031:悪役なんていない
カメラの旋回角度の問題で、頭上を覗くことは出来ない。
だが、ピースには分かっていた。
頭上では、間抜けなペイントのM90が勝ち誇ったように、その腕を天へ突き上げている。そして、今にもHA−88の天板へ手を掛け、引き剥がし、ピースを引き摺り出そうとしている。
それはピースの為に準備されていた恥辱の舞台である。
だが、地に伏したHA−88の中で、ピースはほくそ笑んだ。
何故だろうか。如何して自身がそんなモノに付き合ってやらねばならないというのだろうか。馬鹿げた話だ。闘争とはそんなモノじゃ無い。
思い知らせてやる必要がある。そして、その為の条件は揃っていた。
右腕の丸鋸は地面に付いている。左腕の鉤爪もアスファルトへとしかと食い込んでいる。奴は背中に乗っていて、そこからどく気配はない。
ピースは丸鋸のトルクを最大まで上げ、フルスロットルで回転させた。左腕を引き込み身体を引き込んだ。HA−88の巨体が凄まじい速度で前進する。胸部装甲で地面を削り、アスファルトを焦がしながら。
その十数メートルの前進に限っては最高時速120kmを記録しただろう。
物理法則は無情だ。M90は足場を失う。無慈悲なる慣性が襲う。重心はブレ、身体は大きく傾ぐ。
それでも、ジョックスは至って冷静だ。締め技を抜けられることなど良くあることだ。予想外だが、絶望する程じゃない。背中から倒れ込む最中、彼はM90の腕を180度捻り、その腕でもって後ろ受け身を取る。
HA−88が身を起こすより早く、自身が動き出せる確信があった。
だが、確信とは往々にして裏切られるモノだ。
彼の格闘戦の知識は二脚型に限られる。だが、彼が相手にしているのは四脚だ。それも異次元の出力を誇るNAWである。
跳ね起きようとしたM90に黒い影が覆い被さる。
それは獲物に襲い掛かるアシダカグモの如く振り上げられたHA−88の後部二脚であった。
ピースは前進し、引き込んだ両腕でそのまま起き上がる様に地面を押した。そして、後部二脚を伸ばし、全部二脚を屈伸させることで、後ろ向きに高速で復帰することに成功したのである。
ピースは黒い笑みを浮かべる。小さく囁く。
「四方固めだ。嫌いじゃないだろ?」
ジョックスに回避は不可能だった。
彼が受け身を選択した時点で、技は決まっていた。自らの手で飛び込んだのである。大蜘蛛の顎へ。
過剰積載のHA−88が、M90の四肢の動きを制限するように覆い被さった。
重量の差は明白だった。フライ級とヘビー級同士のハンディキャップマッチアップ。こうなれば、もう勝負は決したと言えるだろう。
ジョックスは誰よりも早くそれを察し、無線でレフリーへと降参を伝えようとした。
だが、HA−88からはあろうことか丸鋸の回転音が聞こえていた。
悪意に満ちた追撃の音だ。
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