第11話 客間

 翌朝、恐ろしいことに目が覚めたのは、やはり三時半すぎだった。


 布団をたたみ食卓に向かうと、戸川がこれから食事をとるところであった。

岡部は夫妻に朝の挨拶をすると食卓に着席。


 戸川は岡部の顔を見ると、少しはこの世界のことが理解できたかと聞いてきた。

正直言って岡部にはまだわからない事だらけである。


「そういえば、綱一郎さんの住んでたとこの話、聞きたいわあ」


 奥さんが膳の支度をしながら岡部に話しかけてきた。


 そうですねと一呼吸置くと、朝食の厚焼き玉子を食べながら、今現在わかっているこの世界との違いを話し始めた。

国名は日本と言った事、恐竜はおらず馬や牛がずっと文化の中心であった事、外来語が溢れている事、お札の絵柄も全然違う事などなど。


「お札の絵柄が文化人いうんは違和感が半端ないな」


 戸川は話の中のお金の部分に一番食いついた。


「理由はよくわからないですけど、絵柄が変わっても別の文化人でしたね」


「へえ。物書きに経済の何の御利益があるんやろな?」


 その戸川の発言で、昨日いただいた一万円札の絵柄が大黒天だったことを思いだす。


「あの千円札の肖像画は誰なんですか?」


「ああ、武内たけのうちの宿祢すくねやね。聖徳太子より古い伝説の政治家や。もしかしたら、綱一郎くんの世界にはおらん人なんかもしれへんな」


 聞いたこともない人物の名前なので、知らないのか存在しないのかすらわからない。

戸川は、また続きを聞かせてくれと言い席を立つと、新聞を岡部に渡し食卓を後にした。


 岡部も食事を終えると、自分と戸川の膳を流し台に運んだ。


「今日の厚焼き玉子、出汁が効いてて凄い美味しかったですね」


「やっぱり、これくらい効かさへんとね。美味しうないもんね」


 奥さんはご機嫌な顔を岡部に向ける。

自分の膳を流し台に運びこむと、岡部を追い出し洗い始めた。


 ごちそうさまと言って、岡部は客間に戻った。



 外は昨日から引き続き雨が降り続いているらしい。

窓の外に落ちる雨粒の音が少し気分を落ち着かせる。


 客間の荷物群から髭剃りと泡を取り出し、朝の洗顔に向かった。

小ざっぱりして客間に戻ると、奥さんが長机前の座布団に座りテレビを見ていた。

先日と同じくニュースを見ている。


「猛虎、勝ってると良いですね」


「昨日は野球の日やないのよ。野球は日曜だけ。昨日は『避球ひきゅう』の日」


 『避球』が何かわからないが、奥さんの話によると、各球技団体は顧客の取り合いを避ける為、曜日が宛てがわれているらしい。

野球は日曜の担当で、月曜は避球の日なのだそうだ。

各郡で球団は1つと決められているそうで、例えば野球のように皇都に球団が無ければ、周辺の郡の球団を応援するといった感じらしい。


「人によるんやけどね。父さんは皇都に球団のある球技しか興味ないらしいし、梨奈ちゃんは蹴球しか興味無いみたいやし」


 今の時期はどの球技も西国限定の総当たり戦の時期だそうで、最も盛り上がるのは、各国から上位二球団が出場できる秋以降の連合戦なのだとか。


 岡部はこれまで最も疑問に思っていた、ある事を思い切って聞いてみることにした。


