第2話 ライン河畔の会戦

 リューネブルクの戦いの煙が晴れた後、フェルディナント中隊の名声は、まるで伝説のように急速に高まっていた。彼らの勇敢な戦いぶりは、酒場の話題から貴族の間の噂話にまで火をつけたのだ。


 石畳の廊下を歩くフェルディナントの足音が、騎士団の兵舎の静寂を切り裂く。彼は見知った姿を認めると、歩調を早めた。第五騎士団第四中隊長、レオナルト・フォン・ブルンスマイアーと肩を並べる。二人の騎士の間には、戦場を潜り抜ける中で絆が芽生えていた。

 

「これは、ブルンスマイアー卿。先日の会戦ではお世話になりました。卿の中隊が敵左軍右翼の注意をひきつけてくれたおかげで、我が中隊は自由に動けました」とフェルディナントは、先輩への敬意を込めて言った。

「なに。卿の働きに比べたら吹けば飛ぶようなものだ。それにお礼を言うのはこちらの方だ。兵站の面倒までみてもらって感謝している」と、ブルンスマイアーの答えは自嘲気味だ。


「いえ、あれはあれで儲けさせてもらっているから、お互いさまです」

「そう言ってもらえるとありがたい。それにしても、うちの団長には困ったものだな。団がやるべき兵站を中隊に丸投げとは」


 それだけでも管理能力不足は察せられる。あらためて恨まれていることを自覚したフェルディナントは、団長の人柄が知りたい。

 

「私は入団したばかりでよく知らないのですが、どのような御仁なのでしょうか?」

「家柄もよく野心家だが、ここだけの話、能力と実績が伴っていないな。副官のシュローダー卿がしっかりしているからなんとかなってはいるが」


 軍で実績が上げられないから、皇帝の庶子であるヴィオランテへの求婚という、からめ手で昇進を狙ったわけか。

 野心で身を亡ぼすのは勝手だが、人を巻き込まないでほしいものだ。


「上司は我々の一存では変えられないから、それはそれとして受け止めて対処していくしかないですね」

「全くそのとおりだ。じゃあな。これからもよろしく頼むぜ。白銀のアレク」


 ──軍の中で、冒険者時代の二つ名はやめてほしい。


 冒険者時代は、いろいろと派手なことをやった。自ら名乗ったわけではないが、今となっては、その二つ名は黒歴史の象徴のようで恥ずかしい。


 ブルンスマイアーは、ポンポンとフェルディナントの肩を叩くと去っていった。






「くそっ!」という怒りに満ちた声とともに、第五騎士団長のゴットフリート・フォン・マイツェンは、悔しさのあまり、豪華な羽飾りのついた帽子を床に叩きつけた。彼の部屋は、戦いの後の混乱を反映するかのように、書類で散らかっている。

 

 リューネブルク会戦には、軍の監察官が立ち会っていた。監察官は各騎士団の戦いぶりを見届け、評価する役どころである。マイツェンは、監察官からフェルディナント中隊を突出させたことについて、その意図を詰問されたのである。


「あれは、フェルディナント中隊の実力を踏まえての作戦なのだ」と主張したが、却下された。


 入団してまだ一戦もしていない中隊の実力が正確に計れるはずもない。また、最初から敵左軍を崩す意図があったのなら、右翼を厚くした斜行陣を敷くべきであっただろう。

 そのうえ、肝心の第五騎士団本軍は敵に押され気味で、死傷者もかなりの数に上っていた。フェルディナントがあのタイミングでリューネブルク侯を捕虜にしていなければ、戦いの勝敗は微妙だったのである。

 監察官からこれらを指摘され、マイツェンはまともに反論を返すことができなかったのだ。

 

