第3話 初めての教室
「ということで、編入生の
「伊南 強一です」
自己紹介なんてめんどくさいことをしたくはなかったので、これで済むなら良かった。
「それじゃあ伊南! 自己紹介をしていいぞ!」
「え、しましたけど?」
俺は名前を言ったのだから自己紹介は済んでいる。
それとも自分語りでも求められているのだろうか。
そうなると、生まれてからのほとんどを病院のベッドで過ごしたことぐらいしか言うことなんてない。
別に隠す気もないけど、わざわざ言う気もない。
「名前だけだとみんなに伊南のことを知ってもらえないぞ?」
「……」
正直なんの問題があるのかわからないけど、本当にしないといけないのだろうか。
そろそろ『編入生』という物珍しさで興味を持っていた人達が飽き始めている。
そもそもこの人は俺の事情を知っているのだから少しは考えて欲しい。
はなからそんなの期待してなかったけど。
「はい!」
諦めて何か適当なことでも話そうかと思っていたら、一番後ろの窓際の空席の隣。
「どうした? 木井!」
「強一くんもいきなり自己紹介って言われても難しいと思うんで、私が質問してもいいですか?」
「それもそうだな! 伊南はどうだ?」
「じゃあそれで」
助かった。
適当なことを言ってもよかったけど、後でボロが出た時がめんどくさいので避けたかった。
だけどSHRの始まる五分前まで質問攻めをしていたのに、まだ聞きたいことでもあるのだろうか。
「好きな女の子のタイプはなんですか?」
「木井さんみたいな女の子です」
「想像を超える答えで私困惑」
いきなり何を言い出すのかと思ったら、質問の意図がわからなかったので、さっきまでのノリで適当に答えてしまった。
だけどそんな変な質問をした木井さんに、変な視線を送る人はいない。
むしろ「告白してフラれてるぞー」「木井ちゃんらしい」みたいなポジティブな発言が出ている。
どうやら木井さんは俺の想像通り変な人のようだ。
もちろんいい意味で。
「まさか強一くんが私を好きだったなんて」
「せっかくのお隣なのに、初日から嫌いなんて言ってめんどくさい雰囲気になりたくないので」
「え、ほんとは私のこと嫌いなの……?」
木井さんがこの世の終わりみたいな、絶望した顔になり、力が抜けたように椅子に落ちる。
「正直に言うならわからないですね。友達とかできたことないですし」
「え、好きって友達として?」
「他に何が?」
もしかして恋愛的な好きだとでも思ったのだろうか。
それなら有り得ない。
確かに可愛らしい顔立ちをしているけど、さすがに初対面で好きになるほど俺はピュアな心をしていない。
そんなことを考えていたら、木井さんの顔が赤くなっているのに気づいた。
「これは恥ずかしい勘違いを」
「勘違い?」
「なんでもないよ。それより敬語はやめてって言ったじゃん!」
「やめるとは言ってないですよ?」
「頑固者め!」
木井さんが可愛らしい頬を膨らませる。
別に敬語にこだわる必要もないけど、木井さんの目論見通りになるのが癪なので言うことを聞く気はない。
「じゃあ私も質問。
木井さんのおかげ? で場が和んだせいか、俺への質問が始まる。
正直めんどくさいし、立っているのも疲れるので早く終わりにして欲しい。
「私と強一くんとの関係はいいの! それより強一くんは初めて来る学校で疲れてるんだから座らせてあげないと」
「女神か?」
「何言ってんの!」
とてもありがたい助け舟だったので、思わず口に出てしまった。
そのせいでクラスの女子から暖かい目を向けられた。
男子からは、まあ多種多様なものを。
「伊南、伊南のことを話すかは任せる」
笹木先生が俺にだけ聞こえる声でそう告げる。
俺のこととは、当たり前だけど身体のことだろう。
そんな配慮ができることに驚いたのと、小さい声が出せたことに驚いたけど、もしかしたら俺の身体のことを隠す為に普通な対応をしてくれたのかもしれない。
俺の身体を甘くみすぎではあるけど。
「それは追々で。それと一つだけ伝えておくと、ただ立ってるだけでも結構疲れます」
「! それはすまない。一時間目は伊南との親睦を深めるものにするが、伊南は席に座ってていいからな?」
「普通に授業でいいんですけど?」
「伊南がそう言うならそうしたいんだが、おそらく木井がそれを許さない」
「ああ……」
今はなぜか木井さんが質問攻めに遭っているが、確かに木井さんの性格なら俺の友達作りを率先してやりそうだ。
別にいらないのだけど。
「教師として止めてくださいよ」
「木井に悪意がないんだ。伊南がどうしてもと言うなら止めるが、木井なりに伊南が早くクラスに馴染むようにしたいんだと思う。だから……」
「余計なお世話なんだよ」
「何か言ったか?」
「いえ、そういうことなら受け入れます。木井さんは変人ってことですね」
「……」
否定の言葉が返ってこず、代わりに教師として認めるわけにはいかないけど、認めざるをえないといった、複雑な表情になっている。
