第4話 初めての約束

強一きょういちくん、おはよー」


「今日も元気だね、木井きいさん」


 俺が学校に通い始めてから数日が経った。


 特に何事もなく学校生活を遅れていると思う。


 木井さんは隣なのもあってか、こうして毎日元気よく挨拶をしてくれる。


 最初こそ、俺と木井さんが仲良くしてる? のを訝しむような目を向けられていたけど、最近ではそれもなくなった。


 多分、俺が木井さんになんの興味もないように見えているからだろう。


 実際木井さんとこれ以上の関係を望むつもりはないし、もっと言うなら木井さんと仲良くしていくつもりもない。


 だから今日こそは挨拶だけして一日を終わりに──


「強一くん。いや、強一様」


 木井さんが自分の机の脇に鞄を掛けてから、椅子ごと俺の方に向いてきた。


 何やら面倒ごとを言い出すような気がするので無視をする。


「強一様は嫌? じゃあね、きょうくん」


「なんで様が駄目なのにあだ名は平気だと思うんですか?」


「強一くんは優しいからそうやって反応してくれるでしょ?」


 木井さんが満面の笑みでそう答える。


 まんまと策にハマってしまったのは俺なので何も言い返せないけど、少し腹が立ったので窓側に視線を向けてあからさまに無視をする。


「あ、ごめんって。それと敬語はやめてよぉ」


 木井さんが俺の制服の袖をつんつん引っ張りながらなげく。


 最初頃は俺の肩を遠慮なく掴んで揺すっていたけど、俺が「話しましたよね?」と、突き放すように言ったらこうして可愛らしい抵抗に変わった。


 まあ肩を譲られた程度ならおそらく俺の身体も大丈夫だろうけど、いきなり肩を掴まれるのがちょっと照れくさい。


「木井さんはボディタッチが多いと思うんですよね」


「やっとこっち見てくれた。そう? でも男の子には強一くんだけだよ?」


「わざとですか?」


「何が?」


 俺がジト目を向けると、本当にわかっていないように首を傾げる。


 木井さんが男子に人気な理由がわかった気がした。


 どうやら木井さんはとても男子人気が高いようで、何回か告白をされたことがあるらしい(自己紹介の後に色んな人から教えてもらった)。


 木井さんからしたら、普通に接してるだけなので全てお断りしたようだけど、これは確かに勘違いされてもおかしくない。


「そのくせ俺が好きって言ったら照れるんだからな」


「なに?」


「なんでもないです。なんで俺にはボディタッチ? が多いんですか?」


 率直な疑問をぶつけてみた。


 別に勘違いして木井さんに本気で告白したりするつもりはないけど、理由ぐらいは知りたい。


「なんでだろ? 強一くんはそうでもしないと相手してくれなそうだからかな?」


「納得する自分がいて嫌になる」


 確かに木井さんが普通に話しかけただけでは全て無視できる自信はある。


 さすがに全ては盛ってるけど、それでも無視をしたい時は絶対にできる。


 だけどさっきのように、無視をしようとしているのに袖をつままれたら気になる。


 無意識なのか考えてなのかはわからないけど、木井さんは俺の苦手なタイプのようだ。


「嫌だった……?」


「そうですね。なんだかとても負けた気分になって嫌です」


「負けた気分?」


「だって、木井さんは俺が無視をするから肩を揺すったり、袖をつまんだりするんですよね?」


 木井さんが頷いて答える。


「俺はそれをされると無視できなくて、木井さんの話を聞く。木井さんの思惑通りになってて負けてるみたいじゃないですか」


 まあ多分木井さんは本能のままにやっているのだろうけど、それでも俺が木井さんの思い通りになっているのは事実だ。


 だからなんだってことだけど、ちょっと悔しい。


「子供っぽいって思います?」


「んーん。でも強一くんのそういうところは可愛いって思う」


「馬鹿にしてますね」


「してないよ。なんだかんだでいつもお話してくれてるし、心の底では私を拒絶してないって信じてるんだ」


