第11話 ロートリンゲン大公位、そして……
戦後処理について、まずはフランドル伯家と交渉をする。
この時代、戦争で得た捕虜については、身代金を払えば返還されるという習慣があった。当主を始めとして多くの騎士等の捕虜を得ていたが、フランドル伯家は身代金を素直に払うということなので、開放することになった。身代金を吹っ掛けることはしなかった。
続いて、領土交渉である。フェルディナント自身は領土的野心をほとんど持たなかったが、領土的なペナルティーなしでは国の内外に示しがつかない。そこでゼーラント伯領南部で国境線に食い込むように入り込んでいる土地を割譲させることにした。ブラバント公領の北西部を切り取るように存在するこの土地は広さにしてブラバント公領の一〇分の一程度であろうか。
領には、中心となる町を作ることとした。名前は正妻の名前を取ってヘルミーネブルグとでもしようか。フェルディナントは、この土地を直轄領とし、産業を興そうと考えていた。この辺りは毛織物が盛んな土地であるので、理系ゾンビのフィリーネに命じて紡績機や織物の機会などを開発しようと考えている。
加えて、フランドル伯領とは、ザクセン公国と結んだような自由貿易協定を結ぶことにした。これにより関税を撤廃し、貿易を自由にする。フェルディナントは、ドイツ北部一帯に自由貿易圏を作る構想を持っており、これはその一環である。
この領地は、位置的にフランドル伯の居城があるヘントに隣接しており、フランドル伯フェランがおかしな動きをしないよう牽制できる場所でもある。
フランドル伯フェランは言った。
「あれほどの大敗北をしたのに、本当にこればかりでよいのか?」
「その分は商売で穴埋めしてもらいますから。基本的に私は商人なのですよ」
「あんなに武力があるのに商人と言い張るか」と、フェランは薄笑いしながら皮肉で返した。大負けしていっそ清々しい気持であった。だが、失われた武力を回復するには相当な時間を要するであろう。
ブラバント公国との交渉であるが、こちらも身代金は素直に払ったので、開放することとなった。だが、アンリⅠ世は敗戦のショックで憔悴しきっており、交渉ができる状態ではなかったので、後継ぎのアンリⅡ世と交渉を行うことになった。
「まず領土についてだが、こちらは
「これは温情のあるご沙汰に心から感謝いたします。で、条件とは何でしょうか?」
「一つはおやじ殿のアンリⅠ世には引退してもらう」
「それは覚悟しておりました」
「もう一つは下ロタリンギア公爵位を私に譲ってほしい」
「それは構いませんが、あんな実を伴わない名誉職でよろしいのですか」
「かまわない」
下ロタリンギア公爵は、帝国内で旧ブルグント王国地域を統括するブルグント総督に相当する職だが、現在は名誉職に成り下がっている。しかし、名誉職というのは実はバカにならないこともある。実力のある者がその職に就くことで有効に機能するケースもままあるのだ。
これが得られれば、名目上は、フェルディナントは上下ロタリンギア、すなわちロートリンゲン全土の支配者ということになる。
「それでは皇帝陛下にその旨上申してもらおうか」
「承知いたしました」
皇帝フリードリヒⅡ世はブラバント公国のアンリⅡ世からの上申書を見て首を
「下ロタリンギア公爵位だと。あの小僧なんでそんなものを欲しがる?」
内務担当の
「小僧はロートリンゲンの各領主から庇護を求める書簡を集めております。すなわちロートリンゲンは小僧に実効支配されているも同じということです。これに下ロタリンギア公爵位が加われば、モゼル公爵の位と合わせて名目上もロートリンゲン全土の支配者となります。事実上ロートリンゲン大公国が復活したようなものですな。あと足りないのは大公位くらいなものです」
「では、どうすればいい?」
「ロートリンゲンの動乱を鎮めたのは小僧の業績ですから断るのは難しいでしょうな。断れば戦争の火種にもなりかねません」
「あの
「ではお認めになるしかないでしょう。下ロタリンギア公爵位はもともとただの名誉職と皆が思っていましたが、今の小僧が持つことで意味合いが変わってくるでしょう。なにしろ実力が伴っていますからな」
「しかし、あの小僧がそれほどの権力を持つのは気味が悪いな」
「では、いっそ大公位も与えて、ヴィオランテ様を嫁に差し出してはいかがです? 小僧もヴィオランテ様の父上をないがしろにはできないでしょう」
「確かにヴィオランテもいい加減に嫁に出さねばならぬ年頃ではあるが……」
皇帝は、準男爵に過ぎぬと馬鹿にしていた冒険者の小僧が、大公位を望めるまでにのし上がってくるとは思ってもいなかった。
「あの方は準男爵で終わるような器ではありませんわ」
学校時代、2人の交際を咎めたときにヴィオランテの言った言葉が脳裏に浮かぶ。
──女の勘というのは鋭いものだな。
そして次の言葉も……。
「お父様もうかうかはしていられませんわよ」
──バカな。あの小僧が朕を追い越して皇帝にでもなるというのか?
