045:怪物と散弾銃

 船内は恐ろしく静かだった。

 反響するのはジェネレーターの静かな呻りとスペンサーが侵入してきた空洞から流れ込む風音、鋼鉄の床を打つ軍靴の音だけ。


 スペンサーは散弾銃を抜け目なく構えながら、防護ヘルメットに装備された投光器の灯を頼りにゆっくりと歩を進めた。


 狭い通路には分厚い埃が溜まり、生物が通った痕跡はまるで存在しない。


 向かう先は操舵室ただ一つ。構造自体は頭にある程度入っている。今の所、事前情報との差異は見当たらない。

 違うのは、存在する鉄扉がどれも簡易的なバリケードによって阻まれていることだけだった。まるで、この船の中へ入る者も出る者も想定していない様に、執拗に閉じられている。


「いよいよ訳が分からないな」


 そう毒づきながら、スペンサーはOR12の引き金を無骨に溶接された鉄パイプへ向けて引いた。


 竜の息吹の様な業火が銃口から吐き出される。マグネシウムと強力な酸化剤が内包されたスラグ弾は炸裂とともにテルミットと同種の還元反応を起こす。そこから生じる驚異的な熱は鉄パイプを焼き切るには十二分だった。


 スペンサーは荒々しく鉄扉を蹴り開ける。


 扉の先には、情報通り乗組員のための食堂が広がっている。


 とはいえ、その様相ははまるで予想とは違っていた。食堂にあるべき机も椅子も何一つ存在せず、有るのは一面に転がる空のニシン缶詰やスナック菓子の袋。無為に回り続ける換気扇そして、床に敷かれた布切れとその上に横たわる干からびた死体だけだ。


 壁や床には黒いインクによって只管に文字が書き詰められている。


『モカ・ディックを殺せ』


 ああ、もう分かった。これ以上繰り返さないでくれ。この空間にいると、こっちの頭がどうにかなりそうだ。

 

 スペンサーは操舵室へ繋がる通路への鉄扉へ歩み寄った。

 下手をすれば、自らの手の内にある散弾銃をぶち込む敵は既に死んでいるのかも知れない。足元に転がる哀れとも言い難いミイラのように。


 だが、その答えを得るには操舵室に向かう必要がある。勿論、船の稼動を止めるためにも。


 幸いなことに、その鉄扉にはバリケードは付いていない。操舵室へ繋がる唯一の通路だからだろう。


 ドアノブ代わりのバルブハンドルを回そうとしたその時、背後で重い何かが落ちる音がした。


 スペンサーは振り返り、銃口を向ける。 


 そこには床に落ちた換気扇のファンと鉄格子。仄暗い穴からまろび出しつつあるワイヤ状の怪物の姿があった。


 端的に言えば、それは蠢く金束子カナダワシである。ただし、それを構成するワイヤの直径が赤子の腕程もある。常にグロテスクに脈動し、その身中に詰め込まれた油剤の圧力を調整することによって移動している。

 ワイヤの一本一本にはそれぞれに役割があるようで、その先端には様々な機構が見て取れる。溶接用の電極。カメラじみた赤いレンズ。ワイヤの半ばまで施された鋸刃。そして、ブンゼンバーナじみた射出口。


 それは2メートルほどのその身を換気口から這い出させると、その赤いレンズをスペンサーへとゆっくりと向けた。


 闘争か、逃走か。


 スペンサーは迷わなかった。

 バルブハンドルを回すより、銃の引き金を引く方が遥かに容易い事なのだから。


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