「卿の配下の中隊が活躍して戦いには勝ったのですから、懲戒はないと思います。ただ、褒賞は期待されないことですな」と嫌みを言って、監察官は去っていった。


 本来は、ここで反省してフェルディナントと和解するところなのだろう。だが、逆にフェルディナントへの恨みを深くするのが、マイツェンの狭量なところなのだった。





 軍務卿のハーラルト・フォン・バーナー、近衛騎士団長のコンラディン・フォン・チェルハはと副団長のモーリッツ・フォン・リーシックは、重厚な木製の机を挟んで、リューネブルク会戦の事後処理について話し合っていた。部屋は、戦略地図と武器の飾りが施された壁で囲まれ、3人の間には、当惑と期待が入り混じった緊張感が漂っていた。


 まずは、バーナー軍務卿が、眉間に皺を寄せ、難しい顔で口を開く。

 

「今回のフェルディナント中隊の働きは、目を見張るものがあるな。中隊一つで敵左軍をほぼ壊滅させたうえ、中央軍にも被害を与えた。そのうえ敵指揮官を捕虜にするとは。勲章の一つもやらねばなるまい」

 

 目覚ましい成果も、度が過ぎると扱いが難しい。まして、新人の初戦闘というのだから。

 

「勲章の件については同意ですな。この勲功に対し何の恩賞もなしでは、誰も納得しますまい」と、チェルハが団長が応じる。彼の口ぶりは飄々としていて、他人事のようにも聞こえる。バーナー軍務卿の眉間の皺が、深さを増した。


「今回出撃しなかった第一から第三騎士団を含めまして、フェルディナント中隊の活躍の噂に尾ひれがついて伝わっております。揚げ句には。杖に乗って空を飛んでいたとまで申す者がいる始末です。また、団内からは、フェルディナント中隊への転属願が多数提出されております」と、リーシック副団長が状況を補足した。彼の口ぶりは、立場をわきまえているのか、事務的で感情がこもっていない。


 バーナー軍務卿は、報告を聞くと、やれやれという顔で肩をすくめてみせる。

 さらに、バーナー軍務卿は、かねてからの懸念を口にした。

 

「やつは、食客と称して私兵団も持っておるのだろう?」

「はい。アウクスブルクに武装した館を設け、駐留させておりまして、兵の数は二〇〇を超えているかと」と、リーシック副団長が答えた。


「それは見過ごせぬな。やつはたった一〇〇の中隊で、あれだけのことをやってのけたのだぞ。それが、こぞってヴェルフ家に寝返ったら由々しき事態だ」と、バーナー軍務卿は危機感をにじませる。

「味方にしたら、心強いことこの上ないんですがね。では騎士団長にでもして、せいぜい厚遇してやりますか?」と、チェルハが投げやり気味に提案した。


 正論だが、古参の団長との摩擦や同格の団長の不満などを考慮しなければならない。それを考えると、バーナー軍務卿は憂鬱な気分になった。どうしても、それが表情ににじみ出てしまう。


 それを横目で見ながら、リーシック副官がアイデアをひろうした。

「ここは一つ提案なのですが、第六騎士団を新設して、その団長にすえるというのはいかがでしょう? その上で、団員はやつに集めさせるのです。そうすれば、私兵の二〇〇も騎士団に取り込めるのでは?」

「なるほど。それは面白い手だ。しかし、まだ時期尚早だろう。今回くらいの大手柄をあともう一つ二つ上げてからだな」

 バーナー軍務卿の口調がパッと明るくなった。提案を肯定しつつも、当面留保の判断を下す。


「私もそう思う」と、チェルハも同意した。


 フェルディナントは、武力の持つ社会的な力も意識して食客団を作った。とはいえ、それがこのような影響を与えているとは本人には思いもよらないことだった。

 フェルディナントは、タンバヤ商会からの潤沢な資金を活用して、各方面の才能ある者を「食客」として囲っていた。中でも武術の才能を持った者が多く、彼らはフェルディナントの野望を支える石柱のような存在だった。食客は、古代中国の孟嘗君の逸話に倣ったものだ。

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