32、お父さんのAI詩作成メモ・その3

 昨日は、お母さんとゆうとがAIに詩を作成してもらう遊びをしました。ゆうとがどんなお題を出すのか、AIが指示に応えてどういう詩を作ってくれるのか、お父さんは気になって仕方がありません。そこで、お母さんに「できた詩をメモ帳に残しておいてほしい」とお願いしていました。さらにお母さんから聞いた、「ゆうととどんな話をしたのか」という内容をまとめてメモを充実させていきます。


「こんな感じかな」


 一通り書き上げたお父さんは、今日書き足した部分を頭から見返していきました。


・15こ目のお題「赤色」と「球根」

 AIが作った詩:

 “赤い球根

 

 土の中眠る、赤い夢

 春が来るのを待っている

 そっと掘り起こすと、小さな宝物

 芽を出して、葉を広げて

 太陽に向かって、花を咲かせる”


 お母さんとゆうとが話したこと:

 生成AIに詩を作ってもらう遊びは最近ずっと続けてきたけど、もう15個目になる。これだけ集まれば、ちょっとしたレポートが書けるのかもしれない。俺はAIの専門家ではないから、メモの形でまとめることしかできないが。

 けっこう回数を重ねてきたから、ゆうともネタ切れになってきたみたいで、一個目のお題をお母さんに考えてほしいとお願いしたらしい。お母さんはなんと「光の三原色」をお題にすることを思いついた。ゆうとはもう、抽象的な概念もかなり理解できるようになってきたから、抽象的な言葉をお題にしても面白いんじゃないかと考えたらしい。確かに、今まで身近なものばかりお題にしてきたから、この発想は俺にはなかった。


 というわけで、お母さんは「光の三原色」から「赤色」を。ゆうとは赤色から遠そうな言葉として「球根」をそれぞれ選んだ。それでできたのが上の詩だ。タイトルからして、ゆうとは真っ先に「赤い色の球根」をイメージしたらしい。でもすぐに、「赤い色の花を咲かせる球根」なんじゃないかと考えを改めた。さらに発展させて、「夢」には将来○○になりたい、と願うものと寝ている間に見るものの2種類あることに気づいて、「赤い色の花を咲かせる球根」ならどちらの意味でも通じる考えた。さすが、詩を鑑賞する遊びに慣れてきたからなのか、発想を膨らませるスピードが速い。


 ゆうとの話を聞いたお母さんは、今までとはちょっと違う接し方をしようと思ったらしい。今まで俺とお母さんは、ゆうとの発想を大事にして、想像を膨らませる方向で考えていた。でも、誕生日プレゼントで詩集を贈ろうと俺たちで決めたから、今度は俺たちとゆうと、お互いに意見を出し合ってどちらがよりしっくりくるかを考える、という段階に進んでもいいんじゃないかと思ったらしい。

 AIが作る詩(らしきもの)と違って、人間が編んだ詩集は誰でも同じ内容を読むことができるから、その分「他の人と読みあう」幅も広がる。一方的に自分の意見を言うんじゃなくて、ほかの人の意見も聞いたうえで、話し合う仲間内での「いちばんしっくりくる読み方」を決めるのも楽しい。そうした楽しさをゆうとにも知ってほしいのだとお母さんは言っていた。お母さんは大学時代、難しい哲学書を輪読するゼミに入っていたらしいから、「みんなで同じ文章を読んで解釈する」楽しさをよく知っているんだろうな。俺も大学生のとき、もっとまじめに勉強しておけばよかったと今さら思う。


 というわけで、お母さんはゆうととは違う見方を提示した。球根自体が赤いんじゃなくて、赤いもの、太陽と出会う球根の話なんじゃないかと。タイトルが「赤“い”球根」だから、たぶんゆうとの見方のほうがストレートな解釈なんだとは思う。でも、詩本文を見ると、お母さんの解釈もあり得るなという気がする。AIが作った詩において、タイトルと詩本文がどれくらいの繋がりがあるかはわからないから、お母さんくらい自由に考えるのもありかもしれない。確かに五行目とも話が繋がるから、そういう意味が含まれている可能性もあるとゆうとは思ったみたいだ。

 でも、ゆうとはやっぱり赤い花を咲かせる球根のイメージが強くあったみたいで(お母さんから話を聞いた後の俺も、正直ゆうとの考えの方がしっくりくる)、赤い花を咲かせるチューリップを育てたくなったらしい。たぶん今は時期じゃないだろうが、近いうちにお母さんが球根を買ってくると言っていた。ゆうとと育てるのが楽しみだ。



