第11話-2

 ヴィオランテとの結婚式はケルンの大聖堂で行うことにした。ロートリンゲン大公国で最も由緒ある教会だからだ。


 フェルディナントは、せっかく皇帝にアウクスブルクからケルンに出向いてもらうのであれば、ついでにロートリンゲン各地を巡幸してもらい、皇帝の権威を知らしめてはどうかと考えた。内乱後の人心を鎮めるのにうってつけだし、フェルディナントが皇帝を引っ張ってこられる力を持っていることを示すことにもなる。


 フェルディナントはその旨を書簡にしたため、内務担当の宮中伯宛に送った。そのことを内務担当の宮中伯が上申する。

「陛下、小僧、いやロートリンゲン大公からこのような書簡がきておりますが、どういたしますか?」


 皇帝は書簡を一読すると言った。

「小僧め。とことん朕を利用しようということか。小癪な」

「内乱で乱れた人心を鎮めるには格好の手段かと思われますし、ロートリンゲンはフランスとの緩衝地帯であるゆえにしっかりと治めてもらう必要があります。それにホーエンシュタウフェン家にとってもマイナスの要素はございませんが」


「わかっておる。ヴィオランテへの祝儀代わりと思って受けてやるわ」


 結局、皇帝からは巡幸を承諾する旨の回答が届いた。ただ、警備についてはこちらが手配すると申し出ていたが、近衛騎士団が務めるということだった。


 皇帝の巡幸行列がナンツィヒの町にやってきた。皇帝の姿を見ることなど市民にとっては一生に一度あるかどうかだ。行列の周りには多数の市民が押し寄せた。


 行列は典礼用の煌びやかな甲冑をきた近衛騎士団が先導している。警備については、念のため他にアスタロト配下の悪魔を一〇〇人ばかり隠形させて巡回させている。これであれば万全であろう。


「あれが皇帝陛下か。なんと威厳のある……」

「陛下の隣にいるのが大公閣下のお妃になるヴィオランテ殿下よ。なんとお美しい……」


 ──なるほど。暗黒騎士団ドンクレリッターの黒備えの甲冑では格好がつかないな。失念していた。


 フェルディナントは警備を断られた理由を理解した。今度からこういう物も用意しないといけないな。それはともかく、サービスだ。


 太陽の周りに光の輪が現あらわれた。フェルディナントの水魔法による仕込みの日暈である。不可思議な現象に皇帝一行は顔色を変えたが、ナンツィヒの市民は二回目とあって落ち着いたものである。


「あれは皇帝の行幸を神が祝福しているのだ!」

 誰かが声を上げた。それを合図に市民たちから声があがる。

 

皇帝陛下万歳ジーク カイザー!」

皇帝陛下万歳ジーク カイザー!」

皇帝陛下万歳ジーク カイザー!」

皇帝陛下万歳ジーク カイザー!」

 

 この様子を見て、皇帝はご満悦のようだ。皇帝の一行が城に入り、お礼のあいさつをする。


「陛下。この度のご巡幸、誠にありがとうございます。おかげで陛下のご威光が市民の隅々までいきわたりましてございます」

「うむ。ヴィオランテの婿殿のためだ。この程度のことどうということはない」

 

「恐れ入ります。ヴィオランテ皇女殿下におかれましても、ご苦労をおかけいたしました」

「フー……夫となるザクセン公のためですもの。この程度は苦労のうちに入りませんわ」

「それは幸甚に存じます」

 

 その夜。皇帝を主賓とした晩餐会を開催した。ヴィオランテが思わず感想をらした。

 

「このサラダにかかっている不思議なソース。とても美味しいわ」

「そうだな。朕も初めて食べるが何というものなのだ?」


「これはマヨネーズという鶏卵から作るソースでございます」


 卵の殻にはサルモネラ菌がついており、正しく殺菌しないと食中毒患者を量産してしまう。そのためこれまで一般に普及するのをためらっていたのだが、この機会にお披露目することにしたのだ。

 

「そうなのですね。そう言われれば卵黄の色をしているわ」

「これはぜひレシピを朕の料理人に教えておけ」

「承知いたしました」


 フェルディナントは心の中でニヤリとした。この後、皇帝が食したソースとしてタンバヤ商会で売り出すのだ。このあとフェルディナントはヴィオランテとダンスを踊った。


 といっても、この時代、ワルツなどという洗練された踊りはないし、オーケストラと言えるような楽団もない。フォークダンスに毛の生えたようなシンプルな踊りだ。


「まあすてき。なんてお似合いなカップルなのかしら!」


 参加者の中から声があがるが、ちょっと照れ臭い。皇帝は複雑な表情で二人を見ている。嫁に出すと決めたとはいえ、まだかわいい娘にまだ未練があるのだろう。


 皇帝巡幸は順調に進み、結婚式を行うケルンに到着した。予定どおり結婚式を挙行する。ケルンの大司教の前で宣誓をする。


「新郎フェルディナント・エーリヒ・フォン・ザクセン、あなたはヴィオランテ・フォン・ホーエンシュタウフェンを妻とし、健すこやかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、妻を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」

「はい。誓います」


「新婦ヴィオランテ・フォン・ホーエンシュタウフェン、あなたは、フェルディナント・エーリヒ・フォン・ロートリンゲンを夫とし、健すこやかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、夫を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」

