第5話ー3

 戦いの前日、フィリップⅡ世は、自軍に有利な場所であるブービーヌでの会戦を決意し、万全の陣形を敷いた。


 これに対し連合軍は戦場に到着した軍勢から逐次投入するという最もやってはならない戦術をとってしまう。

 結果、最初に到着したフランドル伯の軍から順次各個撃破されフランス軍の大勝利となった。


 特にオットー軍は、フェルディナントの嫌がらせの影響で疲労困憊しており、使い物にならなかった。


 フランドル伯フェラン始めとする多くの貴族と騎士が捕虜となった。


 オットーはなんとか難を逃れたが、本拠地であるブラウンシュヴァイクへの撤退を余儀なくされた。


 この敗戦により、ローマ王=皇帝を巡るオットーの敗北が決定づけられた。以降、オットーはブラウンシュヴァイクに籠り、程なくして死去した。


 フェルディナントは、杖に跨り、上空からブービーヌでの戦いを見ていた。いざという時はかげながら魔法でフランス軍を支援しようというつもりだったが、フランス軍の見事な戦いぶりに出番はなかった。


 フェルディナントは、戦場から戻り、皇帝フリードリヒⅡ世の前に立っていた。彼の鎧は傷だらけで、血しぶきが乾いていた。戦いの疲れが身体を襲っていたが、彼は堂々と立ち、ブービーヌの戦いの顛末を報告する。


「陛下、オットーⅣ世の軍を無力化し、フランスへの挟撃作戦を阻止しました。フランスの勝利です」

 フェルディナントは、皇帝に向かって一礼した。

 

「そうか、フランスの大勝利か……」と、フリードリヒⅡ世は感慨深げだ。

 

 今のところフランスとの関係は良好であるが、これによりイングランドに痛めつけられていたフランスが息を吹き返し、勢力を拡大するとすれば、隣国の神聖帝国としてはあまり面白くない。負けてもダメだが、勝ちすぎても面白くないというのは難しいところだ。

 

「オットー軍を無力化したとはいえ、数的には連合軍が有利だったのですが、とにかくフランス王の戦略が見事でした」

「そこは寄せ集め軍隊の難しさということか……」


 連合軍はまったく統制がとれていなかった。烏合の衆の見本のようなものだった。

 

「己の強さを過信し、抜け駆けをして戦功を求める心情は理解しますが、結果を顧みない行動は短慮に過ぎます」

「近衛騎士団は別として、我が神聖帝国軍も諸領邦軍の寄せ集めだからな。気をつけねばなるまい」

「おっしゃるとおりかと」


 フリードリヒⅡ世は、中空を仰ぎ見た。何か思うところがありそうだ。

 

「わかった。大儀であった」

「ははっ。では、失礼いたします」


 フェルディナントは、敬礼をして皇帝の執務室を後にした。

 

 ──嫌みの一つも言われるかと思ったが、意外に機嫌がよかったな。

 

 フェルディナントは、やや拍子抜けしていた。

 皇帝フリードリヒⅡ世は、今まで小僧と馬鹿にしていたフェルディナントの実力を、少しずつ見直しているのであった。






 フェルディナントが屋敷に戻った後、今回の戦いが話題となった。

 

「これで、ヴィオランテ様のお父上の地位も安泰ということですね。そうすると、結婚もますます難しくなるんじゃないですか?」

 ベアトリスが意地悪そうな顔をして、フェルディナントに尋ねた。


「……………………」

「ごめんなさい。ごめんなさい。怒らせてしまいましたか?」

 ベアトリスが必死に謝っている。フェルディナントは、単に答えあぐねていただけなのだが。


「いや。怒ってはいない」というフェルディナントの答えは感情が薄い。

「やっぱり怒ってますぅ。えーん。フェルディナント様に嫌われちゃった」

 ベアトリスが涙目になっている。


 ──怒っていないと言っているのに、面倒くさい女だな……。


「ご主人様。ベアトリスをいじめちゃダメにゃ」

 ミーシャに怒られてしまった。


「ベアトリス。大丈夫よ。フェルディナント様は口数が少ないだけで、怒っているわけじゃないから。いいかげん慣れなさいよ」と、ローザがフォローしてくれた。


「本当ですか?」

 ベアトリスが恐る恐る聞いて来る。

「ああ」

 ベアトリスは完全に納得した感じではないが、なんとか引き下がってくれた。


「あなたも観念して、私たちの誰かを正妻にしてはどうなの? 地位もお金もあるわけだし、何が問題だっていうの?」

 今度はローザに突っ込まれてしまった。


 ──言われてみれば、そのとおりなんだよなあ。


 この世界は重婚が認められているから、他の者と結婚したからといって、前世の妻であったヴィオランテと結婚できなくなるわけではない。

 しかし、フェルディナントにはヴィオランテを正妻にしたいという気持ちが強く、その前の滑り止め的に他の者を正妻にするのもいかがなものかと思うのだ。正妻のチェンジなど、できればやりたくはない。