「『西国』『東国』ってよく言ってますけど、この国って東西に別れているんですか?」


「別れてるいうたら別れてるわね。四つに」



 ――瑞穂皇国は、いわゆる連邦国家というやつで、東西南北で統治機構が独立しているらしい。

それぞれ、幕府ばくふ、西府、南府なんふ北府ほくふ国府こくふとしていて、議会もあり、長として知事がおり、憲法もある。


 ただそれだと、悪い奴は他国に逃げてしまうし、鉄道や道路のように国をまたぐ計画ができないので、連邦政府として『瑞穂連合議会』が存在している。

その連合議会の議事堂があるのがこの皇都で、御所も皇都にある。

そんな感じなので、瑞穂の首都はといえばこの皇都だし、元首はといえば天皇陛下だし、首相といえば連合議会から選出された内閣総理大臣ということになる。

ただ税制は各国で決めており、連合議会は各国議会から配分された『供出金』を予算として運営しているので極めて立場が弱いのだとか――



「綱一郎さんとこはどうやったの?」


「全部東京、ここだと幕府でしょうか、そこで一括でした」


 岡部の回答に奥さんは眉をひそめる。


「そんなんやったら、幕府の人らやりたい放題やん。幕府に私らの何がわかるんよ」


 元の世界ではそれが当たり前だったが、奥さんにそう言い切られてしまうと非常に問題なことに思えるから不思議だ。


「そういえば、何で東国は『東府』ではなく『幕府』なんですか?」


「ずっと東国はお武家さんの政権やったかららしいよ?」


 天皇陛下に任命された征夷大将軍という役職の人が長らく世襲で東国を治めていたらしい。

武家の総大将は陣幕というところに鎮座するものらしく、そこから『幕府』というのだとか。

つまり鎌倉幕府とかのあの『幕府』なのだ。


「じゃあ西国は違ったんですか?」


「西国はずっと天皇さんの下や」


 それに『東府』では何だかお豆腐みたいと、奥さんはケラケラと笑い出した。

改めて思うのは梨奈との舌戦でも感じたが、奥さんの頭の回転の早さ。

戸川が奥さんを怖いというのは、この恐ろしいまでの頭の切れもあるのだろう。


「綱一郎さん、こっちに来れて良かったんかもしれへんね」


 奥さんは、笑いすぎて漏れた涙を拭って席を立つと、どこかへ行ってしまった。



 奥さんの説明を踏まえてテレビを見ていると、昨日とは違い少しニュースが理解できる気がする。

残念ながら、そのニュースがどんな意味を持っているかまでは全然わからないのだが。


 競竜の速報では、昨日と違いもうすぐ止級の季節だという特集が流れている。

少しだけ紹介された昨年の映像に驚いた。

体の多くが水中に隠れており全体像を見ることはできないが、大きな尾びれを持った漆黒の竜の姿が映し出されている。

背に特殊な鞍が括り付けられ、シュノーケルを咥えた騎手が腹ばいになっている。

その竜の姿はイルカやシャチを彷彿とさせる。

これが瑞穂競竜の夏の風物詩なのだそうだ。

『今年も夏は太宰府競竜場へ』という文句で特集は締められていた。


 『空の伊級』『陸の呂級』『海の止級』といったところなのだろうか?

じゃあ他の八級と仁級は、いったいどんなものなのだろう?