皇帝は頭を振った。
「陛下。どうされました?」
「とにかく、ヴィオランテのことは考えておく」
その夜。フェルディナントⅡ世はヴィオランテの部屋を訪れた。
「まあ。お父様の方からいらっしゃるなんてどういう風の吹き回しですの?」
「それはともかく、おまえはまだあの小僧と結婚したいのか?」
「まあ、小僧なんて失礼な。前から申し上げているとおり、私はフェルディナント様以外とは結婚しませんわ」
「なぜそんなにこだわる?」
「女の勘ですと言ったら笑われますか?」
さすがに前世の夫ですとは言えない。
「いや。そんなことはない」
「やっと認めてくれる気持ちになりましたの?」
「そうだな……考えておく」
──冗談で言ったつもりなのに?
ヴィオランテは父の態度の
皇帝は決断した。ヴィオランテの幸福にホーエンシュタウフェン陣営の強化。その二つを考えた時に結論は一つではないか。こんな簡単なことに今まで何を悩んでいたのか?
翌日。内務担当の宮中伯に皇帝は言った。
「朕は決めたぞ。大公位もヴィオランテも小僧にくれてやる。そのかわり小僧は確実にホーエンシュタウフェン陣営に取り込むのだ」
「御意」
「では、早速小僧を呼びだせ」
「ははっ」
フェルディナントは、突然の皇帝からの呼び出しに当惑した。まさか今回の内乱の件を咎めだてはしないだろう。いちおうそれなりの収まりどころに収めたつもりだ。とすると下ロタリンギア公爵位の件か? しかし、あんな名誉職のために呼び出しなどをするだろうか? とにかく陛下の命には逆らえない。フェルディナントは、久しぶりのアウクスブルクへ向かった。
ここは皇帝の
「陛下。命によりフェルディナント・エーリヒ・フォン・ザクセンまかり越してございます」
「うむ。この度のロートリンゲンの内乱の件。大儀であった」
「恐れ入りましてございます」
「その褒美に下ロタリンギア公爵位と言わず、ロートリンゲン大公位をくれてやる。もちろん選帝侯位もだ」
思わぬ話にフェルディナントは驚愕した。
「それはありがとうございます。感謝の念に絶えません」
「ただし、それには一つ条件がある」
「条件ですか?」
「ヴィオランテを嫁にもらってもらう。そのかわり其方は朕に一生忠誠を誓うのだ!」
「ありがとうございます。私の忠誠は今も将来も陛下のもとにあることをお誓い申し上げます」
思わぬ幸福の訪れに、フェルディナントは顔が緩みそうになるのを必死に耐えた。それにしても、まだ将来だと思っていたヴィオランテとの結婚が突然に転がり込んでくるとは。
──運命の女神の気まぐれも、時にはよいものだな。
謁見の間の帰り道。ヴィオランテの部屋を訪れた。
「ああ。フーちゃん!」
顔を見るなりヴィオランテはいきなり抱きついてきた。
「陛下から結婚の話を聞いた」
「私も今日初めて聞かされたのです」
「陛下も人が悪いな」
「そうね」
二人は微笑しあった。
「長く待たせてすまなかった」
「いいえ。最初からわかっていたからちっとも長くなかったわ。いろいろ考えながら待つのもそれはそれで楽しいものよ」
「そうか。ヴィオラは凄いな」
「俺はもう待ちきれなくて何度も爆発しそうになった」
「あら。そうは見えないけど?」
「必死に顔に出ないようにしていただけさ」
「そうやって喜怒哀楽を中に溜め込むのはあなたの悪い癖ね。いつかあなたの心が悲鳴をあげてしまうわ」
「ああ。善処するよ。でも、ヴィオラがいてくれたらもう大丈夫だ」
「そんなに期待されても自信がないわ」
「いや。一緒にいてくれるだけでいいんだ。それだけで私の心がどんどん軽くなっていく」
フェルディナントは改めてヴィオランテを抱きしめるとキスをした。
ナンツィヒに戻り早速ヘルミーネの部屋に向かう。
「どうしたの? 浮かない顔をして?」
無表情を努めていたのだが、付き合いの長いヘルミーネにはお見通しのようだ。
「陛下からロートリンゲン大公位をいただくことになった」
「いい話じゃない。おめでとう……って、もしかして……」
ヘルミーネの表情が変わった。
「ああ。ヴィオランテと結婚することになった」
「やっぱりね。いつかそういう日が来るとは思っていたけれど……あ~あ。短かったなあ。正妻の座は」
「すまない」
「ロスヴィータさんの気持ちが今になってわかった。あなたのためなら私は喜んで受け入れるわ。それに側妃になったからといって、あなたの愛は変わらないのでしょう?」
──このセリフも二回目か。
「もちろんだ」
そう言いながらフェルディナントはヘルミーネを抱きしめ、そのまま濃厚なキスをする。そして……。
そのあと先代モゼル公夫妻、つまりヘルミーネの両親にも報告をした。
「そうか。ロートリンゲン大公国が復活するのか。感慨深いものがあるな。若くて強い君主に引き継いだわしの目は確かだったということだ。はっはっはっ……」
「それよりも。何だかザクセン家を乗っ取るような形になってしまいました。申し訳ございません」
「なんの。皇帝の娘を娶るのであればやむを得ない。ホーエンシュタウフェン家との血縁ができれば、将来は盤石ではないか。それにヘルミーネが立派な男児を産めばその者が後継ぎということもあり得るのだろう?」
「それはそうですね」
「頑張るのよ。ヘルミーネ」と、ヘルミーネの母が声をかける。
「は、はい」と柄にもなくヘルミーネは恥ずかしさで真っ赤になっている。
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