第22話 初めてのからかわれ

弥枝佳やえかさん帰ったよ」


「ごめんなさい、木井きいさん……」


 本当なら俺がやらなければいけなかった母さんのケアを木井さんにやらせてしまった。


 外でどんな会話があったのかは知らないけど、帰って来た木井さんの表情はちょっと暗かった。


 多分母さんに何か言われたんだろうけど、それを聞く勇気も権利も俺にはない。


「ほんとにごめんなさい」


「謝ってばっかりだね。別に嫌なことは言われてないよ。ちょっと戸惑っただけ」


 木井さんが作ったような笑顔を浮かべる。


 母さんのことだから『ちょっと』で済むようなことはないと思うが、木井さんはこれ以上話す気はないらしいので聞くことはしない。


強一きょういちくんはお母さんに愛されてるんだね」


「そうなんでしょうね。だけど俺はそこまでは望んでないですよ」


 親として俺を大切に思う気持ちはわかるけど、俺の気持ちも少しは考えて欲しい。


「俺は木井さんと離れたくないです」


「それさ、シリアスなところで言うのやめてね? 私ニヤけるの我慢するの大変なんだから」


 木井さんがほっぺたを膨らませて俺を睨む。


「とりあえずね、弥枝佳さんが強一くんと一緒に居ることは許してもらえたの。だけど次に今回みたいなことがあったら絶対に許さないとは言われたから、やっぱり遠出はできないかもね」