・16こ目のお題「青色」と「コロッケ」

 AIが作った詩:

 青いコロッケ


 空の青を閉じ込めた、魔法のコロッケ

 ひとくち食べれば、夢が広がる

 カリッとした衣と、ふわふわのジャガイモ

 心も体も、元気いっぱい

 笑顔あふれる、食卓の風景


 お母さんとゆうとが話したこと:

 次の光の三原色は、青色。ゆうとはもう一つのお題を考えるのに少し苦労したみたいだ。確かに、目に入るものは何でも青色になれそうなものばかりで、ぱっと思いつくのは難しいかもしれない。お母さんが食べ物はどうかという助け舟を出した。言われてみれば、食べ物で青いものってそうそうない気がする。青色は食欲を減衰させるという話も聞いた記憶があるし、よほど変わったものでもない限り青くはならない。

 お母さんのヒントを受けて、ゆうとは学校の給食献立表を持ってきて、何がいいかを探した。その結果、「コロッケ」が選ばれた。青とコロッケが結びつくとは思えないし、なかなかいいチョイスだと思う。

 やっぱりAIもお題が遠いと思ったのか、けっこう詩が返って来るまで時間がかかっていたとお母さんが言っていた。お母さんが考えるお題は、人間にとってもAIにとっても難しいらしい。それで、出てきたのが上の詩だ。やっぱり青とコロッケを自然につなげるのは難しかったみたいで、「青いコロッケ」というファンタジックな概念を生み出している。お母さんも、やっぱりファンタジー世界にあるコロッケなんだろうと思ったらしい。でもゆうとは違った。


 ゆうとは三行目から五行目に注目して、そこに書かれているのが普遍的なコロッケ、俺たちが普段食べているようなコロッケに対しても当てはまる話になっていることに気づいた。一行目は確かにファンタジックだが、本当に不思議な力があるコロッケなら空を飛べたりしそうなのに、この詩はそうなっていないと。言われてみれば確かにそうだ。AIが「想像」を膨らませる能力がないというだけかもしれないが、ゆうとは、実際に青いコロッケは存在するんじゃないかと考えた。

 俺たちが知らないだけで、世界のどこかに青いコロッケを食べている人がいて、俺たちと同じように楽しく食卓を囲んでいるんじゃないか、と。俺やお母さんは今までの人生経験から、青いコロッケの実在を信じられないが、ゆうとは逆にその可能性を柔軟に考えられる。このとき、お母さんもやっぱり青いコロッケが実在するのかわからなくて、後で調べると言ったらしい。

 で、実際に夕食後に調べてみたら、本当に実在するらしい。しかも日本国内で。「バタフライピー」っていう青色の色素がとれる植物でコロッケの中身を着色しているみたいで、奈良県の観光商材になっているとのことだった。正直、写真を見ても美味しそうとは思えなかったが、ゆうとに見せたら「食べてみたい!」と言っていたので今度奈良に旅行に行くことがあったら、買ってみるつもりだ。ゆうとは、「じゃあ、あの詩は奈良県の人の話だったんだね」と結論付けていたが、AIがそこまで……青いコロッケが実在することを知っていたのかはわからない。どういう思考回路を経て上の詩が生まれたのかはけっこう謎だ。



・17こ目のお題「緑色」と「小学生」

 AIが作った詩:

 緑の校庭


 緑の校庭で、遊ぶ小学生

 元気いっぱい、かけめぐる

 木陰で読書、ブランコで遊ぶ

 仲間と笑い合い、夢を語る

 緑の校庭、思い出の場所


 お母さんとゆうとが話したこと:

 光の三原色の最後の色は緑。ゆうとはここでも、もうひとつのお題を考えるのに苦労した。確かに、青色は「食べ物にはあまり使われない」とぱっと思いつくが、緑色が存在しないところは俺も数分考えたが出てこない。お母さんもあまりにも思いつかなかったので、目の前にいたゆうとを見て、「ゆうと自身にしたら」と提案したらしい。ただ、直接ゆうとの名前を入れたらAIに情報収集されそうで怖いし、仮に名前を入れてゆうとっぽい男の子が出てきたらそれも怖いから、お母さんは自分で言ったことはまずかったとすぐに思ったそうだ。でも、お母さんが訂正する前に、ゆうとは『小学生』をお題にすることを思いついた。


