第1話ー2
アウクスブルクを出発して一〇日後。いよいよ会戦の地に到着した。場所はリューネブルク郊外の平原である。
敵の大将は、事前の諜報活動により、ヴィルヘルム・フォン・リューネブルク伯爵と判明している。さすがに大公自らは出てこないようだ。
フェルディナントは、戦時には長年愛用の白銀のマスクをすることにしていた。フェルディナントのような美しい優男が戦争に臨んでも締まりがないと考えたのだ。これは、中国の
会戦の時刻となり。両軍が対峙した。両軍とも横陣を組んでおり、正面対決の様相を呈している。フェルディナント中隊は、予告どおり最右翼に陣取っている。
リューネブルクの荒涼とした平原は、戦いの舞台となるにはあまりにも静かで、朝露に濡れた草原が金色に輝く太陽の光を反射していた。しかし、その平和な光景はすぐに戦火に包まれる運命にあった。戦士たちの鎧が太陽に照らされてきらめき、緊張が空気を支配する。
「第五中隊は前進せよ」とマイツェン団長から伝令が届く。
仕方なくフェルディナントは中隊を若干前進させる。これで横陣から第五中隊だけが突出する形となった。今回の陣形は、右翼を厚くした斜行陣でも何でもない、ただの横陣だ。フェルディナントは団長の意図を計りかねた。
「第五中隊は更に前進せよ」
マイツェン団長から、この伝令が届くに至り、フェルディナントは悟った。第五中隊を餌にしてやろう、という以外に考えられない。これでは、ただの私怨だ。
これ以上前進したら敵の弓兵の射程圏内に入ってしまう。かといって命令を無視したら軍紀違反となり、処罰が待っているのだろう。
──こうなっては、自分の権限でできることをやるまでだ。
この時代に「独断専行」という用語はまだないが、フェルディナントは覚悟を決めた。
「各小隊は第一小隊を先頭に縦陣を組め。敵左軍を中央突破する!」
彼が命令を下すに当たり、副官のレギーナは何かを言いかけたが、途中でやめた。ここは攻めに転じるしかない、と考え直したのだ。
各小隊は迅速に陣形を組み、フェルディナントの信頼に応える。
陣形が完成したところを見計らって、フェルディナントは叫んだ。
「
フェルディナントの命令が下ると、中隊は一斉に騎馬で前進し始める。地面が揺れ、馬の蹄の音が雷鳴のように響き渡る。
敵の弓の射程圏内に入ったところで弓が斉射され、フェルディナント中隊を矢の雨が襲う。フェルディナントはこれを冷静に時空反転フィールドではね返す。矢が宙を舞い、敵陣内のあちこちから矢傷を負った悲鳴があがる。
「いったい、どうなっているんだ?」
矢がはね返ってくるという異常事態に、敵の弓兵は首をひねっている。
「お兄様。次は私が。お兄様は魔力を温存してください」と、ホムンクルスのマリーが後方から声をかける。彼女の声は戦場の喧騒の中でもはっきりと聞こえ、フェルディナントは頷く。
ホムンクルス三人娘は、フェルディナントが自らの精子を種に作った人造人間で、遺伝的にその能力を受け継いでいる。フェルディナントにできることは、たいがいホムンクルス三人娘にもできる。対外的には、三つ子の妹ということになっていた。
「わかった。二射目はマリーに任せる」と言うや否や、二射目が飛んできた。今度はマリーが時空反転フィールドで矢の雨を跳ね返した。また敵の中から多くの悲鳴があがる。
その直後、接敵した。フェルディナントは、そのまま速度を緩めずバイコーンで敵を蹴散らし、手にした双剣で左右の敵を攻撃する。
敵の顔は恐怖に染まっている。神聖帝国では騎馬民族と戦う機会などほとんどないはずだから、このような戦い方も初めて目にしたはずだ。対処の仕方もわかるまい。敵左軍は、みるみるうちに左右へ引き裂かれていく。
当初、フェルディナントの突入を破れかぶれの愚行と侮って見ていたマイツェンだったが、この様子を見て顔色が変わった。これを傍観していたとあっては、後で何を言われるか知れたものではない。
「全軍。
これで敵の注意はホーエンシュタウフェン軍本軍の方に向かった。フェルディナントは心中でニヤリとした。これで孤立した敵左軍の左翼を狙い撃ちできる。
フェルディナント中隊は敵左軍を突き抜けると反転し、分断した左翼の側面に回り込む。
「敵左翼の側面から弓で狙え! 風魔法が使える者は風で矢を運べ!」
冒険者時代から使っている常套手段である。
敵から距離をとって進路をとる。敵にも弓兵は残っているが、これで敵の矢はとどかない。攻撃はフェルディナント中隊からの一方的な攻撃となった。面白いように敵が倒れていく。
敵中に中隊長か小隊長らしき人物がいれば、フェルディナントは、優先的に攻撃していく。首狩り戦術は敵を混乱させるのに最適だ。
射た矢を
急所はわざと外してある。殺し過ぎで恨みを買うのも得策ではないし、できれば捕らえて身代金をせしめるのだ。それがこの時代の流儀でもあった。傷がもとになって感染症で死ぬ分には、こちらの知ったことではない。
あまり使いすぎると矢が尽きてしまうので、頃合いを見計らって再び突撃攻撃に切り替える。
「我に続け!
