第13話-2

 ナンツィヒに戻り、一息ついてフェルディナントはミカエルに聞いた。

「教皇にあんないい加減なことを答えて良かったのか?」

「人の善悪など、最後の審判を受けてみるまではわからぬものだ。我にもわからぬ」


「その割にはサービスし過ぎじゃないか?」

「一人の人間が安らかな顔をして神の御許に召されたのじゃ。それで良いではないか」

「まあ。最後くらいはな」


 ミカエルが突然に話題を変える。

「ところで、今日は我のローテーションの日じゃ。ローマなどという遠方まで付き合わせたツケは払ってもらうぞ」

「おまえなあ……人一人が死んだというのに」

 

「地上に人間は星の数ほどもいるのだぞ。それに一喜一憂していては天使など務まらぬ」

「それはそうかもしれないが」


 ──ミカエルをこんなにしてしまったのは俺の責任……かな?


 部屋の隅には、例によってガブリエルが不機嫌な顔をして控えていた。






 新たに教皇となったホノリウスⅢ世の呼びかけに対してフランスの騎士はさほど集まらず、第五回十字軍には、ハンガリー王アンドラーシュⅡ世とイタリア、ドイツ、フランドルの騎士等が参加した。

 

 神聖帝国皇帝フリードリヒⅡ世は参加を引き伸ばしており、神聖帝国からはオーストリア公レオポルトⅥ世が参加した。父が教皇に破門されて以来の教会との関係修復を図ってのことだった。


 ハンガリー王アンドラーシュⅡ世、オーストリア公レオポルトⅥ世がイスラエルのアッコンに到着し、現地の十字軍国家の諸侯、エルサレム王ジャン・ド・ブリエンヌ、キプロス王ユーグ、アンティオキア公ボエモンらと合流した。


 ジャン・ド・ブリエンヌとアンドラーシュⅡ世を指揮官として、十字軍は進軍を開始する。十字軍はシリアにおいてイスラム勢力と小規模の戦闘があったが、ほとんど成果を挙げられなかった。このため、ハンガリー王アンドラーシュⅡ世が帰国、続いてキプロス王ユーグとアンティオキア公ボエモンも撤兵した。


 オーストリア公レオポルトⅥ世やエルサレム王ジャン・ド・ブリエンヌは、エルサレムを奪回して維持するには、アイユーブ朝の本拠地であるエジプトを攻略する必要があると判断した。


 十字軍はジェノヴァ艦隊と協力し、エジプトの海港であるダミエッタを包囲・攻撃する。十字軍は、ダミエッタ攻略のため、まずはナイル川をふさぐように立ってダミエッタ要塞を防衛していた塔の攻略に着手する。しかし、川の東側は太い鉄の防鎖が渡され、西側は底が浅かったため、塔に近づくのは困難だった。十字軍は何度も塔を攻撃したが、失敗に終わった。


 そこで十字軍は、攻城用の新たな艦船を製造した。これは二隻の船をつなぎ、四本のマストとともに攻城塔が載せられ、上部には敵城へ乗り移るための渡り板が備え付けられるといったものであった。敵が矢や火で攻撃してくるのに備え、船の設備は動物の革で覆われた。この攻城船から十字軍兵士がダミエッタの塔に突入し、ついにはついに守備兵を降伏させた。これにより、十字軍はダミエッタ要塞攻略への道を切り開くことができた。


 神聖帝国皇帝フリードリヒⅡ世は、再三にわたり教皇庁から十字軍への参加を要請されていたが、これを先延ばしにしていた。しびれを切らせた教皇ホノリウスⅢ世は、ついに破門をチラつかせた。この期に及んでもフリードリヒⅡ世自らは参加せず、教皇使節のペラギウス枢機卿が率いる後発軍にロートリンゲン公フェルディナントを同行させることにした。


