第8話 モゼル公国救援
神聖帝国の北辺、ドイツ最西端にあって南北に細長く広がるロートリンゲン公国では、大公の不在がもたらす権力の空白が、地方領主たちの間での熾烈な争いを引き起こしていた。まるで小さな戦国時代が再現されたかのような混沌。その中でも、ライン川上流のモゼル公国は、モゼル公爵の強力なリーダーシップのもと、際立った存在感を放っていた。しかし、今、そのモゼル公国に暗雲が立ち込めていた。
ロートリンゲン公国内の地方領主たちが結託し、モゼル公国に軍を進めたのだ。力の頂点に立つ者を打ち倒すために、次位の者たちが手を組むというのは、古今東西、権力闘争の常套手段である。モゼル公国を滅ぼした後の勢力図は、この戦いの成り行き次第で決まるだろう。
地方領主連合軍は五千を超える兵力を誇っていた。これに対し、モゼル公国の戦力はわずか二千。数的不利を考慮し、モゼル公爵は籠城戦を選択した。
フェルディナントのもとに、タンバヤ商会情報部のアリーセが急報をもたらした。
「モゼル公国が、地方領主の連合軍に攻められているとのことです」
「何だと? 双方の戦力は?」
「連合軍は約五千、公国側は二千です」
「戦況はどうだ?」
「公爵は城壁に身を寄せて耐えています。しかし、敵は我々の二倍以上。いつまで持ち堪えられるか……」
ロートリンゲンは常に緊張感を孕んでいたが、地方領主たちも大胆な一手を打ったものだ。さて、皇帝はどのように対応するのだろうか。通常であれば、モゼル公爵への救援が妥当な策だろうが……。
ロートリンゲン地方は石炭と鉄鉱石の豊かな産地であり、モゼル公国にはタンバヤ商会の製鉄所がある。もしもこれが被害を受ければ、フェルディナントにとっても甚大な損失となる。
その時、ヘルミーネが息を切らして飛び込んできた。
「フェルディナント様。モゼル公国が攻め込まれているというのは本当ですか?」
「ああ、事実だ」
「どうか、お父様を救ってください!」
「お父様?」
「私はモゼル公爵の娘です。お願いします!」
これまで彼女は自らの出自を隠してきた。しかし、父の危機に際して、もはや隠し立てできないということか。貴族の娘であることは予想していたが、まさか公爵の娘とは……。
「分かった。何とかしてみよう」
フェルディナントは、近衛騎士団長のコンラディン・フォン・チェルハを訪ねた。チェルハはちょうど外出しようとしていた。
「団長、モゼル公国の件ですが……」
「いつも情報が早いな」
チェルハは感心しているが、それに構っている暇はない。
「内戦を放置すれば、陛下の威信に関わります。至急、モゼル公に援軍を送るべきです。その際は、第六騎士団をお願いします」
「それはそうだが、陛下がモゼル公をどう思っているかが問題だ。ともかく、卿の考えは理解した。善処しよう」
「ありがとうございます」
皇帝の館では、皇帝フリードリヒⅡ世、軍務卿ハーラルト・フォン・バーナー、近衛騎士団長コンラディン・フォン・チェルハ、副団長モーリッツ・フォン・リーシックが、モゼル公国への対応を協議していた。
チェルハが話を切り出した。
「内戦を放置すれば、皇帝の権威が揺らぎかねません。大至急、モゼル公に援軍を出すべきかと」
皇帝フリードリヒⅡ世は、意地悪く毒を吐いた。
「あやつは、朕がオットーと争っていたとき、ずっと中立を保っておったからな。ここはいい薬になるのではないか?」
「これを放置すれば、ロートリンゲン地方はさらに混乱します。さらに、力で領土を奪う行為が他の地方にも波及かねません」
チェルハは呆れて、声高に反論した。これには、皇帝も気圧され、憮然となった。
「チェルハ、冗談だ。形だけでも援軍を出さなければ、皇帝の立場が疑われるな」
チェルハは、再び冷静に議論を進める。
「第六騎士団が援軍を志願していますが、どうでしょうか?」
「また、あの小僧か。どうしたものか……」
「モゼル公国は籠城して耐えていますが、敵の数が多いため、いつまで持つか分かりません。一刻も早い援軍が必要です」
「援軍を出す以上、間に合わなかったでは済まないからな。足の速い小僧が適任ということか……。やむを得まい。軍務卿も、それでよいか」
「異存はありません」バーナー軍務卿は、素直に同意した。
フェルディナントは、皇帝の厳命を受け、モゼル公国の救援に急ぐことになった。時間がないため、彼は時空精霊テンプスの魔法陣を利用し、一瞬にしてモゼル公国へと瞬間移動した。
天使軍団と悪魔軍団は、その真の姿を現すと大混乱を招くため、人間の姿に変身していた。彼らは上位の存在であり、容易に形を変えることができるのだ。
