第9話 上ロタリンギアの粛正
順番は逆になったが、アウクスブルクからモゼル公国の首都ナンツィヒへの帰り道。バーデン=バーデンのツェーリンゲン家へ報告に寄った。
当主である祖父以下家族の前で報告をする。
「この度、モゼル公の一人娘に求婚され、これを受けることにしました」
「なんと! 公爵になるというのか。しかし、あそこは戦があったばかりで大変だぞ」当主で祖父のヘルマンⅣ世は、驚きの声をあげる。
「それは全て承知の上です。私がモゼル公国を立て直して見せます」
「うむ。よくぞ言った。公爵になるからには、そのくらいの覚悟がなければ」
「姓はザクセンに変わりますが、家族の絆は不変です。このことが言いたくて」
「それはもちろんよ」
祖母のカロリーネが答えた。年配者が言うと説得力がある。妹のルイーゼとマルティナは泣きそうな顔をしている。
「二人とも湿気た顔をしないでくれ。会えなくなる訳じゃないんだから。できるだけ顔を見せるようにするよ」
「約束ですよ。お兄様」とルイーゼが念を押す。
「もちろんだ」
義母のアンナが優しく言った。
「フェルディナント。今日くらいは泊まっていきなさい。レギーナさんもね」
「それもそうですね。今日は甘えさせてもらいます」
料理好きのアイリーンは嫁に行ってしまったが、その日の夕食はフェルディナントとレギーナが協力して腕を振るった。
食材は、
「やっぱり、お兄様の料理はおいしいですわ」とルイーゼとマルティナがはしゃいでいる。さっきまでべそをかいていたのに現金なものだ。
ナンツィヒへ戻ったフェルディナントは、副官のレギーナ、参謀のアビゴールと今後の策を協議する。
ロートリンゲン地方は、上ロタリンギアと下ロタリンギアに分割されているが、まずはモゼル公国の属する上ロタリンギアの綱紀を粛正せねばならない。アビゴールが開口一番言った。
「主殿。簡単ですぞ。
(おまえ……戦争はうまいが、政治の方はぜんぜんダメだろう!)
上ロタリンギアはまだモゼル公国の威光が完全に陰ってしまっているわけではない。先の戦争に参加した地方領主たちは下ロタリンギアの領主たちに唆されたという側面が強い。それをいきなり力でねじ伏せるのはいかがなものか?
レギーナが提案した。
「いきなり討伐するのではなく、一度だけ改悛の機会を与えてはいかがでしょうか。それでもダメな場合は討伐すればいいのです」
(さすがレギーナさん。いいことを言う)
「そうだな。近々ヘルミーネと仮初の結婚式を行い、そこでモゼル公の襲名を宣言しようと思う。その場に各地方領主を呼びつけ、服従の宣誓書にサインをさせるというのはどうだ?」
「それはいい試金石になるでしょう。それで結婚式へかけつけなかったり、サインを拒否したりした者について討伐を含めた対応を検討すればいいのです」
「甘いな。主殿。それで時間をかけている間に敵が軍備を整えたら後悔することになるぞ」アビゴールは、どうしても戦争の方へ思考が行ってしまうようだ。
「その時こそおまえの出番だ。おまえの軍略をもってすれば、地方領主ごときが軍備を整えたところで、打ち破ることもたやすいだろう?」
「それはもちろんだ。何だったら私の軍団からいくらでも派遣するぞ」
「それは頼もしい。その時は頼むぞ!」
「あいわかった」
なんだかアビゴールの操縦法がわかってしまった。こいつはとにかく戦争が好きなのだ。
早速に準備を始める。アビゴールの言うことももっともなので、地方領主たちが再集結しないように噂を流す。
再集結するとすれば、核となるのは下ロタリンギアのブラバント公、ルクセンブルク伯、ライン宮中伯あたりだから、彼らが疑心暗鬼になるよう、相互に抜け駆けをしているという風評をタンバヤ商会やハンザ商人を使って流す。もちろん彼らの動きはタンバヤ情報部の人間を使って詳細に把握しておく。
また、ロートリンゲン地方全体に
一、
一、神から賜った不可思議で強力な武器を使う。
一、強大な力を持つ闇の者、すなわちダークナイトがいる。
一、竜を使役する強力な従魔士がいる。
……云々かんぬん。
今回、竜の出番はなかったがその他については多くの目撃者がいる。その分だけ信憑性も高まるだろう。
フェルディナントは上ロタリンギアの地方領主全員に結婚式の招待状を出した。期日は1月後。貴族の結婚式は準備に時間がかかるということもあるが、本音は噂が十分に広まると思われる期間を置いたのである。そして結婚式当日がやって来た。
地方領主たちは、それぞれお祝いの品を持参してきている。その内容で忠誠度が計られるとあって、当人たちは真剣そのものである。
これに対しては、その価値に倍する返礼品を持たせて帰す予定である。ここはタンバヤ商会の会長で商工組合総連合会会長でもあるフェルディナントの財力をアピールする場でもあるからだ。
結局、結婚式を欠席したのは三名だけだった。この対応は後ほど検討しよう。
結婚式は、ナンツィヒの大聖堂で行われた。型どおり儀式が進む。
「新郎フェルディナント・エーリヒ・フォン・ツェーリンゲン、あなたはヘルミーネ・フォン・ザクセンを妻とし、健すこやかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、妻を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」
「はい。誓います」
「新婦ヘルミーネ・フォン・ザクセン、あなたは、フェルディナント・エーリヒ・フォン・ツェーリンゲンを夫とし、健すこやかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、夫を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」
「はい。誓います」
儀式は無事終わり、服従の誓約書へサインが行われる。多数のダークナイトの護衛が整列する会場で行われた。
フェルディナントも結婚式とは打って変わって、黒ずくめの軍装に白銀のマスクをしたアレクの格好をしている。白銀のマスクがいつにも増して不気味さを増しているようにも見える。
各地方領主は一人ずつダークナイトが整列する前を通ってフェルディナントの待つ、テーブルに向かう。どの領主も極限までに緊張した表情をしている。フェルディナントは無慈悲に言う。
「その誓約書の内容を確認したらサインしてくれたまえ」
誓約書には、「いつ如何なる時も身命を賭してフェルディナント・エーリヒ・フォン・ザクセンに忠誠を貫くことを神に誓約する」と書いてあった。この文面ではほぼ全面的な服従を意味する。各地方領主は躊躇しながらも結局全員がサインした。
その夜。結婚披露の晩餐会となった。
各領主は通り一遍のお祝いの言葉をかけてくるが、心がこもっていないことは見え見えだ。しかし、今日のところはやむを得ない。信頼関係はこれから時間をかけて築いていくしかない。
宴が進み、一人の悪酔いした地方領主が話しかけてきた。
「しかし、モゼル公。うらやましい限りですな。逆玉とはまさにこのことですぞ」
──なんと失礼なやつだ!
フェルディナントは腰の剣に手をかける。その瞬間、アダルベルトが男のボディを凄まじい勢いで殴りつけた。 男は数メートルも吹き飛ばされ、胃の内容物を嘔吐している。
「何をする!」と、領主の護衛たちが戦闘態勢を取る。
するとフェルディナントの横で護衛をしていたアスタロトが言い放った。
「あなたたち。モゼル公が剣に手をかけていたのが見えなかったの。ヴァイツェネガー卿が殴りつけていなかったら、今頃首が飛んでいたわよ。命拾いしたわね」
──あれは単に脅すつもりで。
……とは言えなかった。とりあえず場は治まった感じだし、まあいいか。
へんなオマケはついたが、晩餐会は大過なく修了した。
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