 フェルディナントのもとに皇帝からの使者がやってきた。最初の十字軍が出発してから一年近くが経過しており、フェルディナントは二三歳になっていた。


「皇帝陛下は、大公閣下の獅子奮迅のご活躍を期待願っております」

 フェルディナントは心中でため息をついた。


 ──十字軍かあ。異教徒討伐というのは、どうもしっくりこないんだよなあ。


 フェルディナントは元日本人であるから宗教には寛容である。異教徒を憎み、残忍に虐殺するとか、略奪の限りを尽くすとかいう感覚に全く着いて行けなかった。しかし、断り方を間違ったら皇帝や教皇、ひいてはヨーロッパ中のひんしゅくを買うことにもなりかねない。


 ──ここは受けておく振りだけでもしておくしかないか。

 

「了解した。陛下には精いっぱい努めると伝えておいてくれ」

「心強い回答。恐れ入ります」


 十字軍は、エジプト攻略のため、ダミエッタを包囲・攻撃しているという。本来であればテンプスの魔法陣でショートカットしたい遠さだが、ペラギウス枢機卿のお守りも任務のうちだと諦める。


 皇帝施設のペラギウス枢機卿は教皇の権威を笠に着るいけ好かない男だった。軍事にも詳しくなく、指揮する能力もないくせに口出しだけはしてくる。これ以上に鬱陶しい存在もなかった。


 ダミエッタは、三重の城壁や二八の塔、そして濠によって厳重な防衛体制が築かれた都市だった。川の塔を攻略した十字軍艦隊と陸上部隊は、川からダミエッタを攻撃した。しかしアイユーブ朝軍が川に船を沈めて封鎖していたため、十字軍は長時間かけて古い運河を再整備し、ようやくダミエッタの包囲を完成させた。さらに、十字軍は冬の到来、嵐、疫病、指揮官同士の内紛に苦しめられた。


 ペラギウスとの長すぎる旅を終えてフェルディナントがダミエッタに到着したのは、その直後だった。後発軍が到着し、十字軍の士気は上がったが、ペラギウスが「教皇代理」として十字軍の指揮権を要求したため、ジャンを初めとする諸侯との軋轢が生じた。


 一方、その直前にアイユーブ朝のスルターン、アル=アーディルが亡くなり、息子のアル=カーミルが跡を継ぐこととなり敵の対応にも空白が生じていた。フェルディナントはジャン・ド・ブリエンヌにそっと耳打ちする。


「名目上の指揮権などどうでもいいではありませんか。実際、やつは軍の指揮能力などは持ち合わせておりません」

「其方。若いのに大人だな」


 これにより、名目上の指揮権はペラギウスに譲りつつ、実際の軍議は諸侯の主導で行われた。ときおりペラギウスも口を挟むが、見当違いな発言が目立ったため、諸侯は黙って無視した。


「要は、あの城壁を破壊すればいいのですね」


 フェルディナントはいとも簡単そうに言った。まるでド素人の発言のようで諸侯はみな含み笑いをした。


「プニエールという巨大な投石器を投入して城壁を攻撃したが、歯が立たなかったのだぞ。貴公はそれを知らぬから無理もないが」と、オーストリア公レオポルトⅥ世がフォローした。同邦の誼ということだろう。


「オーストリア公こそご存じありませんか? 私は神から賜った武器を所有しているのですよ」

「それは誠か? 確かにうわさでは聞いているが」


「それでは早速明日にでもご披露いたしましょう。なに。先は長いのです。それでダメなら、次の策を考えればよいではないですか」

「そうだな」


 レオポルトは、ジャンを含め他の諸侯の顔を見回した。皆が半信半疑の顔をしている。


「百聞は一見に如かずと言います。まずは明日、皆さんでご覧になってください。それでは、私はこれで失礼いたします」と言うと、フェルディナントはさっさと退席してしまった。その流れで軍議は自然解散となった。

 

「神から武器を賜ったなど、途方もない大ぼらを吹くな!」

 ペラギウスは、そう言いたかったのだが、タイミングを逸してしまった。

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