人類の生き残り戦略としての“おぢ”叩き

ここ最近、特に若い女性を好む中年以降の男性を『おぢ』と呼び過剰に叩く傾向にある。

ここで誤解を恐れずに、己も叩かれることも恐れずに言うのであれば『おぢ』とは一種の『障害』ではないかと考えている。

障害というよりも『LGBTQ』に近い存在なのではないだろうか。


私達人間は年若い男女を“好ましく”思うようにできている。

それは勿論、恋愛的な意味よりもむしろ人としての将来の可能性を見出しての好ましさである。

と、同時にあまりに年下な相手は恋愛対象から自然と外れるようになる。

一方で『おぢ』は年若い異性に対して恋愛的な意味での好ましさを見出してしまってることから世間一般から逸脱しており、非難の的となりやすい。

いくら50代で金持ちのイケオジがいると言っても彼らすら大抵の人々からはもう若い子との恋愛は捨て去るように説得される傾向にある。

なぜか。

人間というのは医学的にも証明されているが、若い人間同士の番ほど健康的な遺伝子を次世代へと繋いでくれる可能性が高いからだ。

つまり、理想としては10代後半から20代前半の異性が惹かれ合い、社会に守られて子供を2人以上産み育てることなのである。

故に若いカップルが惹かれ合う姿をただ描いただけの漫画ですら『尊い』と言われ、世間一般に好まれるのである。


そこに若い子宮を狙う、もう繁殖能力に異常をきたしている、もしくは繁殖能力の劣った『おぢ』が現れると大きな問題へと発展する。

繰り返すが、人類の生き残り戦略として理想なのは『若い男女が健康的な子供を2人以上産み育てる』ことなのだ。

『おぢ』が若い女を好む理由は同時に人類の生き残り戦略にとって非常に極悪なのである。


ところで最初に触れたが、私は『おぢ』のその性的嗜好をLGBTQの性的嗜好と同じように見做している。

なぜ、LGBTQの人々は叩かれても一定の人々に庇われ、『おぢ』だけが一方的に叩かれるのか。

答えは簡単で、LGBTQはもはや最初から『繁殖能力が異常をきたしています!なので異常者同士仲良くすることにします!』と宣言しているに近いからである。

例えば、Lの人にいくら男性を好きになれと言っても無駄であり、特に個人が大切にされる世の中となった今、彼女らに繁殖能力を期待するだけ無駄なのである。

それよりは一定の理解を示し、世の中に溶け込んでもらって誰かを支える立場に回ってもらった方が人類の生き残り戦略としては賢いのだ。

『おぢ』も年齢やその歳になっても同性のパートナーがいないことから既に『繁殖能力が低く異常をきたしてます』と宣言しているようなものだが、残念ながら彼らは繁殖能力に異常をきたしていない、若い女を手にかけようとするから永遠に世間から認めてもらえないのである。


また、女はより良い精子を手に入れるためより周囲に認められているパートナーを選びたがる傾向がある。

自分の成功よりパートナーの出世を喜ぶ女も多いことだろう。

『おぢ』が叩かれ擁護すらされないことは逆に考えると世間から人生経験の未熟さから選ぶ目があまり養われていない若い女への警告ともなる。

この精子は選ぶな、という。


ところでなぜ若い男に手を出す女がそこまで非難されづらいかという問題がある。

答えは簡単でその若い男性の繁殖能力に疑問を持たれるからだ。

不妊の原因が男性に多くあるのもそうだが、そもそもとして勃起しなければ男は子孫を残せないのである。

その女にしか勃起しないというのであればある意味で繁殖能力は異常であり、繁殖能力の異常な者と繁殖能力が低い者がくっついたところで人類的には些細なことなのである。

むしろ彼らを褒め称え気持ち良く繁殖に挑んでもらい、1人でも子供ができれば儲け物というわけだ。




なんてことを通勤電車から思う朝(憂鬱)

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