15

 1時間後、虎次郎は亜希子の家にやって来た。亜希子の家はマンションの1室だ。部屋は10階にある。ここで高橋と一緒に暮らしていたのかと虎次郎は思った。マイホームに引っ越す予定はなかったんだろうかと考えた。


「ここだったな」


 虎次郎はインターホンを押した。


「はーい」


 しばらくすると、亜希子がドアを開けた。だが、凛空はいない。自分の部屋かリビングにいるんだろうか?


「あっ、虎次郎くん、いらっしゃい」

「お邪魔します」


 虎次郎は部屋を見渡した。清潔な室内だ。整理整頓も整っている。


「ここに住んでるのか」

「うん。昔は夫と3人でここで暮らしてたんだけどね」


 亜希子は拳を握り締めた。高橋が許せないと思っているようだ。


「へぇ」


 ふと、虎次郎は思った。先日、歓迎会に行けなかったのが気になった。今の生活がつらいと思っているんだろうか? 離婚して以降、あまり遠出していないと聞いた。そして、居酒屋に行っていないと聞いた。


「生活、大変?」

「大変だけど、慣れてきたらそんなに大変じゃないよ」


 亜希子はこんな生活に慣れていた。自由にいろんな所に行けなくても、それが自分の人生だと思って、日々生きている。


「そうなんだ」


 亜希子は冷蔵庫から500mlの缶ビールを2本出した。虎次郎のために買っていたようだ。2人はリビングに入った。ここにも凛空はいない。おそらく、自分の部屋にいるんだろう。


「飲もうか?」

「うん。ありがとう」


 亜希子は柿の種を持ってきた。今日はこれをつまみに缶ビールを飲むようだ。


「カンパーイ!」

「カンパーイ!」


 2人は乾杯をした。歓迎会でしたかったけど、子供がいるからできなかった。だけど今日、2人で乾杯できて、本当に良かった。


「あの頃の虎次郎くん、かっこよかったね。なんてったって日本代表候補と言われたぐらいだもん。そのうまさは特に目立っていたよね」


 亜希子は高校時代の虎次郎を思い出した。誰もが注目していたあの頃。だけど今は、私と一緒に教員にいる。こうして巡り会えたのは、奇跡としか言いようがない。


「うんうん。だけど今は・・・」


 それを思い出すと、虎次郎は下を向いた。もう思い出したくないようだ。


「ごめんね。もう話さないね」

「ああ」


 2人は楽しくバラエティ番組を見ている。だが、凛空の勉強の邪魔をしてはならないので、音量は控えめだ。


「たまには2人で飲むのもいいわね」

「ほんとほんと」


 虎次郎は缶ビールを飲み、柿の種をほおばった。テレビでは芸人が面白い事をしている。それを見て、虎次郎は笑った。テレビで笑うのは、何年ぶりだろう。


「こうしてまた巡り会えるなんて、誰が予想したのかな?」

「誰も予想できなかったんじゃないの?」


 戦力外になったから、こうして亜希子と巡り合えた。だけど、もっとプロサッカー選手で頑張っていたかったな。


「そうかもしれないね。とはいえ、また会えてよかった、虎次郎くん」


 亜希子は虎次郎の肩を叩いた。今年度からまた頑張ってほしいな。そして、第2の人生がうまくいきますように。


「そうだね」


 と、そこに凛空がやって来た。凛空はパジャマを着ている。寝たと思ったが、また来たようだ。リビングには2人がいて、飲みかけの缶ビールがある。


「お母さん、どうしたの?」


 亜希子は振り向いた。そこには凛空がいる。もう寝たはずなのに。起きたのを知って、驚いた。


「あら、起きたの?」

「あれっ、虎次郎兄ちゃんもいるの?」


 それよりも驚いたのは、先日一緒に出掛けた時に一緒だった、虎次郎がいた。また亜希子の元にやってくるとは。2人は互いに好きなんだろうか?


「うん。ちょっと遊びに来てるんだ」

「ふーん・・・。おやすみ」

「おやすみ」


 凛空は再び部屋に戻っていった。大人の2人だけの時間についていけないようだ。


「まさか起きたとは」

「寝てたと思ったの?」

「うん」


 もう寝たと思っていたのに。虎次郎に気づいてやって来たんだろうか?


 ふと、亜希子は高橋と一緒に撮った写真を見せた。


「これが昔の夫の写真?」

「うん・・・」


 亜希子はむっとなった。高橋の写真を見るだけで、怒りがこもってくる。


「許せないの?」

「うん。今でも許せない」


 そして、亜希子は離婚を決意した日の事を思い出した。




 高橋はいつも帰りが遅かった。何をしていたのかと聞いても、何も答えない。亜希子はずっと気になっていた。本当はキャバクラに行って、女とイチャイチャしているのでは? 愛しているのは亜希子だけと思っていたのに。


「ちょっとあなた、これは何?」


 亜希子は白いスーツを見せた。スーツにはキスマークの口紅が付いている。明らかにキスの跡だ。


「何って、遊んでただけだよ」


 高橋は普通に答えている。仕事帰りにキャバクラに通うのが普通だと思っているようだ。


「どうして? 私だけを愛してるんじゃないの?」

「そりゃあ、愛してるよ」


 高橋は誓っていた。それでも愛しているのは亜希子だけだ。不倫なんて、絶対にしない。だから、キャバクラの事は気にしないでくれ。


「じゃあ、もう行かないでよ!」


 亜希子はもう行かないでほしいと思い、高橋の肩をつかんだ。


「うるせぇなぁ!」


 だが、高橋は強く振り払った。亜希子は壁に後頭部を打ち付けた。だが、すぐに立ち上がった。


「痛っ! やめて!」

「もう言うなよ!」


 高橋は部屋に戻っていった。亜希子はその様子をじっと見ている。


「うっ・・・、うっ・・・」

「ママ、大丈夫?」


 亜希子は振り向いた。そこには凛空がいる。凛空は亜希子を心配しているようだ。


「凛空、大丈夫よ」


 亜希子は凛空の頭を撫でた。こんな時は、凛空の顔だけが唯一の癒しだ。だが、これもいつまでそう思えるかわからない。2人で幸せに生きるために、こんな不倫ばかりの夫の言いなりになりたくない。だから、離婚しよう。




 次の日曜日、凛空は近所の同級生とテレビゲームをしてきて、帰ってきた。その時は、いつも通りの帰宅だと思っていた。


「ただいま。あれっ、お父さんは?」


 凛空は父がいない事に気が付いた。どこに行ったんだろう。


「もういないのよ」

「どうして?」


 凛空は驚いた。父はどこに行ったんだろう。まさか、もう帰ってこないのかな?


「別れたの。いいでしょ?」

「い、いいけど」


 亜希子がそう決めたんだ。認めるしかない。


「つべこべ言わないの。もう殴られたくないでしょ?」

「うん」


 その時から、亜希子と凛空の2人だけの生活が始まった。

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