 「ゆうと自身」と言われてすぐに自分を「小学生」という概念にまで抽象化できたのはなかなかだと思う。ゆうとは今は国語が得意だが、倫理学とか哲学とかを学んだら、はまりそうな素質がある。ちょっと脱線したが、思えば今まで人をお題にしたことはなかったし、ちょうどよかったのではないだろうか。

 それで「緑色」と「小学生」をお題にして出てきたのが上の詩だ。詩を見た瞬間、確かにその発想はありだなとお母さんは納得したらしい。確かに、緑あふれる校庭で小学生が遊んでいるというノスタルジーなイメージは想起される。しかし、ここまで詩を鑑賞してきたゆうとはするっと飲みこむことはしない。「緑の校庭」というが、何が緑色なのかが明示されていないことを指摘した。俺はなんとなく詩を見て自然に囲まれた校庭なんだと思ったが、ゆうとが通う小学校の校庭はそこまで自然豊かじゃない。せいぜい校庭の脇にある花壇に野菜が植えられているくらいで、木や草はあまり生えていない。

 だから、ゆうとは初めに「校庭の地面が緑色なんじゃないか」と考えたらしい。緑色の地面といったらテニスコートがありえるが、あれは暑くて固いからゆうと的には却下とのこと。代わりに、芝生の地面だったらいいなという話をしていたらしい。どうも、友だちのれんくんが気管支が弱くて、今の校庭ではあまり遊べないみたいだ。校庭の軽い砂が舞い上がって喉に刺さり、咳き込んでしまうとのこと。確かに少し前に会ったれんくんは、鳥が好きで屋外活動も楽しめる子ではあるが、どちらかといえばインドアな雰囲気があった。ゆうとはもっとれんくんとも外で遊びたいみたいで、芝生の校庭を望んでいた。言われてみれば天然芝の校庭は聞いたことがないけど、もしあったら楽しそう。


 そこまで考えてひとまず自分なりの「緑の校庭」のイメージがつかめたゆうとは、お母さんが小学生のころの校庭がどうだったのかを尋ねた。やはり、今回はお母さんも自分の考えを提示していたし、なにより「小学校」というゆうとにとって身近な場所が舞台の詩だったから、お母さんにとっての「小学校」という発想には思い至りやすかったのかもしれない。


 というわけで、お母さんが自分の小学校時代の話をしてあげたようだ。校庭を囲うように木が生えていたけど、ネットが張られていてそちらには行けないようになっていたこと。でも、誰かが破れているところを見つけてこっそり抜け出して、かくれんぼとかをして遊んでいたこととか。小学校のころのお母さんの話は俺も聞いたことがなかったから、新鮮だった。小学校の頃のお母さん、意外とアクティブだったんだな。話を聞いていて、ゆうとはお母さんや俺が小学生のころの話をもっと聞きたいとせがんできたらしい。だから、次の日曜日は俺たちでその話をゆうとに聞かせることになった。


 とはいえ、正直小学生のころの記憶はおぼろげだ。お母さんは、「緑の校庭」というキーワードがあったから少し思い出せて話せたと言っていたから、AIにざっくりした「○○と小学生」が含まれる詩をまた書いてもらって、それに関係する小学生時代のエピソードを話すのがいいかもしれない。ただ、過去の話とはいえあまり捏造になるのもよくないから、やっぱり小学校の卒アルを探しておこうかな。


 生成AIに詩を書いてもらって、遊ぶと色々な発見があった。いまの生成AIに何ができて、何ができないか。そしてゆうととどんな風に遊ぶことができるか。何より、ゆうとがどれくらい言葉に貪欲で、色々なことを考えているのかを知ることができた。また、ゆうとがやりたいといったらやってみよう。


 ただ、次の休み(有給がとれた)はゆうとの誕生日だ。お母さんのおかげでプレゼントの詩集のめどは立ったから、もうちょっとで手に入る。人間が書いた詩を見て、ゆうとが何を考え、何を語るのか。AI詩を解読していた時とマインドが変わるのかはかなり興味がある。

 何より、人間が作った詩を先に見て育ってきて、それからAIが書いた詩を見ている俺やお母さんとは違い、ゆうとはAIが作った詩を先に鑑賞することを覚えた。そんなゆうとは、人間が書いた詩にどう向き合うのだろう。楽しみだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る