「木井さんと逃げたい」


「え?」


「なんでもないです。ちょっと本心がこぼれ落ちただけなので気にしないでください」


「いや、気にするからね?」


 木井さんのほっぺたがみるみる赤くなっていく。


「まあ無理なんですけどね」


「私を気にしてる?」


「そりゃしますよ。俺と一緒に逃げる利点が木井さんにはないですし、それに結局にさせちゃいますから」


 俺は木井さんと一緒に逃げれるならどこへ行っても嬉しいけど、木井さんはそんなことないだろうし、何より俺には逆らえない『運命』がある。


「やっぱりほんとなの? 余命って」


「知ってたんですね」


 木井さんだけでなく、一部の人以外には俺の『余命』については隠していた。


 話したら絶対にめんどくさいことになるし、何よりわざわざ言いふらすことでもないから。


「信じたくなかったけど、さっきの聞いてたらね」


「ですよね。ちなみに知ったのは俺を保健室に迎えに来た時ですか?」


 木井さんが頷いて答える。


 夏休み前最後の日に俺は木井さんを教室に残して保健室に逃げた。


 その時にやなぎ先生と俺の余命について話していた。


 扉の前に木井さんが立っていたから聞こえていたのはわかっていたけど、木井さんが何も言ってこなかったから俺も聞くことはしなかった。


「俺が教室を出てすぐに逃げたんですね」


「ち、違うもん。ちゃんと説明してから走っただけだもん」


「廊下は走ったら駄目ですよ」


「強一くんのせいじゃんか!」


 木井さんがほっぺたを膨らませてムスッとする。


 確かに俺は木井さんを見捨てて後処理を全て任せて、更にめんどくさくなるように言葉を残してから教室を去ったけど……結構俺のせいで驚いた。


「ごめんなさい」


「謝る気ないな?」


「ないですね。木井さんも盗み聞きしてたのめおあいこです」


「何も言えない。だけど強一くんが私を大切に思ってくれてるってあの時知れたから私は聞けて良かったと思ってるよ」


「あの時は『離れたくない』って言えなかったのに、今では普通に言えるのがびっくりですよ」


 柳先生に俺の気持ちをそのまま伝えろと言われたけど、あの時はそれを断った。


 似たようなことは言った気もするけど、どうしても『離れたくない』を言葉にはできなかった。


「強一くんは今でも私と友達になったことを後悔してる?」


「……」


 俺は柳先生に聞かれた時、少し後悔していると答えた。


 それに嘘はない。


 だって木井さんと友達になって、俺は死ぬのが怖くなったのだから。


 だけど今は後悔してるなんて言いたくなかった。


「正直に言うなら複雑です。木井さんと仲良くなれたのは俺にとって本当に幸せなことで、俺の身体のことがなければずっと一緒に居たいと思える人ですから」


「ちょっ、私はそこまでは求めてないんですが!?」


 木井さんが真っ赤になった顔を両手で押さえて俺から顔を逸らす。


「自分で聞いたんじゃないですか。まあ、俺の身体がある以上は、嬉しいだけじゃいられないのも事実です」


「私も後追いしたいかも」


「したら絶交ですから」


 俺はあえて強めに言う。


 その提案が嬉しくないと言ったら嘘になる。


 だってそれなら死んだ後も木井さんと一緒に居られるかもしれないのだから。


 だけどそれはもしもの話で、俺のせいで木井さんが命を落としていい理由にはならない。


「絶交はやだな。だけど私って強一くんがいないと生きてる理由ないんだよね」


「木井さんには友達がいるじゃないですか」


「前にも言ったけど、友達ではないよ。私を私として見てくれるのは強一くんだけだから」


 木井さんが寂しそうな笑顔を俺に向ける。


 言いたいことはわかる。


 俺だって母さんのように俺を『普通の息子』とは思わず『病気持ちの息子』と思われるのは嫌だ。


 それに、クラスの人のように『入院していた同級生』と思うクラスの人は好きになれないけど、俺を『普通の同級生』と思ってくれる木井さんが好きだ。


「そういうところは似てるかもですね」


「言っとくけど、私と似てるから強一くんと仲良くなったわけじゃないからね?」


「そう言われるとそう思ってるように聞こえますよ」


「信じれない?」


「俺は木井さんの言葉を全て信じますよ」


「それならもしも私が──」


 木井さんがそこまで言うと、病室の扉が開く音がした。


 ここは一人部屋ではないので他にも入院している人がいる。


 今はみんな検査中なのか誰もいないけど、同室の誰かが帰って来たのか、それとも母さんが性懲りも無く帰って来たのかもしれない。


 だけど入って来たのはそのどちらでもなく、しかも俺のベッドのカーテンを開いた。


 そこには優しげな表情のスーツの男の人が……


「父さん?」


「うん。大変だったね、それとはじめまして」


 父さんが木井さんに向かって頭を下げる。


 それを見て、驚いていた木井さんが立ち上がって頭を下げた。


「は、はじめまして。私は強一くんのお友達の木井 夢奈ゆなです」


「うん、名前は妻と強一から聞いてるよ。強一と仲良くしてくれて本当にありがとう。僕は強一の父親の伊南いなみ しげるです」


「なんで父さんが?」


 父さんは今の時間はまだ仕事中のはずだ。


「ああ、今日はたまたま早く上がれる日だったからね」


「そういうことね」


 どうやら母さんから連絡がいったようだ。


 なんて言ったのかは知らないけど、俺への説得か繋ぎ役として父さんを頼ったらしい。


「別にお母さんは何も言ってないよ。僕が勝手に心配しただけ」


「父さんは母さんに甘いんだよ。たまには怒った方がいい」


「息子を心配するのは仕方ないことだと思うよ?」


「俺を理由にすれば自分の身体を蔑ろにしていいって?」


「ごもっともだね。それに今日のことは詳しくは聞いてないけど、強一が怒ったんだろ? それだけのことをするのは駄目だよね」


 父さんが困ったような顔で俺を見る。


 父さんとはほとんど話したことがないけど、この人は優しい。


 母さんの過保護とは違い、ちゃんと俺のことを思っての優しさを向けてくる。


 だからちょっと苦手でもある。


「大方、全部の責任を木井さんに擦り付けたんじゃない?」


「うん」


「そっか。ごめんね、妻もいっぱいいっぱいなんだよ。許してくれなんて言わないけど、責めないであげて欲しい」


 父さんが木井さんに再度頭を下げる。


「そ、そんな、頭を上げてください」


「駄目だよ。木井さんは何も悪くないんだから。これは『親』としての謝罪だから受け取って欲しい」


 木井さんは立ち上がってあわあわするが、父さんは頭を上げる気配がない。


 父さんの言う『親』とは、母さんのことだけではなく、多分木井さんの父親のことも入っている。


「事情はある程度のことなら昨日聞いたよ。住む場所は今あるの?」


「それは……」


 どうやらほんとに帰る場所がないようだ。


 詳しくは知らなけど、実家と言えばいいのかわからないけど、木井さんの家はあいつが帰って来るかもしれないと警察が見張っているかもで帰れる状況ではないのだろう。


 それなら警察の方で住む場所を作ってくれればいいものだけど、それもないようだ。


「実際はどうなの?」


「どうなのって?」


「木井さんの家って立ち入り禁止とかなの?」


「そういうわけじゃないよ。昨日は無理を言ってここに泊めさせてもらったから話は後日ってことになってる。だけど多分帰れると思う」


「囮に使うつもりかよ」


 木井さんの父親は多分家には帰らない。


 だけど木井さんが家に居れば帰って来る可能性が上がる。


 色々なはけ口に使う為に。


「強一、まだ決まったわけじゃないよ」


「でもそういうことでしょ? 住む場所があるならもう連絡きててもおかしくないじゃん」


「そうかもしれないけど、これから来るかもしれないんだから」


「だから大人は嫌いなんだよ」


 子供を所詮道具としか思ってない。


 子供は大人の言う通りにしてればいいと本気で思っているのだから。


「耳が痛いね」


「父さんのそういうところがほんとに嫌い」


 父さんは俺を道具だなんて絶対に思ってない。


 だけどこうして大人の代表みたいに自分を責めるようなことを言う。


 普段なら絶対な言わないけど、母さんに全てをさらけ出したせいか本音が漏れた。


「強一がそういうことを言ってくれるのは嬉しいね」


「嫌われて嬉しいって?」


「違うよ。強一が素直にものを言うのが嬉しいんだよ。ずっと僕やお母さんに迷惑をかけるのが嫌だったんだろ? 今回自宅療養を選んだのだって一番お金がかからないからって思ったからだろうし」


