第7話 朝食

 意識が戻り、どん帳のような瞼がゆっくりと開き始める。


 さすがにいつもの自分の寝具とは異なり、熟睡とまではいかなかったものの、かなりゆっくりと休めた。

目が覚めたら元の自分の部屋というのを期待してはいたが、そんなにうまいことにはなってはいなかった。

もちろん病院でもない。


 今が何時なのか室内をキョロキョロとする。

習慣というのは恐ろしいもので、壁に掛けられた時計は、いつもの起床時間である三時半を指している。

普段は目覚まし時計を複数かけないと起きられないのに、おかしなものだと不思議がった。

ふと客間の外から物音がするのに気が付く。



 起き上がり布団をたたみ、静かに引き戸を開け廊下に出て、台所と思われる場所に向かう。

既にこの家の夫妻が起きていて、活動を開始していた。

朝の挨拶をすると、主の戸川は朝食を取り終えていて、茶を啜りながら新聞を読んでいる。

戸川は読んでいた新聞を少し下げると、岡部の方を見た。


「申し訳ない。起こしてもうたかな?」


 戸川は読んでいた新聞を丁寧に折りたたむと机の上に置いた。


「いえ、いつもの習慣なんです」


「そういえば君、騎手やっとったって言うてたもんね」


 岡部は奥さんの招きで戸川の向いの椅子に着席した。

戸川の席の横と岡部の前に、奥さんが膳を用意している。

交代に戸川は席を立った。

食卓に置かれた新聞には『競技日報きょうぎにっぽう』と書かれている。


「僕はもう仕事に行くけども、君の事は妻に任せたから何も心配せんで良えからね」


 欠伸をしながら戸川は台所を後にした。

戸川が出て行った入り口の壁には、下に大きく『瑞穂競竜執行会』と書かれたカレンダーが掛かっており六月の項になっている。

三週目の金曜日に何やら書いてある部分が見えるが何が書いてあるかまではわからない。


 正面に目を移すと、ご飯とみそ汁、お新香に味付け海苔、肉と野菜の 炒め物が置かれていた。

いただきますと手を合わせ味噌汁を口にする。

薄味だが、しっかりと出汁の効いた豆腐とお揚げの味噌汁。

お新香も薄口ながら、ほんのり素材以外の味がする。

炒め物も、色は薄いながらも味はしっかりしており実に美味しい。

ご飯までも美味しいというのは、水が良いのか米が良いのか、はたまた奥さんの料理の腕が良いのか。


「非常に美味しいです! こんな美味しいご飯久々に口にしました!」


「昨日のゆうげの残りやから、そないな風に言われたら恥ずかしいわ」


 奥さんは本当に恥ずかしそうに、岡部から目を反らしキャベツを口に運んだ。



 あらかた朝食を取り終えた頃、奥さんが口を開いた。


 今後の話として、まず何をするにしても戸籍が必要である。

それについては先ほど夫婦で話し合って、孤児縁組ということで手続きをすることにした。

色々思うところはあると思うが、生活をしていくために最低限必要なことと納得してもらいたい。


 騎手をしていたということなので、当面は戸川の厩舎きゅうしゃ厩務員きゅうむいんとして働いてはどうかと戸川から提案がある。

もし厩務員になるなら厩務員宿舎があるので、そこが利用できる。


 いづれにしても全ての手続きが終わるまで一週間くらいはかかると思われる。

生活に必要なものも色々と買い揃えなければならないだろう。

生活が落ち着くまでは、うちでゆっくりしていったら良い。


 これだけの事を告げると奥さんは膳を片付け始めた。


 岡部は学生時代の習慣で自分の膳は自分で台所に運んだ。

だが、それ以上をやろうとしたところで、奥さんから邪魔だからと流し台から追い出された。

洗い物が済むと奥さんは岡部の顔を見て微笑んだ。


「昔からね『拾い物には福がある』て聞くからね。うちは勝負師の家やから」


 奥さんの言葉に、胸の奥がじんと熱くなるのを感じる。

自分のいた世界は、こんなに人情に篤かっただろうか?