「……うるさいですよ」


 木井さんはずるい。


 そんな屈託の無い笑みを向けられたらまともに顔なんて見れない。


「照れてる?」


「照れてないです」


「嘘だ〜、耳赤いよ」


「やっぱり木井さんが嫌です」


「照れ隠しでもそれは傷つくよ?」


「……」


「ちょっと罪悪感出たでしょ」


 やっぱりこの人は苦手だ。


 苦手だけど、嫌な気分にはならない。


「まあいいです。木井さんが変なのは初めて会った時から知ってるので」


「普通に酷くない? 確かに変だとは言われるけど……」


 木井さんの言葉がどんどんしりすぼみになっていき、表情も少しだけ暗くなっている。


「俺はそんなところも可愛いって思いますけどね」


「ふ、不意打ちじゃん!」


「自分でやったことですよね?」


「そう、だけど。そうだけど!」


 木井さんが顔を赤くしながら俺の腕をポカポカと叩く。


 やり返せて気分がよくなってきた。


「それで用件はなんだったんですか?」


「え? あ、そうだよ! 強一くんが変なこと言うから忘れてた」


 絶対に俺のせいでは……ないとも言えないから困った。


 最初に無視をしてたのは俺だから、多分俺の方が悪い。


「それはそれとして、なんなんですか?」


「なんか話を逸らされた?」


「話さないなら別にいいですけど」


「話す! えっとね、強一くんにお願いがあるの」


「それはわかってるので内容を教えてください」


「それもそっか。これを強一くんに言うのは駄目なのかもだけど、背に腹はかえられなくてね」


 どれだけ話しづらいことを言おうとしてるのか、木井さんが自分の指をいじりながらモジモジしている。


 そして上目遣いで俺を見る。


「強一くん、私にお勉強を教えてください」


 木井さんはそう言って頭を下げた。


「授業を受けてた私が強一くんに言うのはおかしいのはわかるの。でもね、強一くんはとっても頭がいいでしょ? なのでどうにか教えていただけないでしょうか」


 木井さんが土下座する勢いで、多分放置したら土下座をすると思うぐらいに頭を下げる。


 俺はどうやら入院中に勉強をし過ぎたようだった。


 授業で出てくることは大抵知っていたし、小テストも全て満点だった。


 それには先生達も驚いていたが、テストとなれば話は変わる。


 正直テストは受けたことがないけど、あれは担当教師の趣味で出題される問題が変わると聞いたことがある。


 それだと授業を受けてない俺では力になれないだろう。


「なんで俺なんですか?」


「とても言いづらいのですが、他の人には匙を投げられまして」


「つまり消去法と」


 木井さんの多すぎる交友関係から俺が選ばれたなんて最初から思っていない。


 そもそもテストでそれなりの点数を取るのだったら、勉強ができる人でなくても得意科目をカバーできる人さえいれば誰でもいい。


 だったら俺よりも仲のいい相手に頼むわけで、それでも俺が選ばれたなんて喜んでいたわけでもない。


 断じて。


「消去法だけど消去法じゃないの」


「言い訳ですか?」


「違うの! えっとね、匙を投げられたのは前回のテストの時なの。つまり、今回の期末テストで初めて声を掛けたのは強一くんなの。だからね……」


 木井さんがまたも上目遣いで俺を見る。


 ここまでくるとわかってやってるのではないかと思うが、多分素だ。


 まあ別に勉強を教えるぐらいなら俺でもできそうだし、他に教えてくれる人がいないなら仕方ない。


「強一くん笑ってる?」


「笑ってないですけど?」


「良かった、私が実はおバカなのかもって思われたのかと」


「安心してください。最初からなんとなく思ってたので」


「強一くん!?」


 もちろん冗談だ。


 そもそも最初は『鬱陶しい』ぐらいにしか思ってなかったから、そこまで考えてなかった。


 だけど今は冗談を言えるぐらいには木井さんを考えている。


