第3話 ソリエンの貧民街
ヘッケン王国と聖教徒法国、そしてガルゾフ共和国に勝利し、この三大大国を手中に収めた獣人国キングサルーンは、今やこの中央大陸で強大な勢力を誇っていた。この獣人国に対抗出来るヒューマンの国はもう何処にもなかった。
辛うじて中央モラン人民共和国とドイケル帝国が獣人国に対して力の均衡を保っていたが、それでも実際に戦争となったら難しいかも知れない。今では両国の王家も三代目に継承されていた。
破れたヘッケン王国で唯一の救いとなったのは王女カロリーナ・デブレンス・ヘッケンが中央モラン人民共和国へ母と共に亡命し、クルーゼン侯爵の保護を受けた事だろう。
ただし父親のヘッケン国王は討ち死にした。勿論もうカロリーナもこの世の者ではないが辛うじてヘッケン家の血筋は残った事になる。
そして英雄ゼロマの提唱により残ったヒューマンの国、中央モラン人民共和国とドイケル帝国とは獣人国キングサルーンとの間に友好条約が結ばれお互いに争い合う事はなくなった。
英雄ゼロマとしても今までの奴隷環境の鬱憤からいきり立つ獣人達を押さえ、これ以上の惨劇を起こさせないようにするのが精一杯だった。その為の友好条約だった。
そのゼロマ亡き後を継いでいる今の政権はそれなりに良くやっていると言えた。これもみなゼロマの指導に寄る所が大きいだろう。
ゼロマは獣人の歴史を変えた偉大な大英雄だ。あの小さな獣人奴隷の女の子が、これほどの偉業を成し遂げるとは一体誰が想像しただろうか。
ゼロマに言わせれば、それは全てゼロお師匠様のご指導あってこそと言う事になるのだが、ゼロマ自身の努力と功績が如何に大きかったかと言う事は想像に難くない。
「よーゼロ、今日は町の中央に繰り出さないか」
「何かあるのか」
「ああ、今日はゼロマデーだ」
「何だそのゼロマデーと言うのは」
「本当は獣人の戦勝記念日なんだがよ、俺達は皆ゼロマデーと呼んでるんだ。英雄ゼロマ様は余りにも偉大な方だったからな」
「そうかゼロマの日か、なるほどな。しかし俺が祝ってはまずいだろう」
「あはは、確かにそうだ。でもまぁいいじゃねーか。行こうぜ」
こうしてゼロとクロシンは町の中心に繰り出した。ここでは町の至る所で色々な飾り付けがなされ戦勝を祝う宴があちこちで繰り広げられていた。そして飲み物も食べ物も今日だけは全てただで振舞われていた。
「どうだいゼロ、今日はみんな無礼講で、飲み物も食べ物も皆ただだ。一杯食っておこうぜ」
「そうだな、それも悪くないな」
ゼロも不思議とこの祝いに溶け込んでいた。勿論フードを被って面体がわからない様にしてだが。
ただこの時祭りの片隅からゼロを見つめる複数の目があった事をゼロは見逃さなかった。
『何だあいつらは、俺に何か用でもあるのか。まぁいいか』
この時この雑然とした人ごみの中を素早く駆け抜ける幾つかの小さな影があった。
その一つがゼロに近づきゼロの懐に指を伸ばした。しかしその影が掴めた物は何もなかった。
「おい小僧、もう少し修行するんだな。まだその腕では俺から物を盗むのは無理だ。顔を洗って出直して来い」
そう言ってゼロはその子供を突き放した。悔しそうに上目遣いをしたその子供は後ろを向いて駆け出して行った。
「まだあんなガキがいるのか」
「あんなガキとは何だ、ゼロ」
「スリだ」
「ああ、スリか、そう言えばこの町にはそう言うのがいるな」
「どうしてだ。ここは住み難い町なのか」
「そうだな、ここには貧民街があるからな」
「ではそこのガキか」
「かも知れん」
「そうか、一度行ってみるか」
その日の午後、ゼロはこの町で貧民街と呼ばれる所に来ていた。しかし昔ゼロが住んでいた頃にはこんな貧民街はなかったはずだ。何時出来たのか。やはり戦後だろうか。
と言う事は戦後処理が上手く行ってなかったと言う事か。まぁ総じて戦後と言うものは何もかもが不足する。
生活の基準さえも。だからこう言う所が出来ても不思議ではないかも知れないがそれにしてもである。
ゼロがその町を歩いているとゼロを見るみんなの目がぎらついていた。隙あらばと言う風にも取れる。
だからと言っていきなり襲って来る事はなかった。一応は警戒をしてるのだろう。この男はどう見ても普通ではないと思えるので。
ゼロもそれを承知でゆっくりと周りを見回しながら進んでいた。すると数人がゼロの前に立ちはだかった。
