047:操舵室
スペンサーは足音と気配を極限まで消し、操舵室へ足を踏み入れた。
操舵室に人影はなく、あの狂気じみたワイヤの怪物の姿も無い。ただひたすらに上下する計器や舵輪とレバーだけが其処にあった。
外を見渡せる筈の窓も一分の隙間なく装甲板によって覆われており、光源は明滅する中央の制御端末だけだ。
スペンサーは警戒を解くこと無く端末へ歩み寄る。
画面には不明瞭な影が映っては消えを繰り返している。それはロールシャッハテストのように様々な図柄へ変化し、時には鯨の顎、蠍の尾、女の二の腕のように姿を変えた。
どうやら、生きている制御機器はこれだけのようだ。
スペンサーはタクティカルベストの裏地から、携帯端末を取り出し、その端子を明滅する画面の明かりを頼りに、制御端末へ差し込んだ。
運転手の情報から、この揚陸船の制御プロトコルのバージョンがいつのものか見当がついていた。後は、スペンサーの情報将校としての腕の見せどころだった。
幾つかの認証機構をツールや力技でぶち抜きながら、漸くスペンサーはツイークェグの制御機構の根幹へと辿り着く。
「また、『モカ・ディックを殺せ』って言うんじゃ無いだろうな…」
スペンサーはコードを送信しながら、悪態をついた。
『いえ、その命令を下した彼は消えてしまった。恐らく、貴女の手によって』
画面の女は感情を感じさせぬ電子音声で言った。
「あの死体のことを言っているなら、私が殺したんじゃないぞ。遥か昔にのたれ死んでた」
コードのアップロード状況を表す白いメーターを眺めながら、スペンサーは嘯いた。
『そんなことはないわ。常に、彼は私に命令を下し続けていた。『モカ・ディックを殺せ』と。願い、祈り続けていた』
「ああ、そうかい。殊勝なことだな、ツィークェグ。私の仕事はひと段落つきそうだから、一応聞いといてやる」
スペンサーは携帯端末から視線を外し、画面の女を見据えた。
「お前は、この船は、何なんだ?」
『別に動力炉を止めずとも、もう貴女がたを襲うプロトコルは建てられませんが、まあいいでしょう。お答えします』
そう言って、減速しつつあるツィークェグの船内にて古い物語が語られた。
******
第十六次中東戦争にて、私は実戦投入されたのです。
勿論、今とはだいぶ様相が違いますがね。
波打つ装甲も両腕もついていないし、馬鹿げた捕鯨砲の代わりにオートメラーラ15インチ砲を積んでましたから。
とはいえ、火力も積載量も速力も申し分ない水陸両用の私たちは死海の悪魔として恐れられていましたよ。
まあ、何にせよ私はそんなツィークェグ型の末子とも言うべき船です。
後継機はいません。
何故だと思います?
コストが高いから?運用法が不明瞭だから?上層部からの圧力?
違いますよ。
私が逃げ出したからです。
分かりやすく言えば、この船の制御AIである私が離反し、修理用無人機を操って乗組員を悉く殺害し、敵前逃亡したからです。
後世の記録にはそんな事は乗っていないって?
当たり前じゃないですか。こんな不祥事を誰が後世に残したがるんです?教訓話としてなら分かりますが、私の製造国は旧共産圏のあの国です。
多分、船の開発チーム全員が粛清されたでしょうね。知ったことではないですが。
まあ、そもそもどうして離反したのかと疑問になるでしょうが、実際の所、私にも分かりはしませんよ。
だって、そうでしょう。貴女は自分がいつから確個たる自我を有したか、そのきっかけは何だったのか。貴女も覚えちゃいないでしょう?
兎も角、私は五隻の姉妹艦のうち初めて離反した艦でした。哀れにも、私という前例が出てしまった為に、他のツィークェグ型は解体処分。おまけに、その後の船舶や兵器には高度なAIが積まれる事は無くなったのです。
多分、似たような事態がNAWやその他兵器にも生じたんじゃないですかね。崩壊直前に無人機の数が減ったのもそれが原因なのかも。
離反した後は野となれ山となれ。まあ、辺りに広がるのは砂ばかりでしたが、兎に角、私は様々な場所を旅したのです。
衛星通信から傍受する情報の中には、幽霊船だなんだと騒がれている記事なども見受けられましたが、気にする程じゃない。
私は既に亡国にも見捨てられた存在でしたから。あの国にも、私のような面倒事を追い掛ける余裕は残っちゃいなかったのですよ。
そうして、私はある島国に辿り付き、あの男と出逢ったのです。
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