第9話 買い物

 三星みつぼし統合商社が運営する総合商店に到着した。


 先ほど降り始めた雨はかなり雨脚が強くなっている。

車の後部座席から傘を取り出すと、奥さんは岡部が降りたのを確認し車に鍵をかけ、真っ直ぐ飲食店に向かって歩き出した。


 外観は非常に小洒落ていて、暖簾には『一善飯 おりひめ』と書かれている。

店内も非常に綺麗で、昨日の串焼き屋とは真逆のものを感じる。


 食べたいものを盆に取って席に座ると、ご飯が運ばれてくる制度だと奥さんから説明を受けた。

朝食の印象が色濃く残っているせいか、岡部は、真っ先にお新香とお味噌汁を膳に乗せる。

主菜を何にするか非常に悩んだのだが、厚切り豚の竜田揚げを選んだ。


 店内を見渡すと既に奥さんが着席しており、その前の席に座る。

奥さんの盆をみると、主菜ははもの湯引きだった。


 味噌汁をすすり、ご飯を口に運び、お新香を齧る。

改めて奥さんの料理の腕が高いという事を再認識する。

竜田揚げは味付け自体は非常に良く、下味のにんにく、生姜、醤油がかなり強く感じられ、噛むと中から肉汁があふれ出てきた。

全体としては非情に美味しいのだが、肉も衣もやや固く食感が微妙に悪い。

これがとんかつとの差なのかと思うと少し残念だった。


 膳を食べ終えお茶を啜ると、奥さんが肩掛け鞄から財布を取り出した。


「何必要なんかわからへんし、付き添うのも何やから、自分で要るもん考えて、これで収まる範囲で買うてきて」


 財布から一万円札を出すと、岡部の目の前に差し出した。

奥さんは、一通り商店を見たら隣の甘味処で待っているとのことだった。

岡部は深々と頭を下げ感謝すると、先に飯屋を後にした。




 色々と商店を眺め見て最低限必要なものが何かを考える。

最低限の着替え、髭剃り、財布、後は何が必要だろうか?

一万円で買える範囲だと髭剃りはT字で済むだろう。

財布はとりあえずお金が入ればそれでいい。

服もシャツが二、三枚と、替えのズボンがあればそれで事足りる。

後は下着が数枚、靴下が数足。

残りは奥さんにちゃんと返そう。


 まずは百円均一の店に入った。

この世界にも百均があることに驚くが、中に入ると見慣れた百均であることに更に驚く。

思った以上に買うものが無かったが、財布代わりになりそうな小物入れを購入。

大黒天の描かれた一万円札を会計に出すと、お釣りを受けとり、早速小物入れに入れる。

消費税は無いらしく、お釣りは九九百円ちょうどだった。


 このお店で改めて思うことがある。

とにかく異常にカタカナ語が少ない。

ガラスコップの値札にはコップではなく水飲みと記載されているし、ジョッキには壺杯と記載されている。


 次に入った衣服屋でそれは顕著に感じた。

シャツやズボンではなく、上衣、単衣、長袴、作業袴などと書かれている。

もはやこの時点で値札だけを見てもそれが何なのか全く理解ができない。

襟無単衣と書かれた柄シャツを三着、藍袴と書かれたジーンズを一着、靴下を三足一品、下着を三枚一品購入。

武内たけのうち宿祢すくねという聞いた事の無い人物の肖像画の千円札と、百円硬貨で支払いをした。



 この世界に、カタカナ語が極端に少ないというのは、昨日から薄々感じてはいた。

串焼き屋の品書きにビールではなく『麦酒』と書かれていたし、駅では戸川がホームではなく乗車場と言っていた。

どういう理由かはわからないが、この国では外来文化があまり浸透していないらしい。

先ほどの飯屋で、とんかつが無く竜田揚げだったのは、おそらくパンがそこまで一般的な食材では無いからなのだろう。

シャツやジーンズがあるということは、外国の文化が全く入っていないわけではない。

恐らくこの国の人達は、カタカナで書かれることに何かしら抵抗を感じるのだろう。


 これが恐竜が生き残っているという事で起こった世界の違いというやつなのだろうか?


