竜師の中でも、最も優秀な一握りが関われる竜である。

戸川の所属する『呂級』は伊級のすぐ下の級位で、地上を疾駆する竜を扱う。

他にも、『級』『級』『級』がある。

もちろん全部違う種類の竜なのだそうだ。


「騎手として伊級の竜に乗りたいいうんが、いかに困難な夢か少しはわかってくれたやろうか?」


 岡部は黙るしか無かった。

やってみなければわからないじゃないかと思っていた。

だが階級制である以上、零からでは、その機会が得られる確率は限りなく零である。

だからその確率をほんの少しでも上げて行こうというのが戸川の提案の内容だったのだ。


「明日、『八級』と『仁級』は電視機で中継があるから、勉強の為に観てみたら良えよ」


 明日も天気は悪いままなようだし、新聞と競竜の中継を見て色々と学ぶことにしようと岡部は予定を立てた。

いづれにしても戸籍ができないことには何もできることはないのだから……



 暫く無言で競竜中継の録画を見続けていると、奥さんが客間に顔を出し入浴を薦めてきた。

戸川に促されるままに岡部は浴室へ向かった。

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