一目惚れは存在する。だから私は恋をした。

「奏汰君!」

「……梓さん」


 彼女は肩で息をして、膝に手を当てている。


「走って来たんですか?」

「そうだよ? タイトなスカートだから動きにくかったよ」


 ”何しに来たんですか?”と言えるほど鈍感にはなれない。もしも俺がもっとずるければ……もっと梓さんに親身に成れれば……もっと……素直に……!


「奏汰君はさ、一目惚れって信じる?」


 それは何度も考えた。だからもう答えに悩んだりはしない。俺は一目惚れを──


「信じません」

「なんかそんな気はしてたよ。理由を聞いても良いかな?」

「だっておかしくないですか? 一目見ただけで、かけがいのないものだと言い切れるなんて」


 何にでも終わりは来る。だからこそ大切な物が大切だと言い切るには時間が掛かるんじゃないかと俺は考えた。


「怖いんです……特別な何かを作って、その何かを失うのは」

「私は信じるよ。一目惚れ」


 俺の目を真っすぐ見てそういう。その目はまるで、いつぞやのライバル……日野次郎のようだ。どうしてお前らはそう強くあれるんだ……


「私の話、聞いてもらっても良い?」

「いや、俺は……」

 良いのだろうか、俺のようなやつが聞いても……だが、知りたい。彼女が、彼女らがどうしてこう考えるようになったのかを。


「何でもないです。聞きたいです」

「……うん、わかった。私ね、中2の頃彼氏がいたの」

「はあ……」


 何だか胸がもやもやした。過去のことだし、そもそも彼女のことを好きではないと自分で言ったのでは無いか。ていうか何の話だ?


「私はさ、その人に告白されるまで友達だと思ってたの。ありふれた話なんだけど、なんか関係壊すのもいやで……付き合ってから好きになるかもしれないだとか自分に言い聞かせて、付き合うことにしたの」


 どこまでも悲しそうな顔で話を続ける。


「数カ月くらいたった頃に言われちゃったよ”俺のこと好きじゃないでしょ?”って」

「そんなことないよって言ったらなんて返されたと思う?」


 彼女はこう言われたらしい。"君のことが大好きだから、ずっと見てきたから、君の目が僕と会う前から変わって無いことくらい解るよ" と。


「その時決めたんだ。恋は慎重に、決して軽い気持ちで人と付き合ったりしないように……安易に好きにならないようにって。だから私は一目惚れを信じてな

「なら……」


 なら……どうしてそんな目を俺に向けるんだ、どうして俺を追いかけて来たんだ


「君が何を言いたいのかくらい解るよ。でもさ、しちゃったんだから仕方無いよ! 一目惚れ!」

「……は?」


 さっきまでと全然話が違うじゃないかと困惑していたが、俺のことは無視して梓さんが話を続ける。


「きっとさ、ごちゃごちゃ考えすぎなんだよ。君も……私も。だって恋はよーいドンで始まるもんじゃないでしょ?」

「そりゃあそうですけれど……」

「恋においてピストルは鳴らすもんじゃなくて、鳴らされる物なの」


 確かに筋は通ってると思う。そもそも口論したいわけではないから、言い負かされても別に良いのだが、それでも一つ納得いかないことがある。


「恋は特別な物だと思います。それを一目で決めるのは、やっぱり俺には出来ない」


 だから一目惚れは存在しない。だから俺は恋をしていない。


「それは違うと思うな。特別な物だからこそ光輝いているんだと思う。他の有象無象よりもその輝いた物を大切にしたいって思うのはおかしいかな?」


 もう何も言えなかった。彼女が正しいのだろう。


「そうですね。有るのかもしれません。一目惚れってやつは」

「うん。有るんだよ。一目惚れは……例えば私は、」


 その先は言わずに首を振る。一度こちらを見て、笑顔になる。


「あーあ、私も一目惚れされてたなら良いのになー」

「"も"って何ですか」

「……それは……何でもないよ。間違えただけ」


 今だけは、このままでいたい。大切にしたいから、大事だから……特別だから、もっとゆっくり時間をかけて答えを探したい。


 辺りはすっかり暗くなり、ふと見上げた空には雲が広がっていて、ちっとも月が見えなかった。

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