第6話 ほっぺにチューは普通ですか?➁

「黒井さん、何処か行くの?」

 

 あーちゃんを渾名で呼ばない数少ない人物の一人。同じクラスの花園はなぞの由香里ゆかりさん。

 苗字からしてもう美少女オーラが出ている。そして本当に美少女。

 長い黒髪をポニーテールに纏めた彼女は、見るからに理知的な印象を受ける。

 

「うん、今日は教室じゃないとこで食べるんだ」

「へぇ、なんだか珍しいわね」

「今日はちょっとね…………」


 分かり切っていた展開だ。あーちゃんが廊下を歩けば、誰かしら話しかけにくる。

 私は会話を邪魔せず、気配を消したままあーちゃんの背を壁にして隠れていた。

 

 素人は気配を消そうとするあまりジメジメしたオーラを出してしまう。周囲の人間はそれを不快に感じて気配に気づく。

 しかし、私ぐらいのプロ陰キャになれば無になれる。そう、無だ。

 素人は黙って見てな。手本を見せてやる。


 私は無機物、私は無機物、私は無機物――――。

 

「ああ……そっか、なるほどね。まあ、そのうち私も誘ってちょうだい」


 私は無機物、私は無機物、私は無機物――――。

 

「うん」


 私は無機物、私は無機物、私は無機物――――。

 

「ふふっ、可愛いわね」

「……でしょ? じゃ、悪いけどもう行くねー!」

「はいはい、ごゆっくりどうぞ」


 どうやら二人の会話は終わったらしい。

 軽く手を引くあーちゃんに導かれて私は再び歩き出す。

 どうだ、これがプロ陰キャのステルス性能だ!

 

 しかしすれ違いざま、

「頑張って、庭代さん」

 花園さんからそんな良く分からないことを囁かれた。

 私の存在には普通に気づかれていたらしい。解せぬ。

 


 あーちゃんは私を気遣ってか、花園さんと別れてからは人目の無さそうなルートを選んで移動してくれた。人が居なそうなところをウロウロと。

 そして辿り着いた一階の階段裏で、彼女は私に聞いてくる。


「で、引っ張ってきちゃったけど、本当の目的地って何処?」


 特に考えがあるわけでもなく私を引っ張りまわしていたらしい。お茶目な人だ。

 本来は私が先導して目的地を目指すはずだった。

 それが、人目から逃げるように移動するうちに前後が入れ替わって、気づけばどこを目指すわけでもなく適当に歩いていたらしい。

 けれど奇跡的にというか、私の習性的に当然の帰結というか、とにかく目的の場所にはあーちゃんの導きで無事に辿り着いているのである。

 そう、一階の階段裏。ここが私の昼食時の定位置だ。

 

「えと、実は、ここです……」

「えっ⁈ ……ここ?」


 彼女は大層驚いた様子。

 当然の反応だろう。静かで落ち着いた空間と言えば聞こえはいいけれど、実際はただ埃っぽくて如何にもジメジメした場所。

 きっと、彼女が想像していたのは空き広場のベンチだとか、体育館裏の木に囲まれた木漏れ日の刺す隠れスポットみたいなやつだ。

 私は見事にその期待を裏切ったのだろう。


 よく考えなくても、食事をするのにこんな場所に案内されたらガッカリすると分かるだろうに。

 どうして私はこんなところにあーちゃんを連れてこようと思っていたんだ?

 今からでも間に合う、移動しよう。


「すみません、流石に嫌ですよね……やっぱり別の場所に――」

「い、いやいや! ここにしよう!」

「えぇ、でも……」

「いいや、ここが良い! よく見たら余った机と椅子もあって食事をするには丁度……まぁ、良い感じだよ!」

 

 お世辞にも丁度良いとは言えないらしい。

 けれど、そうなのだ。ここには使わない机と椅子が置かれていて、隠れてご飯を食べるには都合がいい。私はそれが気に入っていて此処に毎日通っていた。

 でも本当にいいのだろうか? こんな美少女に埃っぽい昼ご飯を食べさせて、誰かに怒られないだろうか? どこからか、あーちゃん親衛隊が現れてボコボコにされたりしたら嫌だ。


「本当に、大丈夫ですか?」

「大丈夫、大丈夫」

「やっぱり心配です……私の身が……」

「ア、アタシが何かするってこと⁈ 何もしないからね!」

「いえ、そういうことではないんですけど……」

「ええい、じれってたい! アタシはここで食べるよ! はい、お弁当出す!」


 彼女はやけっぱちで弁当を包みから出して広げ始める。梃子でも動かなそうだ。


「誰にも見られませんように……」

「モモっち、流石にここには誰も来ないと思うよ……」


 私の祈りの意味があーちゃんには分からないのだろう。分からなくていい。

 いつまでも無垢な貴方で居てください。


 