「俺に何か用か」
「それはこっちのセリフだ。お前はヒューマンだろう。何故こんな所にやって来た」
「俺が何処を歩こうがお前達には関係のない事だろう。この町の貧民街がどんな所かと思ってやって来たんだがやはりクズだな」
「何だと貴様!」
「自分は何もしないでガキにスリの真似事をやらさせて食ってる奴をクズとは言わないのか」
「き、貴様」
「やはりここはクズの集まりに相応しい所。そう言う事だな」
「き、貴様に何がわかる。俺達だって好き好んでここにいる訳じゃねー」
「なら何故抜け出す為の手を尽くさない」
「そんな手があればもうやってるわ」
「それはお前が無能だからその手を見つけられないだけだろう。それを子供に押し付けるな」
「き、貴様、言わしておけばいい気になりやがって。おい、みんな、こいつをやっつけろ」
数秒後に地面を這いずり回っていたのはこの貧民街の住人達だった。しかも片腕のゼロにボコボコにされて。
「俺は見ての通りの片腕だ。しかしな片腕だって努力をすればお前達を叩き伏せる事も出来る。お前らは何か努力をしたか。何もせずに愚痴や文句だけ垂れていても状況は何も改善せんぞ。お前らこそ恥を知れ」
これは流石にちょっと言葉が過ぎたかも知れないが、まぁこんなもんだろうとゼロは踵を返した。ただその後を追って来る数人の小さな影があった。
そこにいたのは今日スリをやらされていた子供達だった。
「なーおじさん教えてくれよ、俺達は何をしたらいい」
「今の生活から抜け出したいのか」
「うん」
「なら捨てろ」
「捨てろって何を」
「今持ってる全てだ」
「そんな事をしたら俺達生きて行けなくなる」
「お前らはしがらみにしがみ付いてるからそこから抜け出せないんだ。抜けたいのなら一旦全てを捨てろ。全てはそれからだ」
「だからって・・・」
「本当にやり直したいのなら俺について来い」
そう言ってゼロは防壁に向かって歩き出した。子供達は何をどうしていいのかわからないままにゼロに付いて行った。そしてゼロは門を出て外の世界にやって来た。
「おじさん、何処に行くんだよ。ここはもう門の外だぞ。魔物だって来るかも知れないんだぞ」
「怖いか」
「当たり前だ。まだ死にたくないに決まってるじゃないか」
「なら生きる為の努力をしろ。それが生きると言う事だ」
「そんな事言っても俺達何も知らないし何も出来ない」
「だから俺が生きる方法を教えてやろうと言ってるんだ。本気で生きる気があるんならな。嫌なら今直ぐ帰れ」
「・・・いや、いい。教えてくれ。なーみんな、いいよな」
「うん、レワンに任せるよ」
こうしてゼロは5人の獣人の子供達を連れて町の外の森に向かった。ゼロはここでまた子供達にサバイバルを教えようと言うのか。
付いて来れれば良し、だめならだめでそれもまた良し。元に戻ればいいだけの話だとゼロは思っていた。ただしそこに進展はない。
まずゼロはテントの作り方から教えた。テントと言っても森の材料を使った簡素なものだ。ただ寝るだけの物。
それでいいとゼロは思っていた。ただし魔物除け香料は四方に配しておいた。これがあれば弱い魔物は近寄っては来ない。
こうしてゼロと子供達の森での生活が始まった。まるでハイキングだなとゼロは思ったが始めはこれでいい。
先ずは森に慣れる事からだ。そしてゼロは小さい動物の狩り方と解体の仕方を教えた。これが自分達の食料になるのだ、子供達も真剣に学ぼうとしていた。
解体した動物の肉を火で焙りまたは干して長持ちさせ保存食にしたりと色ろな調理の方法を教えた。また川魚も同じように料理の仕方を教えた。
最後に薬草だ。これは学ぶのに少し時間がかかるが何も急ぐ事はない。時間を掛けてじゅっくり覚えて行けばいいとゼロは思っていた。
こうして数週間が経つと子供達は本当に自分達だけでも生きる事が出来るのだと言う事を知った。
大人に食べ物を恵んでもらわなくても自分達で狩って食べればいい。そこには生活の自由があった。贅沢はないが以前にはなかった本当の自由があった。
勿論森で生活するリスクは当然ある。だからこそゼロはそのリスク回避の方法を散々叩き込んだ。これなくして森での生活は出来ない。
やがて子供達も森での生活に慣れ生き生きとしてきた。木々の枝を飛び回りマシラの様な運動能力を身に付けつつあった。元が獣人だ。ヒューマンよりも身体能力には長けていた。
