第13話 第5回十字軍

 ローマ教皇インノケンティウスⅢ世によって呼びかけられた第四回十字軍は、当初の目的であった聖地には向かわず、キリスト教国のビザンチン帝国を攻略し、コンスタンティノープルを陥落させた。略奪・殺戮の限りを尽くしたため、最も悪名の高い十字軍となってしまった。結局のところ、教皇は制御しきれなかったのである。


 これに失望したイノケンティウスⅢ世は、新たな十字軍、すなわち第五回十字軍の招集を呼びかけるべく、第四ラテラン公会議を開催する。第四ラテン公会議は、ローマのサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂に隣接するラテラノ宮殿で行われたカトリック教会の代表による公会議である。


 教皇が第一ニカイア公会議のような古代の偉大な公会議に匹敵する公会議をローマに実現したいと望んだ結果、会議には神聖帝国、フランス、イングランド、アラゴン、ハンガリー及び東方十字軍諸国の国王たちの使節、南フランスの領主、イタリア都市の代表者、四〇〇人を越える司教、八〇〇人以上の修道院長など一五〇〇人以上が出席した。


 会議の目的は、正統信仰の保護、十字軍国家の支援、俗人による聖職者叙任権への介入の排除、異端の排斥など多岐に及んだが、最大の目的はもちろん新たなる十字軍の編成であった。


 この会議において、イノケンティウスⅢ世が「教皇は太陽。皇帝は月」と、演説したことは有名である。この演説に示されるように、イノケンティウスⅢ世は教皇権全盛期時代の教皇で、西欧諸国の政治に多く介入した。

 だが、その晩年には十字軍の暴走などその権勢に翳りが見え始めたのである。この演説は、そんな自分に言い聞かせる意味合いもあったのかもしれない。


 神聖帝国との関係では、ホーエンシュタウフェン家の皇帝フィリップの勢力を恐れて、ヴィッテルスバッハ家のバイエルン宮中伯オットーⅧ世と計ってフィリップを暗殺したとも言われる。


 その後、継争いに介入し、ヴェルフ家のオットーⅣ世の帝位を承認し、傀儡にしようとした。が、オットーは皇帝に従わず、イタリア南部に侵入して勢力を拡大しようとしたためにオットーを破門し、自分が暗殺した前帝フィリップの甥のフリードリヒⅡ世の帝位を承認せざるを得なくなった。


 一方、自らの帝位を権威付け、また経済的にも豊かなイタリアの地を掌握することは、歴代神聖帝国皇帝の夢である。イタリア政策問題は頭痛の種でもあった。


 ホーエンシュタウフェン朝の神聖帝国皇帝フリードリヒⅠ世は、イタリア政策に意を注いだ皇帝であった。最初のイタリア遠征を行い、ローマ教皇ハドリアヌスⅣ世から帝冠を授けられたが、イタリアの支配をめぐって教皇と対立するようになる。


 皇帝フリードリヒⅠ世に対抗し、ローマ教皇の支援を受けて北イタリア・ロンバルディア地方を中心とする都市同盟であるロンバルディア同盟が結成され、教皇派と皇帝派の抗争における教皇派ゲルフの中心となった。加盟都市はミラノ、クレモナ、ボローニャなどである。


 フリードリヒⅠ世は、結局戦いに勝利することはできなかった。コンスタンツの和議において、イタリアの諸都市は皇帝に忠誠を誓う一方、皇帝に都市の自治を認めさせる結果となった。


 現皇帝フリードリヒⅡ世は、第五回十字軍参加を誓ったものの、もともと宗教的に寛容なシチリアで育ったため、イスラム教徒との戦いには熱心でなかった。彼は、イタリア政策において対立するローマ教皇との条件闘争が先決と考えていた。


 また、参加をあてにしていたフランスの騎士たちも、レーモン親子の帰還によりアルビジョワ十字軍の戦いが再燃し、第五回十字軍に参加する余裕がなくなっていた。


 このため、第五回十字軍の編成は遅々として進まなかった。


 そのうちにローマ教皇イノケンティウスⅢ世の体調が悪化し、彼は死の床についていた。


 イノケンティウスⅢ世は、経済協定という皇帝とは違ったアプローチでイタリアに触手を伸ばしてきているロートリンゲン公フェルディナントに、不気味さとともに不思議な興味を感じていた。