 あーちゃんに倣って私もお弁当を広げる。

 今日のオカズは冷凍のミートボールとタコさんウインナー。あとはブロッコリーとミニトマト。白米には海苔が被せられていた。

 正に普通のお弁当。ベーシック・オブ・ベーシック。


「お~~~……、モモっちのお弁当、本当に『お弁当』って感じだ」


 そりゃあ、こんな反応にもなる。あまりにもお弁当らしすぎて、それしか感想が出てこない。だって、お弁当だもの。

 自分でも何を言っているのか分からなくなって来た。

 対して、あーちゃんのお弁当は規格外だ。


「あーちゃんのは、なんだかオシャレというか……凄いですね」

「そう? 普通だけどなぁ」

 

 たぶん、キャビアとローストビーフが入ったお弁当を普通とは言わない。ナチュラルに育ちの違いを叩き付けられて気がする。


「あーちゃん、たぶんそれは他の人に言わない方が良いです……」

「え? ……ちょっと前にもクラスの子と同じような話しちゃったよ…………」

「ちなみに、その時のお弁当の中身は?」

「ただの懐石膳」


 ただの懐石料理とは?

 

「微妙な反応されませんでした?」

「そういえば……ちょっとだけ」


 どうやら手遅れだったらしい。まぁ、こういう天然っぽいところもあーちゃんらしくて良い。可愛ければオッケーです。

 

「そっか、まぁ、良いと思います。うん」

「ちゃんとダメな所はダメって言って……」

「いえいえ、ダメだなんてそんな。ただちょっと感覚がズレちゃってるかなぁというか……」

「そうなんだ、私のお弁当、ズレてるんだ……初めて知った」


 これまで色々な人が私と同じことを思いつつ、あーちゃんを悲しませないように発言を控えていたのだろう。ごめんね、皆のあーちゃんへの気遣いを無駄にして……。


 それにしても、あーちゃんのお弁当がこんなクオリティだとは知らなかった。この人は何処までも浮世離れしているらしい。

 いったい誰が作っているんだろうか? 家でシェフを雇っていたりするのかな?

 

「はい、あ~ん」

「ああ、どうも」


 ボーッと彼女の食生活に想いを馳せていると、私の口の中に上品な味わいが広がる。

 あ、ローストビーフだ! 美味しぃ~~~!



 

 ――――。

 

 ――――――。

 

 ――――――――ん???????




「は?」

「あれ、美味しくない?」

 

 私の弁当の中にローストビーフなんて上等な代物は入ってなかった。だけど、気づけば私の口の中にはローストビーフの上品な味わいが広がっていやがったんだ。

 何を言っているのかわからないかもしれないが、私も何が起こったのか理解できなかった。

  

「ごめん、苦手だった? じゃあ次はキャビアにしよっか」

「待って待って」

「キャビアも苦手? じゃあねぇ――」

「苦手になるほどキャビアを食べた事なんてないですよ! ……いや、そうじゃない! なんで食べさせてるんですか!?」


 あまりにも自然な流れで口元に持ってくるもんだから何も疑問を持たずに食べてしまった。

 

「え、モモっちも食べるかなって……」

「わ、私は自分のお弁当がありおりはべりいまそかり!」

「ら、ラ行変格活用……」


 吃驚し過ぎてラ行変格活用が出てきちゃったよ!

 いや、そんなことより何でこうなってるの?


「あーちゃんは、誰にでも『あ~ん♡』しちゃうの?!」

「誰にでもはしないよ。……でも、友達なら普通じゃない?」


 そうなの? さっきも教室でやってたけど、普通ってそんなもんなの?

 私が知ってる百合漫画のキャラクターたちはもっとハードル高そうにしておりましたけども⁉


「も、もしかして私の感覚もズレているんでしょうか……。『あ~ん♡』って恋人にやるものじゃないんですか?」

「こ、こい、びと…………」


 あーちゃんは顔を赤くして私の言葉を反芻するオウムになってしまう。

 なんでそこは恥じらいあるの……。


「あの、あーちゃんって友達ならどこまで許すんですか?」

「…………え、急に何の話……?」

「いや、だから、スキンシップというか、なんというか……」

「あー、なるほど。……まぁまず、友達ならほっぺにチューは普通でしょ」

「は??」

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