第5話 初めての居残り

木井きいさん」


「やめて、そんなゴミクズを見るような目で私を見ないで」


 放課後、木井さんに頼まれたので勉強を見ることになった。


 隣の席なので、小テストの採点は俺がやっていたこともあり、なんとなくではあるけど木井さんのレベルはわかっていた。


 だけどそれを優に超えるレベルで酷かった。


「ちゃんと今回の範囲ですよね?」


「はい。強一きょういちくんのお時間を奪ったゴミムシは私です」


「別に何も言ってないですけど」


 あれだけ元気だった木井さんが、今では自分を卑下することしか言わない。


 これはこれで少し可愛い。


「やっぱり私って勉強の才能ないんだね」


「それは違いますよ。むしろ木井さんは勉強の才能があります」


「え?」


 木井さんが全てを諦めたように笑っていたのが、驚きの顔に変わる。


「そもそも勉強の才能ってなんだと思ってるんですか?」


「それは勉強ができるかできないかでしょ?」


「そうですね。だから木井さんは勉強の才能があるんですよ」


 木井さんには何を言ってるのかわからないようで、首をコテンと傾ける。


「多分ですけど、『勉強』って言葉の意味を間違えてますよ」


「どゆこと?」


「勉強ができる人っていうのは、頭がいい人って意味ではないです」


「ふむ?」


「わかってないですね。勉強ができない人って言うのは、そもそも勉強をしない人を言うんですよ。つまり勉強の才能がない人って言うのは、勉強を最初からやる気がない人のことです」


 だからこうして放課後に残ってまで勉強をしている木井さんは、勉強の才能がある。


 自論だけど。


「だから木井さんは勉強の才能があります」


「強一くん……」


「実るかは知らないですけど」


「強一くん!?」


 諦めなければいつかは実るかもしれないけど、その『いつか』がいつくるかなんて俺にはわからない。


 頑張ることができても、それが実らなければ意味は無い。


「それを実らせるのが俺の役目ですから」


「強一くんってなんかずるいよね」


「何がですか?」


「絶対にわかってるのにそうやって聞いてくるところ!」


 本当にわからないのだけど、木井さんは俺をジト目で睨んでくる。


 理不尽だけど、別にどうでもいい。


「とにかく続きを……」


「強一くん?」


「いえ、ちょっと気になることがあったんですけど、まあ大丈夫だと思うのでいいです」


「そう? ならいいけど」


 木井さんはそう言うとノートにシャーペンを走らせた。


 この勉強会は今日、それこそ朝に決まったものだ。


 そして俺はスマホを持っていない。


 だから俺が学校に残っていることを母さんは知らない。


 結局眠れなかったようで寝不足なのは変わっていない母さんに無駄な心配をかけるかもしれないと思ったけど、正直連絡の手段もないから諦めた。


(帰って言えば平気だろうし)


 それよりも今は問題児への対応がいちばん重要だ。


「木井さんは深く考え過ぎなのかもしれないですね」


「と言いますと?」


「例えば『1+1』って答えは『2』じゃないですか。この時に『1に1をなんで足すんだろう』って思ってるのかもって話です」


 今のは極端な話だけど、数学で言うなら、あれは公式に当てはめれば大抵は答えがわかる。


 だけど木井さんの場合は、答えをただ求めるのではなく、問題の意味を考えているのかもしれない。


「ちなみに自覚は?」


「ない。でも、言われてみたらテストの時に問題を読む時間は長いと思う」


「そうでしょうね。数学の問題でただ解くだけのものなのに、解き始めるまでに五分はかかり過ぎです」


 ちゃんと問題を読んでいるのだからいいことなんだけど、それで時間が足りないのは本末転倒だし、そもそも回答が間違っている。


「文章読解から始めた方がいいのかもしれません。となると国語からですね」


「……」


「なんですか? 今更嫌だとは言わせませんよ?」


 木井さんがジッと俺のことを見てくるので、もう勉強に飽きたのかもしれない。


 今更飽きたとか言っても、俺は今更勉強を教えるのをやめる気はない。


 そもそも木井さんの方から頼んできたのだからそんな都合のいいことは言わせない。


「んーん。強一くんは優しいなって」


「どこがですか? むしろ嫌がる木井さんに勉強をやらせるんですから優しいとはかけ離れてると思いますけど」


「強一くんは天然さんなのかな? 私はそもそも嫌だなんて言ってないよ。むしろダメダメな私を見捨てないでくれる強一くんに感謝しかないよ」


 まったく意味がわからない。


 俺が優しいとか、俺が天然とか、木井さんがダメダメとか、何を言っているのか。


「俺は別に優しくないですし、天然? とかでもないです。それ以上に木井さんがダメとか有り得ないですよ」


「なんでそう言ってくれるの?」


「確かに問題を理解するまでに時間は掛かるし、時間を掛けたくせに問題は解けてません」


「天然が過ぎるぞ。私のライフは残り少ない」


 冗談を言ってられるうちは余裕な証拠なので無視する。


「だけど、やる気はあるんですよね?」


「もちろん。私だって夏休みを謳歌したいから」


「理由は不純ですけど、さっきも言った通り、やる気があるうちは諦めることはしません。絶望的な状況でも、木井さんが諦めないうちはなんとかなるかもですから。絶望的ですけど」