 競竜の速報が終わると、次は球技の速報になった。

『避球』という全く聞いた事の無い球技の昨日の試合の速報が流れる。


 サッカーボールより少し小さいくらいの球を相手の陣地内の選手に投げてぶつける。

相手の選手は跳躍しながら投げ付けられた球を両手で上に弾き、それを別の選手が捕球。

その選手が、また跳躍しながら相手の選手に投げつける。

捕球できなかった選手はコートの外に追い出され、最後の一人が捕球できなかった時点で相手チームの勝利らしい。


 岡部はこの速報の映像を見て非情に懐かしいものを感じた。

幼い頃学校でよくやっていた『ドッジボール』だ。

ドッジボールのプロリーグがあるとは。

確かに今になって思い返せばルールが良く練られており、プロ選手によるものであれば見てみたいものがある。



「おはようさん。ずいぶんと朝が早いんやね」


 起きてきた梨奈が客間に顔を出した。

岡部が挨拶を返すと寝間着姿の梨奈が、少し耳を赤らせながら客間に入り込んできた。

梨奈は体が非常に細く、反面寝間着はかなりゆとりがある為、非常に隙が多い。

そのせいで見えては不味いものが色々見えてしまっているが、岡部は極力気づかない風を装った。


「この避球って面白そうだよね」


 テレビを指さしたのだが、映像はすっかり政治家の渋い顔に変わっており、慌てて新聞の記事を指さした。


「随分、地味なもんに興味持つんやね」


 相変わらずか細い声ではあるのだが、昨日までの彼女とはうって変わって、今日は表情が明るい。


「地味なんだ。面白そうなのになあ」


「避球は皇都にも西府にも球団があらへんから、どうしても地味になりがちなんよ。七球技で最も後発やし」


 新聞の総当たり表を確認すると、確かに皇都も西府もチームがない。


「だいたい避球なん、小さい頃から誰でもやる球技やしね」


「誰でもやったことのあるものを、専門の人がやるってのが面白いんじゃない」


 目の前の少女は、改めて見ても肌が白く体も細く、どうみてもインドア派にしか見えない。

そんな梨奈には、中々理解はできないかもしれない。


「綱一郎さんの世界には、避球って無かったん?」


 異界の人と紹介された岡部に対し、梨奈はかなり興味深々になってくれているらしい。


 そこに奥さんが顔を出した。


「梨奈ちゃん、そないな格好でゆっくりせんと、はよ着替えてあさげ食べて」


 梨奈は少し拗ねた顔をすると、またねと小さく手を振り客間を後にした。



 暫く岡部は新聞をじっくりと見てはテレビのニュースを見ていた。

とにかく、見れば見るほど自分の世界と異なる事が出てきて驚く事ばかり。

早朝のニュースと違い、朝のニュースはワイドショーのような番組作りになっている。

こういう自分の世界と同じような所もあって、それはそれでまた興味深い。



 玄関から梨奈の行ってきますという声が聞こえる。


 家事を一通り終えた奥さんが客間に入って来る。

そろそろ八級の競竜が始まると、教えに来てくれたのだった。

奥さんは、リモコンでさっと放送局を変えたが、まだ中継が始まる前であった。

その姿を岡部はじっと見つめている。


「あら? ご飯粒か何か付いてたん?」


 奥さんは口元辺りを、探るように触りだした。


「いえ、あの……昨晩の戸川さんと違って、随分その、手際が……」


 そこまで言うと奥さんは噴出した。


「機械音痴のあの人と一緒にせんといてよ!」


 奥さんは、岡部の肩をパンと叩いてげらげら笑いだした。

昨晩の出来事を話すと、嘘でしょと言って腹を抱えてさらに笑った。


 奥さんが笑っている間に競竜中継が始まった。

最初は芸能人と思しき人物がスタジオでやり取りをしていたのだが、暫くすると八級の竜が映し出された。

脚は筋肉質で大きく、二足歩行、胴は丸みを帯びていて羽毛に覆われている。

胴からは長い首が伸び、その先にやや小さめの顔があり、短めの嘴が付いている。

胴には鞍が乗っていて、嘴にくつわが付けられて、厩務員が轡に付けられた引き綱を引いている。


「これが『走竜そうりゅう』いうてね、八級の竜なんよ」


 そう奥さんが解説してくれた。

『走竜』と説明された竜は、一見すると首の太いダチョウのようにも見える。

さっき映像で止級の竜を見たと岡部が言うと、もうそういう時期だねと、しみじみしながら、奥さんは競竜について軽く説明を始めてくれた。


 仁級は『伏竜ふくりゅう』、八級は『走竜そうりゅう』、呂級は『駆竜くりゅう、伊級は『翼竜よくりゅう』、止級が『泳竜えいりゅう』。

それぞれ異なる種類の竜による競竜なのだそうだ。

今、映像に映っている八級は、伊、呂、止のように万人に人気があるわけではなく、仁級のように女性人気が高いわけでもなく、玄人受けする競竜なのだとか。


 ここまで仁級以外の四つは映像で見ており、最後の仁級『伏竜』が非常に気になる。

競竜も球技と同じで各級に曜日が宛がわれており、月火が仁級、火水が八級、木金が呂級、土日が伊級と止級になっている。


「八級はずっと人気が無くてね。起死回生で夜競走始めたら、やっと人気が出たんよ。そしたら仁級と呂級も真似してね」


 そういえば元の世界でも、競艇や地方競馬がナイター競争を開催して人気が出たと聞いた事がある。

本心をいえば競艇も暗い海の上で競争するのは極めて危険だし、競馬も馬は夜は寝る生き物なので、あまり遅い時間に開催はしたくは無らしい。

だが、夜中ライトに照らされた景色というものは、観る側にとっては非常に目に映えるものなのだ。


「会社帰りの人が見れますもんね」


「そうなんよ! 今では球技と夜の客の取り合いが熾烈でね」


「酒場は大喜びですね!」


 奥さんは本当だねと、ケラケラと笑っている。

パッと見ではあるが八級の競竜場は皇都に比べ、少し小さ目に感じた。


 新聞をパラパラとみると竜柱を見つけた。

残念ながら本日の主競走だけの記載だったが、距離に千百間と書かれている。

哀しいかな岡部には『けん』の単位がわからない。

どう聞いたら良いかもわからないので、そのままにしておくしかなかった。


「もう少ししたらひるげやから、その前に買い出しに行きましょか」


 奥さんは席を立つとどこかに行ってしまった。

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