 それにさっき……


「いや、気のせいか」


「なに?」


「なんでもないです。ちなみに前回のテストはどんな感じだったんですか?」


「聞く? 絶望しない?」


「絶望はしないですね。そんなのしても仕方ないって知ってるんで」


 絶望なんてわざわざしたところで状態が良くなるわけではない。


 絶望してる暇があるなら、無気力に生きるのが俺のやり方だ。


 諦めないとかそういうのは別にいい。


 いつも通り、普通にいればいいのだ。


「えっとね、今回のテストで全教科七十点は超えないとまずいって言われてます」


「……」


「絶望した!」


「いや、どうやってこの学校に受かったのか気になっただけです」


 この学校はそこそこ偏差値が高いらしく、テストのレベルと平均点が高いと聞いた。


 受験に全てを捧げて、最初のテストでつまずくというのも聞くが、木井さんもそれなのだろうか。


 それとも俺と同じで裏口入学の可能性もある。


 だって、次で全教科七十点以上となると、赤点のボーダーが平均点か三十点か知らないが、平均点が五十点だとしたら全教科で三十点以下ということになる。


 そして赤点が三十点なら……


「結構絶望的ですね」


「ほらやっぱり絶望した。せっかく強一くんと仲良くなれたのに、来年は強一先輩って呼ばなきゃになるよ……」


「それはそれでいいかもですけど」


「え、実は年下好き?」


「そんなのはどうでも良くてですね」


「酷い」


 木井さんが頬を膨らませて俺にジト目を向ける。


 可愛らしい抗議に付き合ってる暇は無いので無視をする。


「別に絶望はしてないですよ。ただ思いのほかポンコツなんだなってだけです」


「馬鹿にしてる?」


「いえ、むしろ木井さんにも駄目なところがあって良かったです」


 人に好かれるのはとてもいいことだとどこかで聞いた気がする。


 木井さんを嫌う人はどこかにはいるのだろうけど、それは確実に少数派だ。


 そんな誰からでも愛される存在の木井さんが勉強までできたら完璧過ぎて関わりたくない。


「木井さんがポンコツだから俺は木井さんと仲良くなれそうなのかもですね」


「え、もう仲良しだよ!」


「一方的な感情では仲良しとは言えないかと」


「むぅ、いいもん。いじわる言う強一くんにはいじわるするから」


「人にやられて嫌なことはしたら駄目ですよ」


「そっくりそのまま返すよ!」


「木井さんになら何をされても嫌ではないものでしたから」


 俺がそう言うと、木井さんの伸びていた手が止まった。


 そしてまたもみるみるうちに顔が赤くなっていく。


(告白されてるわりには耐性ないんだよな)


 木井さんは毎回ちゃんと照れてくれるからからかいがいがある。


 そのお返しとのことなら、木井さんに何をされても文句は言えないから嘘は言ってないし。


「強一くんのばか」


「勉強を教えてもらう相手に馬鹿とは。まあ馬鹿と言うなら俺から教えることなんて──」


「いいの……?」


「おう、マジか」


 いつものように元気な木井さんでくると思ったら、弱々しい、今にも泣き出しそうな木井さんで面食らってしまった。


「やりますよ。文字通り勉強しか取り柄がないんで」


「いじわるも得意だよ?」


「木井さん限定なんですよ」


「うぅ、やっぱりいじわるだ」


 今のどこがいじわるなのか。


 木井さんは両手で顔を隠しているし、よくわからない。


 まあ別にそれはいい。


 残り一ヶ月あるのかわからないけど、木井さんが元気でいられるように頑張ってみることにする。


 一つだけ気になったのは、クラスの人が「ご愁傷さま」と言っていたことだ。


 木井さんとの勉強というシチュエーションを喜びそうな男子も可哀想な人を見るような目を向けているし。


 もしかしたら、とんでもないことを安請け合いしたのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る