024:建前


 執務室を後にしたスペンサーは、管制塔の中腹部の休憩室に居た。


 元々、蒸留塔のドラム缶置き場として利用されていた一室である。


 其処はプラスチック製のベンチが並ぶ、絵に描いたような休憩室と化していた。


 天井では時代遅れなセーリングファンが回り、壁はクリーム色のモルタル張りで、ちっぽけな小窓が一つだけ前衛芸術の様に開いている。


 窓と逆側の壁際に立ち並ぶのは、二つの自販機。


 第六複合体の配給券によって取引できる様に改造が施され、LEDのディスプレイにはラインナップが表示されている。


 食欲のそそられない低級配給食。カフェインの混じった苦い液体としか表現できないコーヒー。ケミカルな甘味が特徴的なサイダー。水素を燃焼させて合成した限りなく純度の高い真水など。


 漂う辛気臭さと自販機の品目が災いしたのか、余り好き好んで利用する者のいない部屋だ。


 しかし、スペンサーはこの部屋と此処で売っている甘ったるいサイダーが好きだった。


 ピンク色の液体を口中に注ぎ込むと、爆発的な甘さが弾け、それが過ぎ去ると今度は湿布のような匂いが鼻腔を突き抜けた。


 第六複合体の食料部門の熱狂的甘党が開発したと言われる代物。


 製品名は『Dr.クラック』。


 偶に飲みたくなる味だ。混じり気のない純粋な欲望がそこにはある。


 スペンサーがボトルから口を離し、喉を鳴らして飲み込んだ。


 その時、背後から声が掛かった。


「よくそんなもの飲めますね、スペンサー」


 休憩室の戸口の方へ目を向ける。


 そこには大佐の補佐官であるチェシー・ウェブスター中尉がいた。


 短く刈り込んだ黒の短髪。整髪料で後ろ手に撫で付けている。

 合金製の古風な丸眼鏡。金色の細縁、薄手のグラス、その向こうには翡翠色の瞳。浅黒い肌に黒の制服があいまり、エキゾチックな魅力がある。その右腕は無骨な機械義肢。だが、鈍く光るそのパーツの一つ一つが宝飾品か勲章かのように、彼女の存在を引き立てている。


 しかし、彼女の流麗な眉は顰められ、剣呑な雰囲気が漂っていた。


「やあ、チェシー。貴方も休憩?」


「違うわよ、相変わらず能天気ね。その様子だと、まだその書状の中身もまだ確認していないんでしょう?」


「まあ、その通り。確認するのが少しばかり怖くてね」


「第五空白地帯に強行偵察に出る女の台詞じゃないわね」


「それは話が別。大佐の言じゃ、私だけ後方に行く様だからね。基地の仲間を見捨てて行く事になるようで、酷く胸が痛い。上手い表現が見つからないけど…」


 チェシーは露骨に嫌な表情を浮かべた。


「基地の連中は貴女のそういうのが大好きなんでしょうけれど、私は大嫌い。死ぬほどね」


 そう言って、彼女は自販機へと歩み寄り、トークンを差し込んだ。電子音がなり響き、トークンが呑み込まれてゆく。

 チェシーは少しだけし秀潤し、『Dr.クラック』のボタンを押した。


 その様子を傍目に微笑みながら、スペンサーは時代遅れな合成セルロース製の書状を拡げた。


                   ☢️


[紙には数行の文言と厳しい印鑑が浮かんでいる。どれほど時が経とうとも、官僚機構は変わらないという証左のようだ]


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『辞令』

 スペンサー・クローヴィス少佐の中佐への昇格と教導隊への転属を推薦する。


                第101前線基地 司令官 ハワード・ブレイク大佐


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[紙は二枚あった。スペンサーはもう一枚を捲る]


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『追伸』


 おめでとう、昇進だ。


 そして、同時に厄介払いでもある。


 御前の独断専行は、俺が指令を出したという事で処理しておいた。


 処罰は実質、後方送りという事だけだ。御前じゃなかったら、泣いて喜びそうな人事だろう?


 まあ、御前にはこれ以上ない屈辱だろうし、それが分かっているからこうしたわけだ。


 勿論、嫌がらせ以上の意味もある。


 俺の持てるだけのコネと権力を動員し、君を教導隊の責任者に据える。後方の連中に意見できる様、御前の功績を輝かしく脚色してやる。

 かなり動きやすくなるだろう、上手くやれば色々と鑑賞できるはずだ。


 俺が見返りに求めるのは、一つだけだ。


 英雄になれ。


 そして、持てるだけの力を持って此処に戻って来い。


 ハリボテのNAWだけでなく、それを動かす訓練された精兵と合理的な作戦計画を携えてだ。


 俺はそれまで此処を出来るだけ、保たせる。


 頼んだぞ。


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[スペンサーは書状を閉じた]

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