019:暗き前途・先延ばし
追手を振り切るように、夜通し前進を続けたHA−88。その快速により、日の出の前に重汚染地帯を抜けることに成功した。
ビルの残骸が積み上がった小高い丘に登り、周囲を見渡す。
ディスプレイの向こうには、しかと前線基地の威容が映る。
うず高い鋼鉄の壁とSAMロケット砲の乗った櫓が何本も聳えている。赤い菱形のエンブレムを描いた第六複合体の旗が翻っている。
「終わりの時が近づいてきましたね」
ピースはそう言ったが、スペンサーにはどうしてもそう思えなかった。いや、そう思いたく無かった。
「ああ、そうだな。彼処に私を送り届けてくれれば依頼は終了だ。渡せるだけの褒賞を渡そう。T―96から剥ぎ取ったエンブレムを見せれば、より大きな…」
そこまで言おうとしたところで、スペンサーは大きな溜息をついた。
今、話すべきことはこんな事じゃない。
「なあ、ピース。私は正直言って、NAWの操縦が得意じゃない。第六複合体の訓練過程でも評価はDだった。他の評価は軒並みA前後だったのにな」
ピースは心底驚いたように話を遮った。
「わお、いきなり話題が変わりましたね。そんなに報酬の話がしたくないんですか?」
「良いから聞いてくれ、報酬は意地でも引き出して見せる。足りなきゃ、私の全財産をはたいて御前の望むものを買ってやろう。だから、どうせ最後なんだ。話をさせてくれ…」
スペンサーは真摯にそう言った。少しばかりの悲壮さも滲み出ていた。
ピースはらしくないなと思いながら、無線へと耳を傾ける。
悲しい別れにはしたくなかった。
「それで、情報将校になったって話ですか?NAWに乗らず、仕事を出来そうですしね」
「はは、そうだな。だが、そもそも『情報将校』という名前がおかしいと思わないか?第六複合体は企業連合の成れの果てみたいな組織なのに」
「まあ、確かに」
「軍事部門が、二年ほど前に新設されたばかりだからだ。垢抜けないのも当然だ。階級については元々、コーザ=アストラの連中が使っているのをそのまま流用したらしい。軍隊らしく、より堅固な組織となるようにな」
「それまたどうして?」
「私が重汚染地帯でした話を覚えているか?ウチの上層部は彼処で何かを必死に見つけたがってる。それで、急遽新設されたんだろうさ」
「それが何かを知らないが探し回っている。そうとも言っていましたね」
「そうだ。世界を吹き飛ばす爆弾の製法かもしれんし、無限に水を浄化できる夢の装置の設計図かもしれん。もしくは、もっとくだらない何かかもしれない」
「カンパリとかいう酒精強化ワインの瓶とか?」
「御前がT―96と戦う前に並べた妄言に登場した酒のことか。あれはお笑い草だったな、全く…」
「でしょう?古い雑誌に載っていたんですよ、カクテルの作り方と一緒にね。それで、第六複合体は結局、何がしたいんです?」
「今までであれば、技術の保存と発展だと答えただろう。だから、今までシェルターの中でぬくぬくとやってこられたんだ。だが、今では変わり果てているかもしれないし、それを知り得る術もない。恐ろしいまでの縦社会なのは軍隊も会社も変わらないからな」
スペンサーはそこで言い淀む。
「だが、これだけは確実に言える。第六複合体は兵士を挽肉機に掛けてる。死地に放り込み続けている。民間人が軍事組織に喧嘩を売っているのと大差ない。間違いなく、近いうちに破綻する」
「それなら、おつむを使えば宜しいでしょう。貴方たちの勝利条件は敵を討ち果たすことじゃない。上層部が求める何かを見つけることだ」
スペンサーは冗談めかして答える。
「悲しいことに、頭の使い方ですら負けてるきらいがある。レザボア・ジャッカスの件を聞いただろう。現地勢力を丸め込むことは疎か、接触を図ったことすらない…」
「八方塞がりですか」
「正しくその通りだ。だからこそ、私は状況を打開すべく、階級に無理を言わせてNAWに乗り込み、偵察に向かったわけだ。蛮勇なのは分かりきっていたが、事態を少しでもマシにするにはそれしかなかった…自分で集められるだけの情報を集め、作戦を立て、上申する…」
スペンサーは憤りを隠せず、声を荒げた。
「上の方から降ってくる命令は余りにも愚直だ。虱潰しに目標地点を探せだの、潜在的脅威を全て排除しろだの、戦術はあっても戦略がない。余りにも荒削りだ。それで死んでいく兵士の気持ちを考えたことはあるのか?」
そこまで言い切り、スペンサーはか細い声で付け加えた。
「だが、私もまた無力だ。共に偵察に出てくれた部下も死なせてしまった。それにも関わらず、私は未だに何かを変えられると信じている。どうしても諦めきれない。全くもって馬鹿げた話だ」
ピースは少しだけ考えてから、言葉を発した。
「私は、そんな貴方が気に入っていますよ。誰しもが、諦念と失望の海に浸っている中、何かを変えようと抗い続けている。だからこそ、私は貴方を助けたし、ここまで連れて来る事が出来た。貴方がジャッカスやアストラの連中みたいな奴だったら、私はあのまま見殺しにしていたでしょうね」
スペンサーは押し黙っている。静かな吐息だけが聞こえてくる。
沈黙に耐えかねたピースは静かに、彼女自身の願いを語った。
「そこで提案なんですが、私を雇って頂けないですか?どうせ、私に行ける所は他にないですし…」
スペンサーが言葉を渡る。
「駄目だ」
面食らったようにピースは口をへの字に曲げる。
「今の流れで断られるとは思ってもみなかったですよ…理由を聞いても?」
淡々とスペンサーはそれに応える。彼女の心の中では既に何度も繰り返されてきた問答だった。
「今更、言ってもしょうがない事かもしれないが、御前はまだ子供だ。どれほど辛い経験を積もうとも、それは変わらない。少なくとも、これ以上は私の裁量で戦場に立たせたくは無い」
「本当に、今更ですね。そう言うところが嫌いになれないんですが…」
呆れたように笑うピース。それに捕捉するようにスペンサーは言う。
「だがな、第六複合体に所属したいと言うなら止めはしない。そこで訓練過程を通って自分の選択で持って私の部下になるなら、大手を振って歓迎するさ」
「全く、偏屈ですね…まあ兎に角、前線基地へ向かいましょう。ついてから、ゆっくりと話しましょう。まさか私だけ門前払いなんてことはあり得ませんよね?」
「無いと確証する」
「なら、決まりです」
そう言って、HA−88は前線基地へと歩を進めた。
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