【短編】【朗読推奨】人生の針

雨宮崎

人生の針

「いいですか、白石さん」


 とある小さなオフィス。

 

 表の看板には「カウンセラーによる、地域総合相談所。気軽になんでもご相談ください」とある。


「聞いてますか?白石さん」


 テーブルを介して、目の前の若いカウンセラーの男がそうぼくに投げかける。


「あなたには、改善するべきところは3つあります」


 カウンセラーはネイビーブルーのポロシャツに、薄い色のジーパンを合わせ、相手に緊張感を与えない服装をしている。


 いかにもカウンセラーです、といった佇まいだ。 


「まずひとつに、あなたは非常に軽率な発言が多い。自分でもそれはお判りでしょう」


 ぼくの方が年上なのを気遣っている様子で、非常に遠回りな言い回しをしてくる。


 言いたいことがあるなら、ハッキリ言えばいいものをとぼくは思ってしまう。


 要するに彼が言いたいのは、ぼくの発言にはデリカシーがない、ということだろう。

 しかし僕はそれに対して反論する。


「それは非常に心外です先生。ぼくは普段からちゃんと言葉をオブラートに包んで、それを検品して、耐久性のチェックまで行っているつもりです」


 ぼくはそう言い返した。


「でしたらなぜ前回、あのような発言をしたのですか?」


 先生がこちらをじっと睨んでそう尋ねた。


「なんのことだ?」


「覚えていなんですか?」

 目の前のカウンセラーが呆れたようにこちらを流し見る。


 軽蔑した人間に向けるまなざしだ。

 

「星野さんのことです」


「誰ですか、それは」


「先日、あなたの服装を指摘してきた男性です」

 

 そういやそんな失礼なやつがいたような。


 よく覚えていないが。


 先生は呆れながらも、辛抱強く話を続けた。


「星野さんが先日ここであなたと会ったときです。その時あなたは、だれがどう見ても色のバランスが狂った服装をしており、見かねた星野さんはそのことをあなたに伝えました。もちろん、言葉を選んで。ええ、星野さんはカラーコーディネーターの資格を持っています」


「ぼくはそのとき彼に何か言ったのですか?」


「本当に覚えていないですか?」


 もう一度、カウンセラーが大きくため息をつく。


 なんてデリカシーのないやつだと、こちらに対してつくづく呆れ果てているようだ。


「服の色を指摘されたあなたは、こう言いました。『人の服の色にケチつけるくらいだから、おたくはさぞ色鮮やかで豊かな人生を過ごしておられるんだろう。ところでここへの移動手段は何色のスポーツカーかな?』と相手にいったのです」


「そんな言い方したでしょうか」


「しましたよ。星野さんだって、あなたと同じ寮生活の工場の派遣労働者だ。車なんて持っていないことくらい知っているでしょう」


 目の前の若いカウンセラーがイライラした様子で説明し、不必要なくらいピリピリしている。


 おそらく、今朝は時間がなくて朝食を抜いてしまったのだろう。


「まだあります。ふたつめ。まず確認ですが、あなたは非常に習慣を大事にする人間だ、そうですね?」


「もちろんです。ぼくにとって習慣というのは、辛いできごとを忘れさせるための数少ない手段のひとつです」


 そう、ぼくは習慣というものをなによりも重んじる。

 

 習慣が人を作るとイギリスの偉大な詩人も言っていた。名前は忘れたけど。


「しかし、その習慣を少しでも他人が阻害するとあなたはどうなる?」


 どうなる、だって?

 そんなの決まっている。


「もちろん、ぼくの人生の通り道を邪魔する人間にはちゃんと伝えますよ。存在が不愉快である、と」


 先生の瞼がしばらくの間、閉じられる。


 体調がよくないように思える。


 おそらく夜あまり眠れていないのだろう。


「あなた以外の人間も、あなたと同じように習慣を大事にしています。これはわかりますか?」


「わかりますよ」


 わたしだってそこまで偏屈ではない。


 しかし言い返そうとするわたしを遮るように先生が続ける。


「たとえば習慣というのを、道を走る車に例えてみましょう。あなたが走る車と、相手が走る車。譲り合わなければどうなる?」


「取り返しのつかない事故につながるでしょう」


「わかっているなら、あなたはもう少し自分の運転に余裕を持つべきではないですか?」


「しかし先生、ぼくは」


「あなたと同じ寮に、新内さんという方がいますね。彼が言ってましたよ」


「何を?」


 まったくもったいぶった言い方をするカウンセラーだ。


 はっきり言えばいいものを。

 これも一種の職業病であろうか。


「これも先日のことです。寮の共同の洗面所を、たまたまあなたが使うタイミングより先に使っていた新内さんに、あなたはなんて言いましたか?」

 