そう思うと岡部は少し目を潤ませた。


「もう一つだけ、甘えさせてもらっても構わないでしょうか?」


 岡部は、その手続きに自分も同行させてほしいと願い出た。

奥さんは優しく微笑むと岡部の提案を快諾した。



 外は薄っすらと明るくなっている。

朝食を済ませまた元の客間に戻ると、奥さんも一緒に客間に入って来た。

そそくさと布団を片付ける奥さんを見て、岡部も壁に立てかけられた長机を元の位置に戻し座布団を四枚敷く。

奥さんは岡部の隣に座るとテレビの電源を入れた。


 テレビには時事ニュースが映し出されている。

つけてすぐのニュースは、昨日戸川と見たあの競竜の速報だった。

竜王賞を勝ったのは『ブリタニス』という国の竜で『ハイランダーソード』という名前の竜だったらしい。

この国から出走した竜としては『タケノゴウソウ』という竜が最先着で四着だったらしい。


 昨日新聞を見せてもらい竜柱を確認したが、さすがに竜の名前までは覚えていない。

確か全部で八頭だったはずなので、四着が最先着ということは完敗ではないか。


 暫くすると競竜の速報が終り球技の速報になり、昨日行われた野球の速報が流れる。


「なんや、うちとこまた負けたんか。もう虎やなくて猫にしたら良えのに」


 少しご立腹になった奥さんは、吐き捨てるように言うと席を立った。

テレビは野球の速報が終わり天気予報が流れている。


「朝一で役場に行くからね。それに合わせて準備しといてね」


 それだけ言うと、奥さんはそそくさとどこかに行ってしまった。



 部屋の時計は四時半を示している。

岡部は何か情報を仕入れないとと、引き続きテレビを眺め続けている。


 天気は、最初西国の天気、続いて皇都周辺の天気に移った。

全国では無く西日本だけ、それも自分の知っている県区分より少しざっくりとしている。


 天気の後は、政治、経済のニュースが流れる。

中には外国のニュースもあったのだが、やはりどこの国の事か全くわからない。


 この国が日本ではなく『瑞穂みずほ』という名前らしいという事は何となくわかった。

皇室一家の速報もあり、天皇と皇室が存在している事もわかった。

皇都というくらいだから、東京ではなく京都に住んでいるんだろうとぼんやりと察する。

しきりと『西国さいごく』という単語が出てくる。

西国議会ではとか、西国知事がとか。

この国は東西で統治機構が二分しているという事なのだろうか?


「昨日着てたもん、ここ置くから着替えてね」


 奥さんが客間に顔を出し、服を置いてまたすぐにどこかに行ってしまった。

昨晩、あれからすぐに服を洗濯し朝まで乾燥させてくれていたらしい。

まだほんのり温もりが残っている。



 時計は六時を指そうとしている。

外はすっかり明るくなっている。


 服を着替えると借りていた渋い青の寝巻をたたんだ。

寝巻を持って奥さんを探そうと廊下に出ると、ばったり奥さんと鉢合わせた。


「あらあ、別にたたまへんでも良かったのに。あ、それと浴室のとこ昨日下着と一緒に歯磨き買うてきてくれてはるからね」


 奥さんは浴衣を受けとり、そそくさとまたどこかへ行ってしまった。



 それから三十分ほどまた速報を眺めた。

また球技の速報が流れ、『西府猛虎軍』が『広島紅鯉軍』に完敗したという。

順位表を見ると西国野球は八チームで、西府猛虎、岡山白鷺、松江千鳥、芸府紅鯉、高知猛鷹、太宰府白梅、隈府黒熊、霧島十字。

首位は現在の時点で霧島十字、それを太宰府白梅が追っているらしい。

残念ながら奥さんの贔屓にしている西府猛虎は最下位のようだ。

それは不機嫌にもなるなと少し納得した。


 そういえばと席を立ち、思い出したかのように洗顔に浴室へ向かった。



 浴室前の脱衣所の扉を開けると思いがけぬ先客がいた。


 中学生、一年生くらいだろうか。

亜麻色かかった髪は肩よりやや短く、背は小さい。

透き通るような白い肌は全体的に線が細く薄く、胸も薄め。

上半身は何も着ておらず下は薄水色の下着だけ。

ちょうど寝間着を脱ぎ終えたところだった。


 少女はすぐに手にした寝間着で胸を隠すと、大きく距離を置いて小さな肩を震わせた。

幼さの残る顔は徐々に紅潮していき耳まで赤く染まっていく。


 岡部はとっさに謝りながら急いで扉を閉じた。


 少し間が空き、この世のものと思えぬ金切声が戸川宅に響き渡った。

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