第5話
クマを撫でたいお客さま、ひと撫で100円でございます。ハハハハ、なんたる無駄遣い。せめて、せめてよ、何かを言えよ。「やぁだ、くすぐったい」「アンタ下手くそ」なんでもいいから、何かを言えよ。はりつけた笑顔、奥の感情。わかんねぇけど、察しちゃうんだナ。お前が言いたいことなんてのはさ、「オッサンに連れていかれるだなんて、ごめんなんです、ちゃっちゃと失せろ」そんなとこだろクソったれ。「あたしが行きたいお家はね、可愛い女の子がいてね、他にもぬいぐるみのお友だちがいてね、みんなでティーパーティーをして、遊べるお家。あなたのお家は、可愛い女の子がいなくて、ぬいぐるみのお友だちがいなくて、だからティーパーティーなんてできないでしょ? やぁだ、やぁだ。あたしはここで、女の子を待つの。もう触らないで、やめて、やめてよ。おまわりさん、こっちですぅ」なら、ちぃとは面白いのかもナ。ハハハ、ごめんな、懐かしのクマよ。許しておくれ、思い出のクマよ。お前がどれだけ嫌がろうが、俺はお前が欲しいんだ。昔懐かし、タカコとの、短い時間を思い出し、お前に執着してるんだ。お前がこの手に入ったのなら、タカコの笑顔が見られるだろうと、時の止まった幼きタカコが、俺の濁った目の前で、ニコニコニコニコ笑うんだ。「とぉちゃん、あたし、あの子がすきなの」「あの変なクマのどこがいいんだ」「変なクマじゃない、可愛いクマさん」「ほいほい、可愛いクマさんね」「とぉちゃん、あの子をとってくれない?」「おいおい、とぉちゃんにできると思ってんのか?」「とぉちゃんなら、できると思うの」はじめて見たさ、キラキラお目目。俺はお前と別の家で暮らしていたか? と悩むほど、見たことのない、キラキラお目目。「そうか。任せとけ」「頑張れ、とぉちゃん」チャリン、チャリン。チャリン、チャリン、チャリン――。財布がどんどん痩せ細る。脳みそ痛ぇし、指が震える。プルプルプルプル震えてる。蟹足を、見るのをやめて、タカコを見た。キラキラお目目が潤んでる。ツンとつつけば、すぐに泣くだろう。財布の中には、ギンギラ銭が、ひぃふぅみぃよぉ。後4回か、取れる気がしねぇ。神様どうか、お願いします。この子を笑顔にしてください。俺の財布が空っぽになって、嫁にガミガミ文句を言われ、皿やらなんやら飛んできたって、俺は構わねぇからさ。神様、神様、どうか頼むよ。この子の頬を、濡らさないでくれよ。チャリン。ツン、ヴィーン……パッ。ツン、ヴィーン……パッ。ヴィーン……スゥ……ヴィーン、ヴィーン、パッ。パチパチ瞬き、おかえり、老いぼれ。ただいま、現在。財布の中には、ギンギラ銭が、ひぃふぅみぃ。クマを撫でたいお客さま、ひと撫で100円でございます。チャリン。ツン、ヴィーン……パッ。ツン、ヴィーン……パッ。ヴィーン……ズ、ズズ……ギュウ……ヴィーン、スルン……ヴィーン……パ。俺じゃダメかい? かわいいクマさん。確かに俺ん家にゃ、可愛い女の子なんていねぇ。ぬいぐるみのお友だちなんかいねぇ。ティーパーティーなんて、そんな洒落たこと、しねぇ。麦茶飲みながら、きゅうりに味噌つけ、ポリポリポリポリ食うのを、ティーパーティーと呼んでいいなら、しているけどナ。なぁなぁ、クマさん、お願いだよぅ。これが最後の1枚なんだよ。俺はいろんな視線に刺されて、いつの間にやら蜂の巣だ。くすり笑っているのはきっと、あまりの下手さを笑う少年。ジィッと同じところばかり刺すのは、このクマが狙う、理想の少女か? 「ほらほら、あの人が取るんだろうから、諦めなさいよ、さあさあ行くわよ」若くねぇ女、母の声。「やだよ、やだよぅ。約束したでしょ? 今度行った時、あったら取ってくれるって。約束したでしょ? ねぇ、ママぁ」「って言っても、あれはもう、あとひとつしかないじゃない。あのおじいさんが取ったらおしまい。あんなにお金使ってるんだもん、きっとお孫さんへのプレゼントとか、そんなところよ、諦めないわ。身なりはあんなだから、湯水の如くお金が湧き出てくるわけじゃあないだろうけど、いい加減取るでしょう。どんな下手くそだって、あんなにやったら」ごめんなさいねぇ、下手くそで。俺にゃやっぱり取れねぇのかな。急に不安が押し寄せる。こんなことならステーキ肉の、1枚や2枚、買えばよかったかもしれねぇ。珍しく肉を、食えばよかったか。握ったこれが、最後の1枚。これで取れなきゃ、おしまいにしよう。どうせご不満ご婦人は、すでにギンギラ銭で財布を、ぶくぶく太らせているのだろうしサ。ちゃっちゃか終わらせ、買い物行くか。どうぞおばさん、待ってりゃクマを、抱かせてやれるぜ。んだけどあと1回だけ、もう1回だけ、やらせておくれよ。まぁた俺は、無駄銭を入れる。どこかの誰かの、貯金箱にサ。チャリン。ツン、ヴィーン……パッ。ツン、ヴィーン……パッ。ヴィーン……ギュウゥ……ヴィーン、ヴィーン、ヴィーン――パッ……ポスッ。テッテレテッテレ、音が鳴る。ピカピカピカピカ、光り出す。「おお、じいちゃんやったじゃん! おめでとう」少年が、手を叩きながらそう言った。下の扉に手を突っ込もうと、屈めば腰がズキンと痛んだ。これを掴んだのは、いつぶりか。掴んだクマは、見た目の割に、軽かった。ぬいぐるみっつうもんは、こんなもんだったか? じぃと立ち尽くす老いぼれ爺。少年は、「その台でそんなに金かけるとか、下手くそすぎるけど。取れてよかったね」口の中、棒付きキャンディーコロコロ転がし、ニコニコ笑って言いやがる。一言余計だ、馬鹿野郎。背後から、うぅ、うぅ、とうめき声。「ほらほら行くわよ」母の声。くるり振り向けばそこに、あの日の死にかけ母娘がいた。『ママぁ、あたし、欲しかったよぅ』あの日の声が、また、目の前にある、食いしばった、への字の口から聞こえた気がした。少女の姿に、タカコが重なる。濁った瞳に、タカコが見える。「嬢ちゃん、これが欲しかったんか」「あぁ、いやそんなことはないんです」てめぇに聞いちゃいねぇってのに。母は娘の盾となる。俺との間に仁王立ち。「そうか。欲しかったんなら、やろうかと思ったんだけどナ」「え……欲しい、欲しい、欲しい!」「こら、やめなさい!」「あたし、クマさん、欲しいよぅ」ひょこり顔出す姫さまに、いつぶりだろうか、スマイル決めて、やっとこ取った、クマを差し出した。かつてタカコが好きだった、懐かしの、毎日見ている、可愛いクマさんを。ヨボヨボの、腕から逃げるとクマさんは、喜び、ピョンピョコ跳ねるように、小さな胸に飛び込んだ。短く細く、ハリのある腕に、包まれる。
やっと、タカコに、渡せた気がした。
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