第9話 髪型って大事だよね

 高校に入っておそらく初めて直で人と目を合わせてしまった。しかも、あんなにマジマジと見つめられることは家族にだってない。

 おかげさまで私は体中から冷汗が出ていた。


「すみません、私どうしても人と目を合わせるのが苦手で……あーちゃんだから逃げたとかではなくてですね……」


 咄嗟に飛び退いてしまったことに関する言い訳をしつつ、様子のおかしいあーちゃんから少しだけ距離を取るように後退る。

 先程まで狂ったように私へ向けて「可愛い!」を連呼していたあーちゃんは、態度を一転して静かに私へと躙り寄ってきていた。


「あ、あのあーちゃん?」

「……………………」


 あーちゃんへ問いかけても返事はない。けれど、彼女からは明らかに私を捕まえようとする気配を感じる。心做しか目が怪しげに光っているようにも見えてしまう程の圧。

 蛇に睨まれた蛙とはこんな気分なのだろうか……。


「……を…………見せろ……」

「へぁ?」

「目を……見せろ」

「だ、だから見られるのは苦手で……」


 怖い怖い怖い! こんなあーちゃん見たことないよ! なんかもう妖怪みたいになってるじゃん!

 

 私はさらに後へ逃げよう足を引こうとしたところで、既に自分が壁際に追い詰められていたことに気づいてしまった。


「こ、来ないで〜!」


 逃げるには正面からあーちゃんを振り切らなくてはならない。けれど、あーちゃんからは決して私を逃がすまいという強い意志をひしひしと感じる。

 真正面から突っ込む勇気もなく、私はプルプルと震えながら両手を壁について立ち竦むことしかできない。


「痛くないよ~」


 こんなにも人の笑顔を恐ろしいと思ったことはない。

 私が「きゅ〜」と言葉にならない恐怖を言語化したような音を口から漏らすと、それを合図にあーちゃんは勢いよく私へ襲いかかるのであった――。



 拝啓、父さん、母さん。

 親不孝な娘で申し訳ございません。私は先に逝きます。

 今までありがとうございました……。


「もー! なんで今まであんなにモッサリした見た目にしてたかな! モモっち可愛いんだから、もっとちゃんとしなきゃ! ……あっ、こら! 逃げようとしない!」


 私はあーちゃんにひっ捕まえられ、髪型を弄り回されていた。

 適当に下ろしていた髪は程よく目や耳を隠し、私の顔が極力見えないくするための防壁になっていたのだ。

 しかし、その防壁が今となっては見る影もない。


「もう、お嫁にいけません……」

「全然余裕で行けるよ。むしろ行きやすくなったよ! 絶対この方が良いって!」


 私の髪はあーちゃんによって手際よく編み込まれ、私史上最高にオシャレな姿へ変貌を遂げた。髪型の名前は分からない。私の女子力は一般女子をパワー1000とするなら、10以下だ。オシャレな髪型の名前なんて知るわけがない。

 ちなみに、前髪もヘアピンで纏められて、片目だけ露出している。

 あーちゃんは両目とも出したがっていたけれど、私が全力で抵抗すると「仕方ないなぁ」と非常に残念そうな声を漏らしながら片目だけで譲歩された。


「目を見られるのが一番苦手なんです……なんだか怖くって……」

「まあ、人からじっと見られるのって落ち着かないもんね。そういう気持ちも分かるよ……」


 普段から人に見られることが多いだろうあーちゃんは、人からの視線なんて意に介さないのかと思っていた。けれど、私のそんな認識は間違いだったらしい。


「あーちゃんでも、人に見られて緊張することがあるんですか?」

「アタシを何だと思ってるのさ……。まあ、多少は慣れたけど、やっぱり知らない人からジッと見られたりするのは怖いと思うこともあるよ。意識しないようにしてるけど」


 当たり前といえばそうだ。美少女といえども同じ人間。見ず知らずの人からの視線を快く思う人は少数だろう。


「ごめんなさい……」

「え? 何が?」

「いえ、実は、私は結構あーちゃんのことを目で追っていたことがあるので……不快に感じさせていたかもしれないです…………」


 あーちゃんはよく目立つ。視界の端に彼女の姿を捉えれば、意識せずとも自然と彼女の方を向いていた。

 今日も綺麗だなぁ、とか思いながら、見られる側の気持ちなどお構いなしにジロジロ不躾な視線を送っていた自分が恥ずかしくなる。

 自分は見られるのを嫌がるくせに、私はこれまで他人に対してあまりにも失礼なことをしていたのではないかと今更ながらに思い至った。


「アハハ! そんなことか! いや、良いんだよ。さっきのは街中とかの話で、学校はまた別だし」

「そういうものですか……」

「そういうもんなんです! だから、気にしないで! ……モモっちは別枠だし」

「別枠とは?」

「い、いや、友達的な……てかっ、今のは流すとこだから!」


 何やらキャッチするボールを間違えたらしい。

 やはりコミュニケーションとは難しいものです……。

 私には投げるどころか、未だにボールのキャッチすらも覚束ない。

 

「それにしても、モモっちの目……本当に綺麗。ずっと見てたいよ」


 そんな聞いている此方が恥ずかしくなるようなセリフを口するあーちゃん。

 彼女はそっと私の頬に手を添えつつ、私の瞳を食い入るように見つめる。

 自分の顔が茹でダコのように赤くなっているのがわかった。

 しかし、これまで彼女へ送っていた不躾な視線の分と思って今度は頑張って逃げずに耐える。


「そ、そんなの初めて言われましたよ……」

「嘘、こんなに魅力的なのに……」

 

 また逃げたくなる気持ちに駆られるけれど、それと同時に目の前のあーちゃんの瞳に吸い込まれそうな自分が居る。


「あ、あーちゃん、近いです……」

「ダメ?」

「い、いや、えと……あの……」

「もっと見せて?」

「……こ、これ以上は……っ……死ぬっ」


 私の静止を無視して、あーちゃんはうっとりとした顔で此方を見ている。そうされるうちに、私は緊張か、それとも他の何かのせいか、だんだんと頭が回らなくなっていく。

 遂にはグルグルと目が回り始め、そして――――――――。



 ――キーンコーンカーンコーン。


 昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。


「「あっ!」」


 どちらともなく声を出して、私たちは途端に現実へ引き戻される。

 あーちゃんも私との距離が近すぎることにようやっと気づいたようで、恥ずかしそうに顔を赤らめてからパッと身を離す。

 

「あ、ゴメン……」

「……いえ」


 ちょっとだけ気まずい空気が流れたあと、既に授業が始まってしまう時間であることを思い出す。

 

「じゅ、授業に遅れてしまいました……」

「だねぇ。急いで戻ろうか」

 

 こうして、私たちは昼休み後の授業に二人で遅れて参加することになる。

 ちなみに、教室に入った時、私を見た教師から「教室を間違えてますよ」と注意を受けてしまった。髪型を変えたままクラスに戻ったのがいけなかったらしい。

 それほどまでに、私の顔は他人に認識されていなかったのだと改めて気づかされる。

 ちょっとくらい顔は見えるようにした方が良いのかもしれない……。

 

 私が庭代百花にわしろももかであることを告げると、先生だけでなく、クラスメイト達も大層驚いた顔をするのであった。

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