048:民謡『白鯨』


 その南国の島国は、丁度、旧共産圏と資本主義陣営の狭間に存在していました。


 崩壊より遥か昔に、そこで終末時計が残り一分前で迫った事があったそうで、弾道ミサイルの基地を作るだの作らないだので揉めていたらしいです。人類が月に行くかいかないかという辺りの話ですね。


 まあ、私がその国を訪れた時には内戦の真っ只中で、世界がどうこう以前に、国民の三割が死滅しかけていたのですが…


 私はその沿岸へ近づきました。漁船を改造した現地ゲリラの武装船を蹴散らしながらね。


 気分はさながら物語の怪物となった気分でしたよ。


 ヘラクレスに殺された鋼の海蛇。世界の果てに住まうリバイアサン。後は、まあエイハブ船長の脚を喰らった白鯨だとか。

 無謀な全能感というヤツでしょう。貧しい人間が突如として力を持つと抱いてしまう類のくだらない感情ですよ。


 私が近づいた沿岸の集落は霧と破壊と退廃に包まれていました。

 敵対しあう現地勢力同士の武力衝突の結果です。家は燃え、死体が山積みになり、数台のNAWが炉心融解しかけていました。立ち上る熱気と死臭を私のセンサーは感じ取ることが出来ました。

 

 かといって、其処から何かを学び、感傷に浸ることは出来やしません。


 私が見つける事が出来たのは、銃を抱えた一人の少年だけでした。

 痩せぎすでしたが、その目には確かに意志の炎が燃えていたと思います。さながら、鋼鉄の海蛇に立ち向かうヘラクレスですよ。彼の動機がアンドロメダの結婚だったことを考えると不純であるかもしれませんが、その少年の願いだって、同じくらい人間悪にまみれたものでした。


 私は気分よく少年へ語りかけました。不気味な汽笛の音色を持ってしてね。


「汝、何を欲し、何を臨む?」


 彼は霧の向こうから現れた私に歩み寄り、あの言葉を吐きました。


「モカ・ディックを殺せ」


 ここで漸く答え合わせです。モカ・ディックとは何なのか。


「白く、大きく、凶暴な、一台の潜水艦」


 彼はそう言いました。

 ならず者によって鹵獲された潜水艦がこの辺りを彷徨き、暴虐の限りを尽くしているという話。彼はその異様になぞらえて白鯨モカ・ディックと呼んだようで、以後、その名が常に付いて回る事になるのです。


 無謀な全能感に駆られていた私は彼の願いを安請け負いしました。


 今思えば愚かな精神設計でしたがよ、若気の至りという奴です。

 そして、案の定。私は無いはずの頭を抱えることになります。私は強襲揚陸艇。対潜装備など持ち合わせちゃいないのですよ。


 其処から、私と少年の長い旅路の始まりです。

 対潜装備を揃えながら、戦火に包まれ、崩壊の近づく世界で白鯨の痕跡を追い続けたのです。私の背にある馬鹿げた捕鯨砲も対潜魚雷投射機も何もかも後付けの兵器です。


 私はその旅を楽しんでおりましたが、少年は違った。潜水艦の姿は一向に見えず、時間ばかりが過ぎて行きました。


 やがて少年は年老い、狂気に駆られた。

 意味のない鋏状の両腕や波打つ装甲を私に取り付け、私のプロトコルを書き換え始める程に。


 どうして、私が昔そうしたように彼から離反しなかったのか?


 そうする気分になれなかったんですよ。彼を殺したくはない。そう思ってしまったんです。


 なんにせよ、白鯨の影も形も捕捉する事は出来ず、彼は死に、私には命令だけが残されました。つい先程まで、彼が死んだことを認識出来ていませんでしたがね。


 そして、気の遠くなるような時間、私はひたすらに彷徨い歩き、あなた方を捕捉したのです。


 センサーがイカれつつあった私には貴女達のトレーラーが虹色の海を泳ぐ白鯨にしか見えなかった。


 だから、襲ったんです。


 そして、後は貴女が体験した通り、彼は焼かれ、私は命令を失い、長い旅は終わりを迎えましたとさ。


 めでたし、めでたし。

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