「そこは前向きに考えておくよ」

「何よそれ」

 ここは話をはぐらかせておくに限る、と思うフェルディナントだった。


 それから数日後。侍女長のコンスタンツェがフェルディナントの部屋をノックした。

「お客様がお見えです」

「お客様?」


 ──心当たりがないが?


「クララ・エシケー様とおっしゃっておりますが」

「なにっ! 館に入れたのか?」


「はい。お知り合いのようでしたので」

「わかった。今行く」


 客間に行ってみると、確かにオットーⅣ世の愛妾であるクララ・エシケーだった。


「あら。お久しぶりね」

 敵対していた割には、本当の知人のように話しかけてくる。

 

「何の用だ?」

「これはまた、つれないねえ。オットーのやつも落ちぶれちまったからさ。次のパトロンを探しているんだ」


「それがどうしてここに?  皇帝のところにでも行ったらどうだ?」

「それも考えたんだけどねえ。もっと面白そうな人がいると考え直したのさ」


「それが私ということなのか? なぜだ?」

「あたしは権力と金を持っている男が大好きなのさ」


「答えになっていないな。私は金を相応に持ってはいるが、権力の方はたいしたことがないぞ」

「別に今とは言っていないさ。あんたをそれだけの器だとあたしが見込んだのさ」


「褒めても金はやらんぞ」

「褒めてるんじゃない。本気よ」


 クララは小悪魔的な表情でフェルディナントを見つめる。フェルディナントはそれに魅惑され、表情を赤くした。これは恋愛に関する経験が段違いだ。貫禄負けといったところか。


「しかし、君は人族ではないだろう?」

「そうか。あんたには人ではないことがバレちまったんだったねえ」


 そう言うとクララは周りに人がいないことを確認し、狐に変化した。

 毛の色は金色で尾は九本生えている。金毛九尾の狐だ。

 金毛九尾の狐は、強大な妖力の持ち主であり、その強さは全ての妖狐の中でも最強である。また、殷の妲己だっきのように美女に変化して世を乱したとも言われている。


金毛九尾こんもうきゅうびの狐……」

 突然の大物の登場に、フェルディナントは当惑した。


「あら。西洋人のくせによく知っているわね」

「ああ。東洋のことは少し勉強しているんだ」


 クララが金毛九尾の狐だとしたら、野に放つのは危険すぎる。どんな悪さをするかわからない。


 ──しかし、こいつが制御できるのか?

 

 それでも、皇帝に寄生されるよりはずっとましだろう。ここは是非もない。

 

 クララは元の人の姿に戻ると再度訪ねた。

「どうかしら?」

「いいだろう」

 

「物わかりのいい人は、大好きよ」

 

 そういうとクララはフェルディナントに抱きつき、頬にキスをした。

 その色香にフェルディナントはノックダウンされそうになる。実は元日本人のフェルディナントとしては、クララの黒髪に相当な魅力を感じていたのだ。


 ──この先、惑わされずに踏ん張れるかな?


 自信が持てないフェルディナントだった。

 

 結局、クララはフェルディナントの客人として居候することで落ち着いたが、もちろんその前にひと悶着あった。

 

「なんでこいつがここにいるんだよ! それに人族じゃねえだろう」と、人狼のヴェロニアが怒りのあまり怒鳴った。


 ──おまえが、それを言うか!


「オットーが落ちぶれてしまったのでな。行くところがないということで、面倒を見ることになった」

「だからって、旦那である必要はないだろう!」

 ヴェロニアはまだ食いついて来る。


「ここで見放して、薔薇十字団ローゼンクロイツァーでも頼られたら大変じゃないか」


 実はクララは、薔薇十字団ローゼンクロイツァーと共謀してハイデルベルクの町を乗っ取ろうとした前科があった。フェルディナントたちは、それを察知して阻止していた。


「それは、そうかもしれないが……」

 ヴェロニアの反論もここまでのようだ。


「まったく、あなたって人がいいわね」

 ローザは呆れつつも諦めているようだ。他の女子連中も似たような感じだ。

 これでなんとか納まりがつきそうだ。

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