第10話 下ロタリンギア平定

 上ロタリンギアの地方領主は、いささか強引とはいえ、なんとか抑えることができた。


 下ロタリンギアであるが、中でも有力なのは、ブラバント公、ルクセンブルク伯と、それになんといっても地方領主のとりまとめ役であるライン宮中伯である。また、宗教的な有力者としてケルン大司教、トーリア大司教とヴェルダン、メス、トゥールから成る「三司教」がいる。これらに対する対応をどうするか?

 

 堅実に行くのであれば、これまでどおり情報戦で下ロタリンギアの勢力を分断しつつ、上ロタリンギアの内政を堅固に固めていく守りの一手だろう。しかし、戦勝の勢いに乗じて下ロタリンギアを一挙に制圧する手も捨てがたい。これには相手に再度結束する時間を与えてはならず、短期戦となるだろう。


 フェルディナントは、副官のレギーナ、参謀のアビゴールと再び今後の策を協議する。アビゴールが開口一番言った。


「主殿。簡単ですぞ。暗黒騎士団ドンクレリッターの力をもって再び団結される前に、先手を打って各個に踏みつぶしていけばいいのです」

 

 ──おまえはそう言うと思った。

 

「おまえは、再びやつらが攻めてくると思うか?」

「今回の戦の一番の首謀者はブラバント公と聞いております。公は自尊心が高いお人柄とか。ゆえにおそらく今回の敗戦は許せないでしょう。それにご高齢ため、長い時間をかけて戦の準備をすることもかないますまい。そう遠くないうちに必ず再戦に至りますぞ」

「そうだな」

 

 レギーナが発言する。

「相手は過去にヘルミーネ様へ結婚を申し込んだという、あのブラバント公です。おそらくは、その頃から上ロタリンギアに勢力を伸ばすことも考えていたのかもしれません。公の性格からして、嫁に逃げられたことをいまだに根に持っている可能性もありますし、その嫁をフェルディナント様が横取りした形になりますから、恨みは増している可能性もあります」


「遅かれ早かれブラバント公とは決着をつける必要があるということか?」

「おそらくは」

 

 ──この老害じじいめ。

 

「それであればやつに時間をくれてやる必要はない。短期決戦だな。しかし、問題が一つある。相手は帝国内の領土だ。これを私利私欲で武力を持って奪ったとなると帝国軍の介入を招く恐れがある。先の戦の復讐戦とか、防衛のための先制攻撃とかいろいろ言い方はあると思うが、大義名分が必要だ」

 

 三人はしばし考え込む。するとアビゴールが意外なことを発言した。

 

「下ロタリンギアには教会勢力が多くあります。これを取り込んで彼らがモゼル公の庇護を求めたという形を作るのです。暗黒騎士団ドンクレリッターは、ミカエルの加護を得た聖なる軍隊、いわば十字軍のようなものです。相手は蛮族でないとはいえ、ロートリンゲンの秩序を乱す勢力と言えます。これを十字軍に準じた暗黒騎士団ドンクレリッターが討伐するという形をとるのです」

 

 ──おまえ。悪魔のくせにそんなことよく考えつくな。

 

「それは面白い! レギーナはどう思う?」

「いい考えだと思います。こちらにはベアトリス様がいらっしゃいますから、マインツ大司教のルートを使って働きかけもできますし、実現可能性は高いですね」


 そこでフェルディナントはあることを思いついた。ロートリンゲンはフランス語ではロレーヌと言い、ドイツとフランスの間で揺れ動いた地方でもある。この地方では、一五世紀以降、十字に短い横棒を一本足したロレーヌ十字という印が用いられる。これを二百年先取りして使ってしまおう。


「わかった。それで行こう。そこでだ。それに当たっては、新しい旗印を使おうと思う」

 

 フェルディナントは、ロレーヌ十字を二人に示して言った。

 

「名付けてロートリンゲン十字だ」

「十字軍とは差別化しつつ、聖なる軍隊であることを示す印として最高ですわ。さすがはフェルディナント様」と、レギーナがフェルディナントを褒め上げた。

 

 ──本当は、ただのパクリなんだけどね。


 ベアトリスに今回の戦略を相談すると、二つ返事で同意してくれた。


「帝国人同士で争うなどという不幸なことが起きないようにするためには、フェルディナント様の庇護を求めるのが一番です。下ロタリンギアの人たちはきっとわかってくれますわ」

 

 義父のマインツ大司教のもとにベアトリスと一緒に向かう。念のためミカエルも同道させている。マインツに向かう馬車の中で、ベアトリスが不機嫌に言った。

 

「ミヒャエルさん。なんであなたが一緒なんです?」

「旦那様が此方がいないと寂しいと言うてきかなくてな」というなり、ミカエルはフェルディナントにひっついてくる。

 

「フェルディナント様。本当なのですか?」と、ベアトリスの目がかなり怖い。

 

 ──まさか本物のミカエルとは言えないしな。

 

「いや。君一人だけだと皆が嫉妬するだろう。君のことを思ってだ」

「まあ。そうなんですね。フェルディナント様。優しい……」と言うとベアトリスもひっついてきた。

 

 ──珍しく素直だな。

 

 女は体温が高いから二人もひっつかれると鬱陶しいのだが、ここは我慢だ。

 

 やがてマインツの司教座に着いた。大司教との会見の場にはあえて聖堂内を選んだ。もちろん考えがあってのことである。最初はベアトリスに話をさせる。

 

「お父様。お願いがあるのです」

「突然何なんだ? 下ロタリンギアのこともあって今は忙しいのだろう」

「そのことです。下ロタリンギアの民は聖なる軍隊を統括するフェルディナント様の庇護を求めるべきです。お父様からも下ロタリンギアの教会に働きかけていただきたいのです」

 

 大司教はフェルディナントを睨みつけながら言った。

 

「闇の者を引き連れている軍隊にミカエル様の加護などあるはずもなかろう。僭称するのもたいがいにすることだな」

「それは……」

 

「ソロモン王の例があるというのだろう。其方がソロモン王を引き合いに出すなど一〇〇〇年早いわ!」

 

 あいかわらず嫌われているな。ここは最後の手しかないか……。

 

「では、ミヒャエル様にご降臨いただきましょう」

「其方、何を申して……」

 

 フェルディナントが聖堂内にあるミカエルの像に祈りを捧げると、像が実体化し、ミカエルの姿となった。その背からは眩い後光を放っている。大司教はあまりの驚きに腰を抜かしてしまい、床を這いつくばっている始末である。

 

「我は大天使ミカエル。我はかの者に賊徒を討伐するための加護を与えた。汝ら神を信ずる者はかの者を助けよ。これは神のご意思である」

 

 大司教は過呼吸になっているらしく、何度も「ひっ」と言いながらまともな言葉を発することができない。ベアトリスが大司教に駆け寄り、背中をさすってやるとようやく落ち着きを取り戻した。

 

「本物だ! 生きている間にミカエル様に会えるとは!」と感動に打ち震える大司教。

「だから、フェルディナント様を見くびるなと言ったじゃないですか」と、ベアトリスはあきれ顔である。

 

「わかった。わしから下ロタリンギアの大司教らに親書を書こう。ついでに使者も同行させる。それでいいだろう?」

「十分です。ありがとうございます。義父上様」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る