メンバーは一番年上のレワン(雄)は犬獣人、次が猫獣人のエトムント(雄)、そして狐獣人のラーラ(雌)と豚獣人のマルク(雄)、最後が兔獣人のメラニー(雌)だった。
ゼロはこの子供達がある程度一人でも生きられる様になったら冒険者ギルドに連れて行って冒険者登録をしようと思っていた。そうすれば自分達だけでも生きて行く事が出来るだろう。
一番年上のレワンは12歳だ。一番年下のメラニーで8歳。これはミレやゼロマ達が冒険者を始めた時よりも年上だ。それなら問題はないだろうとゼロは考えていた。
この頃になるとゼロ達の生活はテントではなく、小さな山小屋の様な物を作ってそこを作戦本部、最前線基地としていた。しかしそこで生活する訳ではない。あくまで一時的な集合場所だ。
実際に寝泊まりするのは各自が持ってる森の寝床だ。これは各自が確保していた。
何故この様な形にしたかと言うと、建物と言う事で安心してしまわない為だ。自分の寝床はあくまで自分で確保する。その気構えがないと森では生きては行けない。
この小屋は場所も小川に近くて便利の良い所にした。ただ周囲の環境も気を付けないと魔物に簡単に襲われそうな所では困る。これもゼロは配慮した。
そしてここでもゼロは子供達に基本的な身体運動の方法を教えた。生活の為のサバイバルは一つの必須事項だ。それとはまた別に安全に生きて行く為の護身の技術もまた必要になる。
丁度ミレやゼロマに教えた様にここでもゼロは彼らにその技術を教えた。
それが今後この子供達にどの様な影響を与えるのか、今はまだわからないが少なくとも無駄にはならないだろうと。そして同時に読み書きも教えた。
ゼロが森に籠るようになってから随分と経ってしまったので取りあえず様子見に一度町に帰る事にした。
クロシンの奴が心配してるかも知れない。またはもう別のパートナーを見つけているかも知れないがその時はその時で良いだろうと思っていた。
実は貧民街では子供達がいなくなったと大騒ぎになっていたが所詮は貧民街の事だ、衛兵も十分に調査もしてくれなかった。まぁそんなものだろう。
こう言う所はヒューマンの世界であろうが獣人の世界であろうが同じようなものだ。貧民街など評価の対象にすらならないと言う事なんだろう。
それにあの子供達に両親はいない。いなくなって困るのは子供達にスリを働かせて稼いでいた守銭奴達だけだ。だからゼロはそう言う事は全て無視した。
冒険者ギルドに顔を出してみるといの一番で飛び出して来たのがクロシンだった。
「おい、ゼロ、一体今まで何処に行ってたんだよ。俺はお前がてっきり死んじまったんじゃないかと思って心配してたんだぞ」
「それは悪い事をしたな。俺は大丈夫だ。ちゃんと生きてる」
「それはまぁ見ればわかるがそれよりもだ。これからどうするんだ」
「別に今までとかわらんさ、依頼をこなして冒険者を続ける。それだけの事だ。ただし遠出の依頼はお前だけでやってくれ」
「どう言う事だそれは、日帰りの仕事しかやらないと言う事か」
「悪いが当座はそうなるな」
「まぁ、いいか。魔物を狩れば当座は稼げるからな」
この頃にはゼロの活躍もあってクロシンはCランクにまで上がっていた。Cランクと言えばもう一人前以上、一端の冒険者だ。
この町の冒険者ギルドでもクロシンは一目置かれる冒険者になっていた。しかしクロシンは知っていた。どんなに強くなってもゼロには遠く及ばない事を。そしてゼロはEランクになった。
普通こう言う獣人が支配する町ではヒューマンはどうしても肩身の狭い思いをする。それは冒険者の世界でも変わらない。
勿論実力的には上であっても敢えて獣人相手に揉め事を起こそうとは思わないものだ。
それはその後の処理が面倒だからだ。事の処理に町の官憲が出て来たとしてもそれは獣人だ。
自分達ヒューマンに良い裁定が下されるとは到底思えない。だから獣人とは揉め事は起こさない。それが鉄則だった。
しかしその中にあって唯一人、その一切を無視する男がいた。それがゼロだ。
では獣人との間に揉め事が起こったらどうするのか。どうもしない。そもそも訴えそのものが起こらないのだ。自分の命を天秤にかけたら当然そうなる。
それがゼロと言う男を敵に回すと言う事だった。
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