「はい。誓います」


 ──これでやっと結婚か。出会ってから五年以上。長いと言えば長かったな。


 無事に紅葉の生まれ変わりのヴィオランテと結婚できて感慨深い。フェルディナントは運命の女神の存在を意識せざるを得なかった。クロートー、ラケシス、アトロポスの運命の三女神である。しかし、変にお礼など言わない方がいいのかな。


 ヴィオランテに結婚指輪をはめようと顔を見るとうっすらと涙ぐんでいた。

 

 ──なんだかんだ言って、長かったんじゃないか。待たせて悪かったな……。


 結婚式が無事終わり、夜の結婚披露のうたげとなった。皇太子のハインリヒが一番にあいさつに来た。


「ヴィオランテ。念願の彼と結婚できてよかったな。おめでとう」

「ありがとうございます。お兄様」


 フェルディナントは初めて会うが、なかなかの好青年ではないか。

 

「皇太子殿下。初めまして。フェルディナント・エーリヒ・フォン・ロートリンゲンにございます。以後お見知りおきを」

「おお。ロートリンゲン公。噂どおりいい男ではないか。ヴィオランテをよろしく頼むぞ」

「承知いたしました」

 

 続いてザクセン大公があいさつに来た。皇帝がザクセン公を威嚇するような視線を向ける。先の帝位争いでは当初オットー陣営にあった男だ。気にいらないのだろう。ザクセン公は真正面から視線を受け止めた。


「ロートリンゲン公。結婚おめでとう。しかし、早々に大公位を得るとはとはな。さすがわしが見込んだ婿殿だ」


 ザクセン公の息子には、フェルディナントの妹のアイリーンが嫁いでいた。一種の政略結婚である。


「ロートリンゲン公はヴィオランテの婿だ。なれなれしくするな!」

 皇帝が一喝する。しかし、ザクセン公も負けていない。


「これは陛下。ロートリンゲン公へ先に唾を付けたのはわしですぞ」

「それはそうだが……」


 その時皇帝の頭にあるアイデアが閃いた。ヴィオランテを嫁に出すだけではなく、フェルディナントの縁者を嫁に取れば、より関係は強固になるではないか!


「ロートリンゲン公。朕の息子にも嫁をよこせ。ザクセン公には出せて朕には出せぬとは言わせぬぞ! おい。ハインリヒちょっと来い!」

「何ごとですか。父上」

 

 急に踵を返したハインリヒは、フェルディナントにあいさつしようと向かっていた妹のルイーゼとぶつかってしまった。

 

「きゃっ」と小さな悲鳴をあげてルイーゼは尻もちをつく。

「おっと。これは大変失礼した。お嬢さんフロイライン


 ハインリヒは優雅な動作でルイーゼに手を差し伸べる。ルイーゼは真っ赤になりながら手を差しだした。このような紳士的な男性に接するのは初めてなのだろう。ルイーゼは立ち上がった後もボーっとしてハインリヒに見とれている。

 

 ──これは一目惚れってやつかな?


「では、失礼する」

「は、はい」


 ハインリヒが皇帝のもとにやってくると、皇帝はまくしたてた。

「おまえ。ロートリンゲン公の縁者を嫁に取れ。わかったな!」

「それは良いのですが、急なお話ですね」


「何を言う。前々から考えておったことだ」

「そうでございますか。承知いたしました」


 そのやり取りを見ていたツェーリンゲン家の者たちは唖然としている。その目はルイーゼに集中していた。四女のマルティナは未成年だ。ツェーリンゲン家で嫁に出せるのはルイーゼしかいない。

 だが、どうもツェーリンゲン家の者は皇帝を前に尻込みをしており、まともな対応ができそうもない。

 

「ルイーゼ。こちらへ来てくれないか」 

 フェルディナントはルイーゼを呼んだ。ルイーゼは緊張した足取りでフェルディナントの前にやってきた。表情を見ると緊張が極限に達しているようだ。

 

 すると、ハインリヒが話かける。

お嬢さんフロイラインはロートリンゲン公の妹御でしたか」

「はい」


「では、私の妻になっていただけますか?」

「はい」


「ありがとうございます。では、よろしくお願いしますね」

「はい」


 ──ルイーゼ。おまえさっきから「はい」しか言えてないぞ!


 そのやり取りを見ていた皇帝が言った。


「よし。めでたい。これで決まりだな」

「左様でございますね」

 仕方なくフェルディナントは相槌を打つ。

 

 ──でも、ルイーゼも気に入ってるみたいだから結果オーライだよね。

 

「まあまあ、かわいいお嫁さんねえ」

 皇帝の横に控えていた美女が言った。ヴィオランテの母のビアンカである。


「これは義母上様。ありがとうございます」

 フェルディナントはお礼を言った。


 ──しかし、若々しくて美人なお母さんだよな。とてもヴィオランテのような大きな子供がいるように見えない。


「ルイーゼさん。兄をよろしくお願いしますね」

 ヴィオランテが優しく声をかける。

「はい。皇女殿下」


「まあ。もう義理の姉なのだから、ヴィオラと呼んでほしいわ」

「はい。ヴィオラお義姉さま」

 

 それにしてもルイーゼは最後まで緊張しっぱなしだったな。こればかりは時間をかけて慣れてもらうしかない。習うより慣れよだな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る