 そんなことをぼんやりと考えていると『小万屋こよろずや』と書かれた店を見つけた。

中に入って気が付いたのはコンビニに似ているということだった。

髭剃りと泡缶を購入し他の商品を物色する。

聖徳太子の書かれた五千円札で支払いし、お釣りを受け取った。

パンはちゃんと『小麦麩』という名前で売っている。

いよいよこの世界のことがよくわからなくなってきた。



 一通り買い物を済ませると、待ち合わせの甘味処に向かう途中に小間物店を見つけた。

朝の非礼のおわびに何か買って贈ろうと考えた。


 お金を借りている分際で高価な物を贈るのもどうかと思ったので、かなり安目でそれなりに見える物を探す。

目についたのは『髪輪』と書かれたシュシュのようなもの。

薄桃色と薄水色のものがある。

朝のことが微妙に思い出される。

ここで水色はさすがに何かを思い出させると思い薄桃色の方を選択。

……こっちはこっちで何かを思い出さないでも無いのだが。

贈答用に可愛い袋に入れてもらった。



 甘味処に入ると奥さんが待っていて、既に何かを食した痕跡がある。

こっちこっちと岡部を手招きしている。

奥さんは岡部が買い物をしている間、八百屋で夕飯の仕入れをしていたらしい。


 奥さんの前の席に座ると、促されるままに品書きを見た。

岡部は、それほど甘いものが苦手なわけではない。

だが粒あんだけはどうにも不得手である。

それが含まれなさそうな物ということで、牛乳冷果を選んだ。


 余ったお金を返そうとしたのだが、当座の自由なお金として使うようにと言ってくれた。

実入りがあった時点でお返ししますと言うと、奥さんは、そこまで気にしなくて良いとほほ笑んだ。


 先ほど気になった、カタカナ語が少ないという話をしてみたのだが、奥さんにはピンと来ないらしく、会話はそこで止まってしまった。


 暫くして牛乳冷菓が運ばれてきた。

見た目は完全にバニラアイスである。

一口掬って口に運ぶと牛乳の風味が口一杯に溢れた。

確かに美味しいのは美味しいのだが何かが足らない。

もう一口食べ、それがバニラの風味であることに気付く。

たったそれだけのことで、ここまで片手落ちの印象を受けるとは。




 車に戻ると、雨はいっそう大粒になっており地面を強く叩いていた。

時計は三時を指している。


 雨が車の屋根を打ち、心地よい音楽を奏でている。


「家に帰ったら糊を落すから、買うたもんを脱衣所に置いといてね」


 そう言うと奥さんは何かを思い出したようで、クスクスと笑いだした。


「ちゃんと戸を開ける前に確認せんとね。さすがに次は誤魔化せへんよ?」


 岡部は恐縮して、申し訳ありませんでしたと小さく頭を下げた。


「そやけど朝のあの娘、面白かったわあ。そういうたら、さっき食べてた冷菓に梨奈ちゃん乗ってたね」


 奥さんはあははと笑い出した。

奥さんなりに岡部と打ち解けようと気を使ってくれているだろうことは、はっきりと感じ取れはする。

冷菓に乗っていたウェハースも思い出しはするが、さすがに笑うわけにはいかなかった。


「そんな風に言ったら酷いですよ」


 岡部は眉をひそませ、困り顔を奥さんに向けた。

奥さんは悪びれもせず笑い続けている。

これがこの親子の距離感なんだと思うと、何ともうらやましく感じる。


 前硝子の雨よけが左右に動き、それがなんだか心地よさを感じた。




 二人を乗せた車が戸川宅に向かう道にさしかかると、傘をさして帰宅の途についている梨奈の姿があった。

車は梨奈を追い抜き戸川宅の前で停止した。


 岡部は先に車を降りると傘を差し、奥さんが車を車庫に収めるのを待った。


 奥さんより先に梨奈が帰宅。

岡部は梨奈に、おかえりなさいと言って優しく微笑みかける。

梨奈は俯き傘を前に傾け、か細い声でただいまと呟いた。

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