 新内というのは、たしか僕と同じ寮で暮らしている派遣労働者だ。

 太ったチビの初老と男で、ちょろちょろ鬱陶しいやつである。

 

「最近、新内と会話した覚えはない。もっともあいつに用がある人間がいるとは思えないがな」


「そういうところです。そういう発言が軽率だと言っているんです。これはカウンセリングです。あなたは無自覚に人を傷つけている。だから自覚して、自身の行動を改めるべきだと判断したので、今こういう話をしているのです」


「つまり何が言いたいんでしょうか」


「だから、あなたがね、新内さんに先日、寮の共同洗面所で言ったことを思い出してくださいと言っているんです。たまたまあなたが使うタイミングで、新内さんが共同洗面所を使っていた。そのときあなたはなんておっしゃいましたか?」


 先生は平常心を隠せていない様子だった。

 

 言葉だけ取ってみると丁寧だが、声色、息遣い、顔の表情筋と、ところどころで明らかに苛つきを抑えているのが目に見えて明らかだった。


 ぼくはしょうがないので、先日のことを思い出してみる。 


 寮の洗面所はたしかに狭い。


 一人が使うと、残りの人間は後ろに並ばなけれならない。


 先生が話しているのは、おそらく先日の朝の出来事だと思うが、自分がなんて言ったかなんて、そんなものいちいち覚えていない。


 ぼくがマイペースに思い出そうとしていると先生が、


「いいですか、あなたは『そこはぼくの場所なんだから、さっさとどけよ。いくら洗っても、その顔の汚れは落ちないんだ。なぜならそれは鼻といって呼吸器官のひとつなんだ』と言ったんです。まったくひどい」


「そんな言い方していません」


「いいえ。新内さんのほかにも、その場にいた人間が同じ証言をしています」


「なにかの聞き間違いでしょう。いつもぼくより先に洗面所を占領している、根性の汚い、シミだらけの頭皮を持った男のことなんてぼくはいちいち気にしていません」


「あなたねぇ」


 カウンセラーがひどく顔を曇らせる。


 なにもそんな表情にならなくてもと思ってしまう。


 この先生は、きっとパートナーとの関係がうまくいっていないのだろう。


「いいでしょう。最後にもうひとつ、あなたの改善点を述べましょう。それは、」


 カウンセラーが言葉に詰まった。


 おそらく職業柄、言葉の表現にこだわるあまり、自分の言いたいことがすぐに言えないと思われる。


 先生は、黒い短髪の頭を数回両手で撫で、その手を顔に滑らせる。


「なんです、はっきりいってくださいよ、先生」


 ずいぶんともったぶった言い方をする人だ。


「でははっきり言わせてもらいます、白石さん、あなたは大変、口が悪い。あなたの口の悪さには寮の人間はみんな非常にうんざりしている」


 ぼくは納得がいかなかった。


 ぼくは今度こそ遮られないように反論する。



「先生、それはひとつ目の改善点と似ている。そもそもぼくは」


「いいえ、似ていません。ひとつ目の改善点はあなたの軽率な態度についてで、今のは軽率な発言の内容そのものについてです」


「ぼくには同じように聞こえますね。問題点を無理やり増やしているよう思える」


「これでも問題点を厳選したつもりです」


 先生が机からおもむろにタブレットを取り出した。


 やや震えた手で画面を何度かタッチし、何かを仕損じたのか、イライラした様子でいくつかの動作を何度かやり直している。


 やはり朝ご飯を抜いたのがいけなかったのだ。



「あなたの住む寮の、わたしの受け持っている利用者たちからのいくつかの証言のメモがあります。読み上げても?」

 

「オブラートに包んで、検品して、耐久性のチェックも忘れずに」

 

 わたしの皮肉を無視するように、先生が続ける。


「6月11日。曇りのち雨。被害者は秋元さん。就業時間終了後、あなたに『たばこを吸うならもっと離れてくれ。金をかけて死に向かっているやつなんてろくでもない。いいか、次にぼくに近づいたら、あんたの葬式の予約をしてやるよ』」


