第10話-4
これで残るはブラバント公を残すのみ。相手は交渉には乗ってこないだろう。フェルディナントは、
ロートリンゲンに先行するロタリンギアは、フランク王国のルードヴィヒⅠ世の三人の息子間で分割が取り決められたヴェルダン条約で創設された中部フランク王国が二つに分割された北部に相当する。ロタールⅡ世が統治したことから「ロタールに属する土地」といったほど意味だ。
ロタールⅡ世が後継者を残すことなく没したことで、最終的に東フランク王国へ属することになった。その後、東フランク王国のオットー大帝は弟のブルーノをロタリンギア公に任命した。ブルーノはロタリンギアを上下に分割し以後固定化される。
上ロタリンギアはモゼル公国として存続するが、下ロタリンギアは小さな領邦に分裂していった。下ロタリンギアの中でも頭一つ飛び出ている領邦がブラバント公国である。
アンリ・フォン・レギナーレ(フランス読みでレニエ)は神聖帝国皇帝フェルディナントⅠ世によってブラバント公に任命された初代であり、自らの力で勝ち取った地位にプライドを持っていた。また、名誉職ではあるが「下ロタリンギア公爵位」も父から相続していた。
アンリ・フォン・レギナーレことアンリⅠ世は息子のアンリⅡ世に不満をぶちまけていた。
「ルクセンブルク伯まで寝返るとは、周りが皆敵ではないか!」
──どうすればいい? あんな成り上がりの小僧に頭を下げるなど死んでも無理だ!
下ロタリンギア内がダメなら外に助けを求めるか。とするとホラント伯か、ゼーラント伯か……いや頼りない。
「神聖帝国ではないが、いっそフランドル伯を頼るか……」と、アンリⅠ世は呟いた。ブービーヌの戦いの際は、一緒にフランスと戦った仲でもある。
アンリⅡ世は慌ててその言葉を遮った。
「父上。フランドル伯フェランは領土的野心に溢れる男ですぞ。それを帝国に招き入れるなど」
「黙れ! もう他に手がない」
「一時の恥を忍んで、小僧に頭を下げれば済むことではありませんか。小僧に下った他の領邦は領地を
「おまえは甘いのだ。あんな小僧が信じられるものか!」
「父上……」
結局、アンリⅠ世はフランドル伯に救援を求めることに決めてしまった。
フランドル伯は形式的には西フランクの封建臣下であったが、東西フランク、後に神聖帝国とフランス王国の緩衝地帯として両国と関係しながらも大幅な独立性を保っていた。また、フランク王国のカロリング家の血筋を引く名家でもあった。
フランドル伯フェラン・エノ―は、ギラギラとした領土的野心を持つ血の気の多い男であった。先のブーヴィーヌの戦いにも率先して参加し、他国軍の到着を待たずして先陣を切ったところである。そのフェランのもとにブラバント公からの救援の要請が来た。
「ほう。面白い。これを機に帝国の領土を切り取ってみせよう! はっはっはっはっ……」
フェランは降って湧いた好機に喜びを隠せないでいた。
フェルディナントは、最後まで抵抗するブラバント公国の討伐の準備を進めていた。まずは下ロタリンギアの各領主から集めたフェルディナントに庇護を求める書簡を皇帝のもとに送った。討伐の正当性の証であるとともに、帝国軍は手を出すなという意味合いもある。
そこにタンバヤ情報部のアリーセから報告があった。
「ブラバント公がフランドル伯に救援を求めたようです」
──ちっ。面倒なやつを引き込みやがって。
「わかった。ご苦労」
皇帝フリードリヒⅡ世は、モゼル公たるフェルディナントから送られた書簡を苦々しい思いで手に取っていた。軍務卿のハーラルト・フォン・バーナーが言う。
「ここまでお膳立てされては帝国軍の介入はできませんな」
皇帝が口を開いた。
「朕としては国が無事治まってくれればそれでよい」
だが、多少強がりにも聞こえる。
バーナーは怒りを口にする。
「しかし、ブラバント公め。フランドル伯を引き入れるとは何事だ!」
近衛騎士団長のコンラディン・フォン・チェルハは、のんきな口調で返した。
「拡充された
フェルディナントは在来の領軍二千を残し、
ヘルミーネがフェルディナントの部屋を訪ねてきた。
「あなた。私も出陣するわ。まさか女は結婚したら家庭へ入れとか言わないわよね」
前世では妻の紅葉も働きながら育児をしていたし、個人的には働く女性に違和感はない。しかし、現世の常識的にはどうか? 周りにはどう見るだろうか?
──だが、さんざん戦いの場に駆り出しておいて今更か。
「わかった。だが、前線に出すのは難しいぞ」
さすがに領主の妻を切り込み隊長にはできない。
「わかってるわよ」
「ならいい」
ナンツィヒの市民に見送られながら
ナンツィヒの市民たちは、ダークナイトの異形にも少しずつ慣れてきているようだ。
軍の先頭には煌びやかな刺繍をほどこしたロートリンゲン十字の旗がたなびいている。十字軍とは違う神聖な軍隊の証だ。住民たちは今回がお披露目となるロートリンゲン十字を指さしながら何やらささやきあっている。
──よしよし。目立っているぞ。
今回の行軍はショートカットしない。領内にロートリンゲン十字を知らしめるとともに、
今回の戦いには、下ロタリンギアの地方領主たちにも参加してもらう。地方領主連合軍の総大将は、ライン宮中伯にやってもらう予定だ。ライン宮中伯のハインリヒ・フォン・ヴェルフェンを全面的に信用することは危険だが、使える人材であることは間違いない。今回は、アビゴール配下の悪魔を連絡役という名目の見張り役として派遣してある。
下ロタリンギアの国境にはライン宮中伯の軍が迎えに来ていた。
「出迎えご苦労さまです。今回は総大将の任を引き受けてくださり、ありがとうございます。活躍を期待していますよ」
フェルディナントは意識していないのだが、相変わらずの慇懃な対応にヴェルフェンはうすら寒いものを感じる。
「これしきのこと。何ということもない。今回は公のために精いっぱい働かせていただく」と、ヴェルフェンは必死の思いで答えた。
下ロタリンギアでもロートリンゲン十字を知らしめながらゆっくりと行軍し、軍威を示す予定である。諸侯の軍は途中の行程で順次合流することになっている。
数的には諸侯連合軍が総勢三〇〇〇。
対するブラバント公は、領内から戦闘可能な者を駆り出して総勢二〇〇〇。だが、寄せ集めの軍のため玉石混交状態のようだ。これにフランドル伯の軍三〇〇〇が加わり総勢五〇〇〇となる。
単に頭数では敵が上回っているが、フェルディナントは全く気にしていなかった。
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