「二回言った! でもありがとう」


 正直に言うと、木井さんを次のテストまでに赤点回避させることなら多分できる。


 だけどそれでは前回が悪すぎるから足りない。


 だから少し考えなければいけない。


「木井さんはどれぐらい本気で夏休みを迎えたいですか?」


「どういうこと?」


「えっと、夏休みを迎える為ならどれぐらいまでなら許容できますか?」


「勉強の頻度ってこと? それなら毎日でも、それこそ夏休みが迎えられるまで」


 木井さんに冗談を言ってる感じはない。


 だけどそこまでできるなら、夏休みの補習もできるのではないのかと思ってしまう。


 多分そういうことではないのだろうけど。


「わかりました。それならできる限りの時間をください。俺には家でやることなんてないので、木井さんの都合がいい日は毎日勉強に付き合います」


 俺は外で歩き回ることなんてできないし、家でやるような趣味もない。


 強いて言うなら勉強ぐらいなので、木井さんが望むならいくらでも付き合う。


「それって、お家デートってやつ?」


「そういうことを言うんですか」


「大変申し訳ございませんでした」


 木井さんが膝に頭をぶつけるのではないかと心配になるぐらいの勢いで頭を下げる。


 確かに俺も変な言い方をしたけど、別にうちに来る必要なんてない。


 どこかで一緒に勉強さえできれば……


「それこそデートじゃないか」


「え?」


「なんでもないです。まあ木井さんが嫌なら別にいいです。こうして放課後にやれば」


「それで足りる?」


「木井さん次第ですけど、多分足りないです」


 ほんとに木井さん次第だけど、期末テストは中間と違って教科が増える。


 そちらは赤点を回避すればいいだけだが、どれだけできるのかなどの確認もあるから時間が掛かる。


 それに中間と同じ教科は単純に範囲も広がるし、教えることも増えるしで今少しやった感じではおそらく足りない。


「このまま放課後だけなら赤点は回避できると思います。でも、前回を帳消しにできる保証はしません」


「私が強一くんとお勉強デートをすれば解決する?」


「なんでデートにこだわるのかは知りませんけど、木井さんが途中で諦めなければ絶対に木井さんに夏休みをプレゼントします」


 絶対とは言ったけど、そんな確証は一つもない。


 でも、木井さんならできると信じている。


「じゃあプレゼントしてくれなかったら私のお願い何でも一つ聞いてくれる?」


「いいですよ。それならテストを全て補習無しだったらご褒美として何でも一つ言うこと聞きますよ」


「え、結局私は強一くんに何でもお願い聞いて貰えるの?」


「もちろんですよ。ただ手を抜いたら俺は木井さんと二度と関わることはしません」


「本気出す」


 俺なんかと関わらなくて済むのだからむしろ手を抜かれるかと思ったけど、木井さんの目が本気になってくれた。


 社交辞令なのはわかっていても少し嬉しい。


「期待には答えます。俺が木井さんを絶対に幸せにします」


「おう、ちょっとドキッとした。なんだぁ、強一くんまで私に告白かぁ?」


「何言ってるんですか? あんまりおかしなこと言うと絶望が無謀になりますよ?」


「ちょっと恥ずかしくなってきたからそんなアホな子を見るみたいな目で見ないで。それと無謀って絶望の上位互換なの?」


 知らない。


 ただそれっぽいことを言えば木井さんなら納得すると思っただけだ。


 言ったら怒りそうなので言わないけど。


「そんなことはいいとして。放課後はここでいいとしても、他の時間はどうしましょう。そもそも木井さんの家は近いんですか?」


「……うん。近いよ」


 木井さんの顔が一瞬だけ暗くなり、すぐに笑顔になった。


 だけどどこか作られた笑顔に感じた。


「うちでもいいですけど、母さんに聞かないとですし、なんだか木井さんが集中できない気もするので他になければにしましょう」


「そうだね。となると図書館とか? でもちょっと遠いんだよね」


 木井さんの表情は一旦置いておくとして、遠いとなると俺が駄目だ。


 学校までの距離でギリギリなのに、遠いとなると多分体がもたない。


「ファミレスとかだと長居もできないし。一応聞いとくけど、これって土日の話だよね?」


「そうですね。別に放課後もここじゃなくていいわけですけど」


「そうなるとさ、やっぱり強一くんのおうちが一番いいと思うんだよ。変な意味はなくてね?」


 それはわかる。


 結局俺の身体のことがあるから、遠くには行けないし、そもそも母さんの知らないところに行くのも多分駄目だ。


 それを考慮するとやはりうちが一番いい。


「木井さんがいいならうちがいいですかね。母さんも事情を話せば納得すると思いますし」


 むしろ未だに友達と呼んでいいのかわからないけど、木井さんを連れて行けば母さんも安心して眠れるかもしれない。


 それならやはりうちがいいのかもしれない。


「じゃあ強一くんのおうちが第一候補だね。でも、その感じだとお母さんが許さなければ私と会えないかも?」


「それは大丈夫です。俺がそんなこと言わせないので」


 一度引き付けたのだから、母さんがなんと言おうと木井さんを見捨てることはしない。


 それで母さんと疎遠になったとしてもだ。


 俺の残り少ない人生は俺が自由に使うと決めた。


「木井さんに俺の人生を少しあげます」


「だからさっきから告白? ほんとにドキッとしちゃうからやめなさい」


「木井さんってチョロいですか?」


「強一くんはそういうこと言うんだ。知らないからね、強一くんがほんとに私のこと好きになっても答えてあげないんだー」


 木井さんが拗ねたようにそっぽを向く。


 そんな可愛らしい反応をしてくれるが、木井さんに恋愛感情と思われるものは湧いていない。


 湧いたところで告白なんてしないけど。


「とりあえず続けます。まずは日本語の理解からですね」


「なんかすごいハードル下げられた?」


 木井さんは不服そうにしてるけど、多分そこから必要だ。


 そうして俺と木井さんは下校時間ギリギリまで勉強をした。


 途中で保健医のやなぎ先生がやってきたが、俺のことを見ると安心したように帰って行った。


 理由はなんとなくわかる。


 だから帰った後に母さんへ友達ができたことを知らせた。

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