「それのどこが悪いんだ。仕事終わりの気の利いたあいさつじゃないか」


 ぼくの反論がまるで聞こえないかのように、先生がさらに続ける。


「7月2日。雨。被害者は梅澤さん。15時の小休憩時、あなたに『なぁ、知ってるか、トイレが長いやつは出世しないんだとさ。まぁ、でもあんたは大丈夫。手早く済ませている。すごく早いからあっという間に出世するだろう。しかし回数が多いからすぐに尿路管が詰まって、おそらく社長になるころには、経営に行き詰まるだろうな』と。かわいそうに、梅沢さんは膀胱炎を患っているのです」


「こんなのは単なる言葉遊びです」


「まだあります。8月18日。晴れ。被害者は生田さん。朝のラジオ体操のとき、あなたに『今日はよく晴れたな。いい天気だ。隣にあんたがいなければ最高の朝だよ』と言われた。これが今まででいちばんひどい」


 先生がほかにも次々と読み上げたが、ぼくにはどれもピンとこない。


 いったいぼくにどんな問題があるというのだろうか。


 そもそも今日はこんな異星人たちの話を聞きにきたわけではない。

 

「先生、今日はそんなくだらない話をしに来たんじゃないんです。ぼくはそろそろ結婚したいと思っている。ご存じのように、この辺一帯は工場地帯で、車を飛ばして街に行かない限り、女らしい女なんていやしない。先生はそういった面倒もみてくれると聞いている」


「だから申し上げているように、あなたには結婚のまえにいくつかの改善するべきところがある。あなたのその致命的な欠点を治さない限り、はっきりいって結婚なんてできない」


「欠点を補う合うために、結婚ってのはするのでしょう?」


「一丁前にそんなこといって。では聞きましょう。あなたは、人生のパートナーに何を求めますか?」

 

 先生がその高級そうな、フレームの薄い眼鏡を指で押し上げた。


 インテリな人間がよくやる仕草だ。


 人生のパートナーに何を求めるかだって?


 決まっている。


「まず、ぼくの生活のリズムを乱さないこと。一緒に住むならトイレの掃除は毎日すること。味噌汁にジャガイモは入れないこと。車の運転ができて、たばこを吸わなくて、花札のルールを知っていて、贔屓にしている野球チームをもっておらず、それでいて1カ月に1度は姿を消してぼくを一人にしてくれる顔の可愛い人です」


「いるわけないでしょう、そんな人!」


 先生が今日一番の大声を張り上げた。


 怒りと呆れが入り混じった、なんともいえない顔を作っている。


「そんなのわからないじゃないですか」


 ぼくの反論に先生は答えず、必死に動揺を抑えようとしている。


 情緒不安定なのだ、かわいそうに。規則正しい食事と睡眠の欠如は、やはり人を冷静じゃいられなくするのだろう。


「そもそもあなたには、人に対する『愛』というものがない」


「『愛』には実態がない。あいにく実態がないものでぼくが信じるのは、悪意だけです」


「その悪意を実体化したような人間がいます。いまわたしの目の前に」


 ほかにも何かいいたそうに先生がつぶやいているが、わたしにはよく聞こえなかった。


「とにかく、あなたに紹介できるような女性はいません。これだけははっきり申し上げておきます」


 先生がタブレットやノートやらを片付け始める。


 今日はここまでだといわんばかりに。


 この先生とは分かり合えない。


 ぼくはそう結論をつけ、席を立つことにした。


「白石さん、お帰りになる前にひとつお聞きしたい」

 

 席を立つぼくに、先生がそう尋ねた。

 

「あなたはあきらかに、人生のペース配分を間違えている。どうしていまさら結婚相手を探そうと?」


「そろそろ結婚する時期が来たと思ったからです」


「白石さん。あなたはもう人生の後半に差し掛かっているんですよ。それをお分かりで?」


「それを決めるのはぼくです」


 すると先生が両手を上げて降参のポーズを取った。

 

「ならせいぜいがんばってください。いいお相手がみつかることをお祈りします。その相手と欠点を補い合えるといいですね。ところで白石さん、今年であなたは何歳になられるんでしたっけ?」


「78です」


「どうかお幸せに」

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