 全てお見通しのようだ。


 だからこの人は苦手なんだ。


「強一は嫌だろうけど、僕の言葉を伝えるね。親は子供の幸せを一番に思ってるんだよ、だから子供である強一が僕やお母さんに気を使う必要なんてない。言いたいことがあるなら言えばいいし、迷惑なんてかけてやればいいんだ。それが子供である強一の権利なんだから」


 父さんはそう言って俺の頭を撫でる。


 こんなことは初めてされた。


 全然頭の整理が追いつかない。


 俺は困ったので木井さんに視線を向けた。


「いいお父さんだね」


「なんで俺だけが……」


 木井さんの笑顔を見てそう思う。


 木井さんだって子供なのに、なんで木井さんは親に苦しまされなければいけない。


 これなら俺と木井さんが逆の方が良かった。


「木井さんのお父さんのことは聞いたよ。残念だけどそういう人がいるのはわかってる。だったら強一がその分幸せにしてあげればいいんだよ」


「俺が?」


「当たり前だろ? それとも強一は木井さんが苦しむのをただ眺めているのが正解だと?」


「そんなわけない!」


 俺は無理やり体を起こす。


「きょ、強一くん、いきなり体を起こしたら駄目だよ」


「うるさい」


 俺は木井さんを黙らせて木井さんの綺麗な瞳をまっすぐ見つめる。


「俺は木井さんを幸せにします」


「う、うん」


「だけどそれはこれからのことで、俺は木井さんの『今まで』も幸せにするって決めました」


「今まで?」


「はい。木井さんが今まで辛い思いをしたなら、それを忘れられるようにします。最後には嬉しさが辛さを塗りつぶせるように」


 俺は木井さんから目を逸らさない。


 だけど木井さんの方に目を逸らされた。


「強一がごめんね」


「い、いえ。いつものことなので。それに嬉しいのは事実なので」


 なぜか木井さんが俺ではなく父さんに返事をする。


 モヤモヤするのでふて寝をした。


「あぁ拗ねちゃった」


「強一のこんな姿は初めてだよ。これは更に楽しくなりそうだ」


 見なくてもわかる。


 父さんがすごい楽しそうな顔をしていることが。


「木井さん、帰る場所が決まってないならうちに来ない?」


「え?」


「は?」


 俺と木井さんの声がハモる。


「妻には僕から話しておくから、どう?」


 何を考えているのか。


 母さんと木井さんを一緒に暮らさせたら木井さんが絶対に嫌な思いをする。


「だけど弥枝佳さんは私と一緒に暮らすのに反対しますよ」


「だろうね。たとえ僕が説得しても意味はないと思う。だけどそれは関係ないんだよ」


「と言いますと?」


「だって強一が言っただろ? 木井さんが辛い思いをしたらそれ以上に幸せにするって。だから妻に何か言われたらそれ以上の幸せを強一がくれるってことだよ」


 確かに言ったけど、それは木井さんが辛い思いをしていい理由にはならない。


 それにそんなの木井さんがいいわけ──


「不束者ですがお世話になります」


「ちょっ!?」


「じゃあ今日からおいで。部屋は強一のを使えばいいから」


「至れり尽くせりだ」


 俺は無視で話が進んでいく。


 木井さんにとってはいい話なのかもしれないのはわかる。


 いくら母さんと言えど、そんなあからさまな嫌がらせをするとは思えないし、何かあれば父さんが対処すると思う。


 だけどなんか嫌だ。


「木井さん、強一が自分のいない時に木井さんが家に泊まるのが嫌だって顔をしてるよ」


「強一くんは私とお泊まりするのが夢だもんね」


「そうなのかい? それは悪いことをしたね」


「……うるさい、父さんなんか嫌い」


 俺は子供のようなことを言って毛布を頭から被る。


「強一のこんな素直な姿を見られるなんて、今日は無理して半休を取った甲斐があったよ」


「無理なされてたんですね。だけど強一くんのからかい癖はお父さん譲りなんですね」


「あはは、別に僕はからかってないよ、子供の子供らしいところを見たいのは当然だろ?」


「やっぱり強一くんのお父さんですね」


 なんだか二人が仲良くなってきた。


 それにモヤつきを覚える。


 それから数時間、というか帰るまで、父さんが俺の昔話を話していたので俺はふて寝を続けた。

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