まあ俺と友達になりたいなんて言う人だ、変人なのはわかりきってたことだけど。
「そうだ、伊南」
「なんですか?」
笹木先生が周りには聞こえない声で俺を呼ぶ。
正直小さい声が出せたことに驚いた。
「来月の期末テストはどうする?」
「どうするとは?」
「ずっと入院していたわけだろ? 勉強はしてたと聞いたけど、さすがに学校に入ってすぐに期末テストは辛くないか?」
俺のことをどこまで説明されてるのかは知らないけど、少なくとも高校生になってからはずっと入院してたことは聞いているだろう。
それなら確かに心配になるのもわかる。
多分だけど、俺は再試はあっても退学や留年はない。
そもそも学校に来た理由が、残りの人生を楽しく生きる為なのだから、それで退学にでもなったら元も子もない。
留年なんてもってのほかで、長くて三年しかもたない体なのに、三年以上も学校に居られるわけがない。
そして笹木先生の感じから、そこら辺のことは聞いていないのかもしれない。
「別に大丈夫ですよ。入院中は勉強しかしてなかったので」
「そうか? 伊南がいいならいいけど、一応今回が駄目だった場合は俺から校長に話はするからな」
「お気遣い感謝します」
ちょっと意外だった。
笹木先生の最初の印象は『熱血バカ』だったけど、こうして俺のことをちゃんと考えることができたようだ。
それが俺の体が原因なら話は変わるけど。
「まあとにかくだ、この時間は木井を中心にクラスの者と仲を深めてくれ」
「善処します」
「それと、木井!」
「あ、はーい」
笹木先生が普通の声をやめて、最初の通りの大きい声で人に囲まれている木井さんを呼ぶ。
「なんですか?」
「伊南のことをは木井に一任する!」
「は?」
「任されました!」
笹木先生が俺に一度視線を送ると、それ以上は何も説明する気はないのか、教卓の前の椅子に座った。
木井さんは木井さんで、敬礼しながら二つ返事で了承するし。
「せめて説明を」
「ん? 簡単な話だ、学校に慣れてないうちは誰かと行動した方がいいだろ?」
「それがなんで木井さんなんですか?」
「逆に問う、他に誰が適任だと?」
「……」
何も返せなかった。
確かに俺は学校の構造や、ルールなんかを何も知らない。
それにいきなり倒れる可能性もあるから、誰かと行動した方がいいのはわかる。
そしてそれは誰でもいいわけではなく、このクラスで唯一まともに話したことがある木井さんが適任なのも理解している。
だけど……
「木井が女子だからか?」
「それはそうですよ」
「そして可愛いから」
「……教師が生徒にそういう視線を向けていいんですか?」
「はっ、残念ながら俺は既婚者だ」
笹木先生はそう言って左手の薬指にはまる指輪を見せてきた。
「つまり妻がいるのに生徒にそういう視線を」
「それはほんとにシャレにならないからやめような?」
「変な冗談を先に言ったのは先生の方ですけどね」
「そんな不機嫌になるな。別に四六時中一緒にいろなんて言ってないんだから。移動教室なんかで一人廊下に倒れられてたら大変だろ」
「わかってますけど……」
俺に介護が必要なのはわかっている。
そして木井さんがそれに一番適しているのも。
だけど否定したいのは、木井さんが女子なのも少しはあるけど、それ以上に迷惑をかけたくない。
そもそもが、この学校に来た理由が母さんにこれ以上迷惑をかけたくないからなのに、他の、見ず知らずの同級生に迷惑をかけたのでは意味が無い。
「お前は人を頼ることを覚えた方がいい」
「そんな……」
知ったような口を聞くな、と言いそうになったけど自重する。
結局は俺の身体が弱いのがいけなくて、笹木先生だってそれに付き合わされてるだけなのだから。
「まったく。木井! 夢を与える! 伊南に学校を『楽しい』と思わせろ!」
笹木先生が意味のわからないことを叫ぶ。
「え、強一くん、学校楽しくないの?」
「むしろ楽しいって思ってる人いるんですか?」
「私はとっても楽しいよ。強一くんとも出会えたし」
よくわからない感情だ。
普通学校なんて好き好んでやって来る人はいないはずだ。
楽しいことがまったく無いわけでも無いのかもしれないけど、それでも平均したらつまらないもののはずだ。
なのに木井さんの表情はとても明るく、綺麗だ。
「夢奈ちゃんの天然ジゴロ発動だ」
「あれで何人の男子が勘違いしたことか」
「自分で言ってて悲しくならない?」
教室の中が騒がしくなった。
ずっと騒がしかったけど、木井さんが何かすると、そこを起点に爆発したように言葉が生まれる気がする。
「意味がわからない」
「いずれわかる。木井という不思議な存在について」
俺の独り言に笹木先生がやはり謎の返しをする。
『伊南 強一』は『木井 夢奈』を理解できる日がくるのだろうか。
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