第10話-5
いよいよブラバント公国に入る。
セイレーンのマルグリートと配下の鳥たちに上空から探らせたところ、ブラバント公とフランドル伯は小高い丘の上に陣取っており、動く気配はないようだ。自分たちに有利な地形で戦おうという算段らしい。ブービーヌの二の舞はしないということなのだろう。
フェルディナントは諸侯連合軍に対して略奪行為を厳禁するよう通達していた。この時代、戦争があれば略奪は当然のごとく行われており、その対象には金品のほか人族や亜人も含まれていた。このような倫理観は正さねばならない。
命令が簡単には徹底されないであろうことは明らかだったので、アスモデウス配下の悪魔数百名を隠形させて見回りをさせている。略奪をしようとすると、どこからともなく見えない敵がやってきて妨害され、けがを負わされるということが噂となり、連合軍兵士の中で略奪しようとするものは次第にいなくなっていった。
この不可思議な出来事に、フェルディナントは悪魔を使役しているという噂も広がり、フェルディナントはドキリとさせられた。噂というものはあてにならないことも多いが、時に真実をズバリと言い当てていることもあるのである。
だが、中には例外があるもので、それでもルクセンブルク伯の配下で略奪を働く者がいた。本人的には、己の豪胆さを示そうとでも思ったのだろう。村娘をさらって強姦しようとしたところを現行犯的に隠形した悪魔たちに捕まり、フェルディナントの前に引き立てられてきた。その裁きの結果を見ようと、諸侯連合軍の兵士たちが集まっている。ここは厳しい裁きで一罰百戒とするしかないだろう。
フェルディナントは縄を打たれて緊縛されている男に静かに近づくと、剣を抜き、有無を言わさず両足の膝から先を切断した。
「ああっ!」という驚きの声が兵士たちの中から上がり、直後、誰も言葉を発せなくなってしまった。緊張した空気の静寂が辺りを覆う。
「手当てしてやれ」というフェルディナントの声がやけに大きく響いた。
フェルディナントは切断された足を拾うと、「適当に処分しておけ」と言いながら、横で控えていたアダルベルトに物でもあるかのように渡す。
鋭い人間なら、この時フェルディナントがこっそり目配せしたことに気づいたかもしれない。アダルベルトは意図を察したようだ。
男の足からは凄い勢いで血が噴き出しており、苦しそうなうめき声を上げている。手当をする者が布を当てるが、あっという間に赤く染まっていく。この大けがでは、この時代の医療技術では十中八九は死に至るだろう。助かったとしても、一生両足が不自由なままだ。刑罰としては相当に過酷なものと言える。
フェルディナントは、その場を無言で立ち去った。と同時に緊張が解け、兵士たちが話し始めた。
「眉一つ動かさずに切りやがった」
「なんと冷徹な……」
フェルディナントは、本陣に戻ると、「あの男を人目に触れないように連れてこい」と命じた。傍らにはアダルベルトが控えている。
程なくして両足を切断した男が連れてこられた。相当に血が流れたようで、顔面は蒼白で息も絶え絶えである。
「おい。助かりたいか?」
男はもはや声を発することができないらしく、小さく頷いた。
「これから治してやってもいいが、故郷には戻らないことが条件だ。わかったな」
男は小さく頷く。
フェルディナントは、アダルベルトから切断された足を受け取ると、ハイヒールの魔法で両足を接合した。魔法で免疫を強化することも忘れない。男は痛みが引いた安心感からか、そのまま眠り込んでしまった。
「木魔法で免疫は強化しているが、サルファ剤も与えておいてくれ」
理系ゾンビのフィリーネは染料から作る抗菌剤であるサルファ剤も完成させており、既に実用化されていた。だが、まだ一般に普及するには至っていない。
男は結局命を永らえた。その後、望んでフェルディナントの食客となり、武芸を研鑽した。周囲も驚くような腕となると、望んでフェルディナントの警護の任に着いた。妻たちやアダルベルトたちは復讐を狙っているのではと反対したのだが、フェルディナントは意に介さなかった。その後、男は片時もフェルディナントの傍を離れなかったという。
フェルディナントは行軍を続け、ブラバント・フランドル連合軍から五キロメートル離れた地点に陣を敷いた。
むこうから攻めてくる気配はない。こちらから近づいたところで一気に丘から攻め下る戦略なのだろう。高地から攻め下る方が勢いに乗って有利なのは戦術の常識だ。見え見えだが効果的ではある。
──さてどう料理してやろうか。
フェルディナントは、ブラバント・フランドル連合軍が視認できる位置まで軍を進めた。そこでライン宮中伯のヴェルフェンに指示を出す。
「戦いは基本的に
「敵は
「数の問題ではない。現に対デンマーク戦争の時は一〇倍の敵を一日で敗走させたこともある」
「そこまで言うのならば止めはしないが」
ヴェルフェンは納得していないようだ。
──実戦を一目見ればわかることさ。
「我々は
「迂回といっても、丘の上からは動きが丸見えなのですぞ」
「なに。秘策があるのさ」
「マリー。頼む。」
フェルディナントがホムンクルスのマリーに指示を出すと、マリーは
敵の斥候がいれば音などでバレる可能性があるが、斥候は、セイレーンのマルグリートと配下の鳥たちに上空から探らせ、アビゴール配下の隠形した悪魔たちに全てつぶさせていた。
目の前で一瞬のうちに
ブラバント公とフランドル伯は悠然と敵を眺めていた。こちらは地理的に有利な場所に前もって完璧に布陣している。後は攻め上ってくる敵を逆に攻め下って蹴散らせばいいだけだ。そう思っていたのに……。
「敵の一部が視界から消えました」
ブラバント公とフランドル伯は報告を聞いて苛立っていた。
フランドル伯は怒鳴った。
「敵は軍の一部をどこぞに迂回させる気だ。斥候は何をしておる?」
「それが、一人も戻ってきておりません」
「とにかく追加で斥候を出せ。消えた敵の位置を探らせるのだ!」
「はっ」
フランドル伯は自分に言い聞かせるように言った。
「まあよい。こちらが有利な場所に陣どっている事実に変わりはない。多少の不利などいつでも覆えせる」
「そのとおりですな」
ブラバント公は同意した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます