旅人さん――1. 旅人のハンス

はじめ、メグという名前の村の女は魔獣と遭遇してしまったのだと思った。


村の裏手にある低い山の尾根おねを越えると、ナライアという蜜の出る樹が群生している場所がある。ナライアの蜜はそのまま舐めると人体には毒だが、火にかけて水分と一緒に毒を蒸発させれば固い団子状になり、人間も食べられる保存食にすることができる。

メグはその蜜を採りに、重いかめを担いで群生地にまでやってきていたのだった。ナライアの蜜は村にとっての貴重な安定している食料源であり、運が良ければ蜜を舐めに来る虫や小動物も捕まえることができる。


だが、今日は運が悪かった――ナライアの樹の前に、何か黒い大きな生き物がしゃがみ込んでいたのだ。

あれはきっと、魔獣だ――素朴な顔立ちをしたメグは最初、頬に汗が流れるのを感じながらそう思った。


魔獣。

この世界における捕食者の総称だ。

その大きさ、姿や形は様々で、ウシやイヌといった家畜動物に似たようなものもいれば、アリのような小さな魔獣や、スライムやゴーレムといった、村人にとっては不可思議な形体の魔獣もいる。


そんな魔獣の共通点はただ一つ。

人間を可能な限り殺戮さつりくすることである。


ウシ型だろうがイヌ型だろうがアリ型だろうがスライム型だろうがゴーレム型だろうが、とにかく人間を見つけたら襲い掛かってくる。魔獣とはそういう風にのだ。


逃げなければ。

メグは次に、そう考えた。

人間を殺すという本能が備わっている以上、魔獣とは対話が不可能。

一度遭遇してしまえば、戦うか、逃げるか。その選択肢しか用意されていない。

そしてメグには魔獣と戦闘するすべなどない。となれば逃げの一手だ。


彼女はじりじりと後退あとずさろうとして……動きを硬直させた。

突然、黒い生物が立ち上がったのである。

心臓が止まったようにメグは錯覚した。

その生物がこちらを振り返った時、メグはまたもや仰天した。

その生物はよく見ると、黒い外套がいとうをまとった若い男性だったのだ。


「やあやあ、助かった。こんなところで人に会うとは思いませんでした」


優面やさおもてのは人懐っこそうな笑みを浮かべてメグに声をかけてきた。


「私はハンス。行き倒れかけの旅人です。あなたはどうやら旅人ではないとお見受けしましたが――よろしければ、もし近くに村があるのならそこまで案内してくれませんか?」


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