 また、うわさによると、かの者は大天使ミカエルの加護を受けた軍隊を擁しているともいう。しかも、ケルン大司教などは実際にミカエルが降臨した姿を見たというではないか。


 イノケンティウスⅢ世は、死ぬ前にぜひフェルディナントと会ってみたい、できうれば、ケルン大司教のようにミカエルの降臨を目にしてみたいと思った。そして、フェルディナントをひそかに教皇庁に呼び出すことを決めた。


 フェルディナントのもとを教皇庁からの使者が訪れた。ローマ教皇がひそかに会いたいと言っているとのことだった。

 非公式とはいえ、ローマ教皇へ謁見するとなれば、この上ない栄誉である。理由もなく無碍に断ることはできない。

 表には伏せられているが、タンバヤ情報部が調べたところによると、教皇は今死の床に臥せっているという。

 

 ──なぜ私なのだ?


「わかった。教皇にはすぐにお伺いすると伝えてくれ」と、答えると使者は満足して帰っていった。


 もし教皇が死の床にあるとすると、間に合わなかったでは意味がない。フェルディナントは、使者を追い越すわけにはいかないので、たどり着いた頃を見計らって、転移魔法で一気に教皇庁へ向かった。さすがに悪魔のアスタロトを警護に付けるわけにはいかなかったので、ミカエルを伴うことにした。そうすると当然にガブリエルもオマケでついて来る。

 

 教皇庁に着くと、その速さに驚かれたが、教皇への忠誠の証ととられたようである。すぐさま教皇が臥せる部屋へ通された。


「フェルディナント・エーリヒ・フォン・ロートリンゲン。まかり越してございます」

「よく来てくれた。このような姿で済まない」

「いえ。無理をなさらず」

 

「其方にはいろいろと聞きたいことがあったのだ。其方はイタリアをなんとするつもりじゃ」

 

 ──なぜ皇帝ではなく、俺に聞く?


「私はイタリアに領土的野心は持っておりません。共に協力し合って経済的繁栄を享受できればと思っております」


「仮に領有できたとすればどうする?」

「帝国の役割は軍事、外交などの最低限にとどめ、イタリアの諸都市には最大限の自治を認めることになるでしょう」

 これはフェルディナントの本心である。なぜか嘘をつく気にはなれなかった。

 

「そうか……」

 ほっと息を吐くと、教皇は安心した顔をした。


「ところで其方の軍隊が、大天使ミカエル様の加護を受けているというのは誠か?」

「はい」


「では、其方はミカエル様に会ったことがあるのか?」

「はい」

 何の躊躇もなく答えるフェルディナントに、教皇は驚きを感じた。


「そうか。うらやましいのう……」

「もう会っているではありませんか」


「何っ!」

「ここにおられるお二方がミカエル様とガブリエル様です」


「嘘を申せ」


 フェルディナントが目配せをすると、ミカエルとガブリエルが光に包まれた。そして本性に戻る。豊かな天使の羽。後ろには後光が光り輝いている。


 教皇の目は驚きに見開かれている。近くに控えていた教皇の護衛は、尻もちをつき、「ひーっ」と悲鳴を上げている。


 教皇は一瞬驚いたものの、さすがに肝が据わっている。

「生きている間にミカエル様、ガブリエル様にご降臨いただけるとは、望外の栄誉にございます。ときに、お会いしたら聞きたいことがあったのですが、よろしいですかな?」

 

 ミカエルは穏やかに頷いた。

 

「年を取ってくると気が弱くなってくるもので、わしがやって来たさまざまなことは正しかったのかと疑問に思っておるのです。ミカエル様から見て、いかがなものでございましょうか?」

「其方は其方のできることをやった。それで良いのではないか?」


「そ、そうでございますな」


 教皇の目から大粒の涙があふれ出した。


 ──いろいろとやらかした教皇だったが、それなりに罪悪感も感じていたということか……くそ爺のくせにかわいいところもあるのだな。


 その夜。教皇イノケンティウスⅢ世は眠るように息を引き取ったという。

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