突撃を、二度、三度と繰り返す。これによって混乱した敵左軍の左翼は、脱走する兵も出始め、散りぢりとなった。
「ミーシャ。輜重部隊を連れて来て、身分の高そうなものから優先的に捕虜にしていってくれ」
「わかったにゃ」
ミーシャは、空を飛べる有翼のサンダルのタラリアで飛翔すると、輜重部隊へと向かっていった。多少の抵抗はあるだろうが、手練れの彼らなら大丈夫だろう。
猫耳族のミーシャは冒険者時代の斥候役であった。軍入隊後も、神ヘルメスからせしめたタラリアを駆使して斥候役をやっている。
残る敵左軍右翼へと矛先を向ける。まずは弓での遠距離攻撃だ。
「敵右翼の側面から弓で狙う! 風魔法が使える者は風で矢を運べ! 矢は撃ち尽くしてかまわない」
ホーエンシュタウフェン軍本軍に注意が向いていた敵は、側面から不意の攻撃を受け混乱する。敵には弓兵もいるが、再び一方的な攻撃が繰り返され、次々と倒れていく。
「矢が尽きた者は魔法を解禁する!」というや否や、炎の矢ぶすまが雨あられと敵に降りそそぐ。
──プドリスだな。おっとりしているくせに、戦うときは容赦ないからな。
ほかにも無数の氷の矢や風の刃が敵を襲う。プドリスは、火と闇の魔法を得意とするサキュバスだ。
並行して、敵中の中隊長か小隊長らしき人物を集中的に魔法で攻撃していく。
──そろそろ頃合いだな。
「よしっ!
混乱している敵左軍右翼の背後から突撃をかける。
敵は正面からもホーエンシュタウフェン軍本軍の攻撃を受けており、かつ、隊長格も負傷してしまっている。どう対処してよいかわからず混乱の極致だ。
こちらも二度、三度と突撃をかけると散りぢりになった。
「よしっ! 次は中央軍へ向かう!」
そう言って中央軍に迫った矢先、フェルディナントめがけて炎の矢が向かってきた。これを魔法障壁で防ぐ。
どうやら中央軍には、本陣の守りのために魔導士が配置されているようだ。見ると一〇人程である。
フェルディナントが瞬時にレインオブファイアを発動すると、炎の矢ぶすまが魔導士たちを襲う。敵がバタバタと倒れていく。
だが、一人だけ残っている。魔法障壁で耐えきったようだ。
──やつが筆頭魔導士か? 少々厄介だな。
「アダル。
「承知!」
そう短く言うと、アダルベルトは魔導士めがけて突進した。
アダルことアダルベルトはインキュバスを父とするハーフ悪魔であり、剣の達人であるのみならず、あらゆる魔法をも駆使する頼もしい存在で、学校時代からのよき相棒である。
彼は立ちはだかる敵を蹴散らし、切り捨てていく。手にしているのは、フェルディナントが貸し与えた名剣アロンダイトである。
魔導士も必死に炎の矢を放ってくるが、彼は魔法障壁で防いでいる。
「皆もアダルを援護だ!
敵から矢の雨が降り注ぐが、これを時空反転フィールドではね返す。例によって敵の中から多数の悲鳴があがった。
接敵したら、もうこちらのものだ。敵味方混在しているところに弓は撃てない。
一方、アダルベルトの方は無事に魔導士を討ち果たしたようで、合流しようとこちらに向かっている。
フェルディナント中隊は左軍同様に中央軍も分断していく。
そのとき、本陣がフェルディナントの目に入った。
──あの一段と煌びやかな甲冑を着ているのが、リューネブルク侯だな。
フェルディナントは即座に判断した。
「大将の身柄を申し受ける! アダル。バイコーンを頼む」
殺してしまうとまずいので、本陣に
素早くリューネブルク候の身柄を確保すると杖に乗せた。そして空中に静止したまま大音声で叫ぶ。
「リューネブルク候の身柄を引き受けたり!」
その声を風魔法に乗せて、戦場全体に響きわたらせる。
戦場全体の注目がフェルディナントに集まった。見覚えのある煌びやかな甲冑を見た敵軍は戦意を喪失し、戦いの勝敗は一気に決した。
戦いが終わって、捕虜交換などの戦後処理に数日を要した。リューネブルク候を始めとする各士官の身代金は相当な多額となった。
また、書面上、ザクセン公はホーエンシュタウフェン家に寝返ることが約束された。このような約束は反故にされることも多いが、この度のホーエンシュタウフェン軍の強さを聞いたザクセン公の心中は計りかねる。
ホーエンシュタウフェン軍は勝利を手に帰路につく。
フェルディナントの中隊は、この戦いでその名を轟かせ、彼の指導力と戦略の妙が証明されたのだった。
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