フェルディナントは、籠城している城から五キロメートル離れた地点に陣を張り、指揮を執る。
セイレーンたちに命令を下す。
「マルグリート、君たちと配下の鳥たちで、敵の伏兵を探ってくれ」
「任せてください」とマルグリートははつらつと答え、勢いよく飛び立っていく。
「私は城の様子を偵察してくる」
「お気をつけて」と副官のレギーナが見送る。
フェルディナントは魔法の杖を手に取り、空を舞う。城はバリスタ(据え置き式大型弩砲)とトレビュシェット(平衡錘投石機)の猛攻に晒され、城壁はもはや崩壊寸前だった。
城の守兵たちは必死に弓で応戦しているが、敵の侵攻は刻一刻と迫っている。
「これは、急がねば……」
フェルディナントは陣地に戻り、敵の位置が視認できる地点まで部隊を進めさせた。その時、マルグリートが報告に戻ってきた。
「城を囲む兵以外に伏兵は見当たりません」
「よくやった。引き続き空からの監視を頼む」
「了解です」
マルグリートは、再び空へ舞い戻る。
敵軍は突如現れた援軍に動揺し、混乱していた。彼らは統一された指揮系統を持たない寄せ集めの軍だった。
「ネライダ。フランメ。まずは君たちで上空からバリスタとトレビシェットをつぶしてくれ」
「了解! 主様」
ペガサス騎兵と魔導士団は、ペガサスに跨り、空へと舞い上がった。敵は驚き、弓矢を放つが、重力に逆らう矢は届かず、逆に味方に降り注いだ。
ネライダが指示を出す。
「バリスタとトレビュシェットを狙え。炸裂弾、
爆発音が轟き、人馬は恐怖に震えた。特に馬は制御を失い、散り散りに逃げ去っていく。
爆風と破片により、多くの兵が血に染まり、助けを求めた。
「バリスタとトレビュシェットの射手を狙え。
敵は空を見上げ、銃声に驚愕した。
バリスタとトレビュシェットの射手たちが弾丸に貫かれ、次々と血を流していく。
「何が起こっているんだ? 魔法なのか?」
弾丸が目にとまるはずもなく、敵は混乱し、味方が倒れる様子に当惑した。
フランメが命じた。
「よし。僕たちはバリスタとトレビュシェットを燃やすよ。炎よ、我が呼び声に応えよ! 火炎の矢ぶすまをもってバリスタとトレビュシェットに火をつけよ! レインオブファイア」
炎の矢が豪雨のごとく降り注ぎ、木製の攻城兵器は瞬く間に燃え上がった。
「いったん、撤退せよ」
フェルディナントはペガサス騎兵と魔導士団に退却を命じた。
攻城兵器の破壊により、城の危機は一時的に回避された。残るは敵軍をじっくりと叩くのみだ。
ホルシュタインの戦いでは、恐怖の力で敵を圧倒したフェルディナント。
しかし今回は、新たな仲間も加わり、彼は異なる戦術を試みることに決めた。
「ミヒャエル、聞いてくれ。次の一手はこれだ……」
フェルディナントはミカエルに耳打ちした。
「なるほど、それは確かに興味深い」
ミヒャエルの目に新たな火が灯った。
「ミーシャ、モゼル公に伝令を頼む。城門前の敵を我々が掃討する。城からも出撃して、敵を挟撃するようにと」
「了解ですにゃ、主様!」
ミーシャはタラリアの翼で空を舞い、城へと急いだ。
昼が近づき、太陽が天頂に達する中、輝く太陽の周りに虹色の光の輪が現れた。日暈と呼ばれる現象だが、これはフェルディナントの水魔法によるもの。迷信深い時代の人々は、この神秘的な光景に息を呑んだ。
そして、天空には大天使ミカエルが輝かしい後光を背に現れた。随従する多数の天使を伴っている。
「我は大天使ミカエル。この戦に大義はない。よって神は、これを討伐するため
敵も味方も、その壮大な宣言に畏敬の念を覚え、震え上がった。
「おお! 何と言うことだ……神の怒りを買ってしまった」
敵陣からは恐怖の声が漏れ始めた。多くが武器を捨て、降伏の姿勢を見せた。
しかし、敵指揮官は冷静さを保とうとした。
「気を取り直せ! あれは敵の幻術に過ぎん。弓隊、撃ち落とせ!」
矢の雨が降り注いだが、マリー、ローラ、キャリーのホムンクルス三姉妹が作り出した時空反転フィールドにより、矢は跳ね返され、敵自身を傷つけた。
「あれはやっぱり本物だ! 矢が跳ね返えされるなんてあり得ない」
武器を捨てる者が更に増えていく。
フェルディナントは冷静に前進し、風魔法を使って戦場全体に響く声で宣言した。
「我らは
「おい。あの黒づくめの兵装に白銀のマスク。間違いなく白銀のアレクだぜ。百戦無敗の
敵の中に更に動揺が広がる。フェルディナントは、それを無視して追い打ちをかける。
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