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4月6日、今日は休みだ。明日の着任式に向けて、虎次郎は体を休ませようと思い、東京を散歩する事にした。色々大変だけど、散歩をして気分を落ち着かせよう。今日はいい天気で、絶好の行楽日和だ。
「いよいよ明日が着任式なのか」
虎次郎は国立競技場にやって来た。現在の国立競技場は2020年に行われる予定だった東京五輪に併せて建設された。
だが、2020年は新型コロナウィルスの蔓延防止のため、イベントが次々と中止になり、外出が制限された年だ。東京五輪も1年先に延期になってしまった。そして、行われた東京五輪は無観客ばかりで、寂しい大会だった。だが、多くの感動を与える事ができた。それを見ていた虎次郎は、自分の努力不足を感じていた。もしのあの時、もっと努力をしていれば、自分はもっといい結果が残せて、東京五輪のサッカー日本代表になれたかもしれないのに。後悔しても戻ってこない未来に、無念さを感じていた。
その間の虎次郎は大学生だった。大学はテレビからの授業ばかりで、その間は実際に大学に行ったのは数えるほどしかなかったという。あまりにも寂しかった。どこまでこんな日々が続くんだろうと思うと、すごく落ち込んでしまった。だが、ようやく騒ぎが終わると、元の生活が戻ってきた。
「国立競技場は何度見てもすごいなー」
虎次郎は国立競技場を見上げた。何度見ても圧巻で、惚れてしまう。高校サッカーの準決勝と決勝、天皇杯の決勝戦のピッチに立ってみたかった。だけどそれは、夢のままで終わってしまった。みんな自分が悪いんだ。
「何度、このピッチに立つのを夢見た事か。でも、もう引退したんだな」
だが、自分はこれから教員として新しい舞台に立つんだ。そして、これまでの教訓を生かして、子供たちを育てていかなければ。
「だけど、これからまた頑張ろう」
と、虎次郎は思った。今度は東京スカイツリーに行ってみよう。大学生になって以来、全く行ってなかった。
「ちょっとスカイツリーに行ってこよ」
虎次郎は大江戸線に乗り、東京スカイツリーに向かった。スカイツリーへは、大門で浅草線に乗り換えて向かう。その車内で、少年を見つけた。少年はサッカーのユニフォームを着ている。その男は、サッカー少年と思われる。そのサッカー少年は、僕のようにプロになるんだろうか? もしプロになるとしたら、言いたい事がある。努力は嘘をつかないんだと。サッカーはプロになってからが大事なんだと。
虎次郎は押上駅にやって来た。ここが東京スカイツリーの最寄り駅だ。東京スカイツリーには今日も多くの人が来ている。やはり東京を代表する観光スポットだ。
虎次郎は天望デッキにやって来た。天望デッキには多くの家族連れがいる。虎次郎は彼らを見て、うらやましく思った。自分も家族が持ちたい。そして、安定した生活を、幸せな生活を送りたい。就職先で、女性と仲良くなりたいな。
「いい眺めだなー」
虎次郎は天望デッキからの眺めにほれぼれしていた。何度見ても、この景色は美しい。この景色を見て、何度夢を描いた事か。だが、その夢は終わった。努力が大事だと気づいても、時すでに遅しだ。
「思えば、初めて東京に来た時、記念に行ったっけ」
虎次郎は東京で暮らし始めた時に、ここに来て、ここから見る東京の写真を撮っていた。そして、両親に送っていた。いつか、両親と一緒にここに行きたいと思った。だが、それはかなう事はなかった。両親と絶縁になってしまった今、それはもうかなわないだろう。
「あの時、ものすっごく浮かれ気分だった。それが、選手として大成しなかった原因だったんだな」
「あれ? 杉村じゃないか?」
と、そこに1人の男がやって来た。プロサッカー選手だった頃の監督だ。去年、退任したと聞いたが、まさかここに来たとは。
「か、監督!」
「あれからどうなったんだろうと気になってたんだよ」
監督は虎次郎のその後が気になっていた。元気にやっているだろうか? 就職先は見つかったんだろうか?
「今月からいよいよ教員になります。で、明日は着任式です」
と、監督は虎次郎の肩を叩いた。新しい人生を送ろうとしている虎次郎に期待しているようだ。
「そっか。新しい人生、頑張れよ」
「はい!」
肩を叩かれると、虎次郎は気合が入った。これからもっと頑張っていかないと。
「そして、杉村の教え子がうちにやってきてほしいな」
「来るかどうか・・・」
虎次郎は少し照れていた。そんな子が出るのはいつだろう。だけど、たくさんの教え子がプロになるといいなと思っている。そうすれば、自分の名声が上がるだろう。
「頑張れよ!」
「はい!」
ふと、監督は思った。せっかく会ったんだし、これから食事でもしようかな?
「どうだい、ちょっと一緒に食事しないかい?」
「い、いいですけど・・・」
虎次郎は照れている。本当はしたくない。だけど、親しい人に誘われたら断れない。
「いいじゃないか! もう現役時代の事は話さないから」
「じゃあ、いいですよ」
2人は天望デッキを後にしたら、東京ソラマチの飲食店で何かを食べようかと思った。明日の着任式に向けて、何かの足しになるかなと思って。
監督は驚いていた。まさか、虎次郎は英語の教員だとは。体育の教員になるのではと思っていた。ちょっと意外だ。
「そっか。英語の先生なのか」
「うん。あの時、海外で活躍するようになった時に役に立つと思って勉強した英語が、こんな所で役に立つとは」
それを聞いて、監督は納得した。確かに、海外で活躍するようになると、英語は重要になってくる。それに、助っ人とのコミュニケーションをする上でも、英語は大事だ。言われてみれば、英語って、こんなに重要になってくるんだな。
「そっか。でもいいじゃん」
「そ、そうだね。だけど、プロで役立たせたかったな」
虎次郎は後悔していた。英語を海外で生かせなかったからだ。
「まぁ、そうだけど。そんなのもいいじゃん」
「うん・・・」
虎次郎は落ち込んでいた。それを見て、監督は肩を叩いた。
「まぁ、教員生活は大変だけど、徐々に慣れてくるさ。そして、出会いもたくさんあって、楽しいぞ」
「そう、かな?」
虎次郎は疑った。本当に楽しいんだろうか? まだまだ出会いには恵まれていないけど。
「やってみればわかるさ」
「家庭訪問に、遠足、社会見学に修学旅行。色んな事があるぞ」
考えてみればそうだ。学校は1年を通して、様々なイベントがある。その中も含めて、生徒と先生の距離はもっと縮まり、仲良くなっていく。これからなのだ。
「わかってはいるんだけど、教員の立場でそれができるとは」
「教員もいいもんでしょ?」
「ああ」
虎次郎は少し笑みを浮かべた。言われてみれば、教員もいいもんだな。
「俺、思ってるんだ。杉村にとって、教員は、サッカー人生のアディショナルタイムじゃないのかなって」
「えっ!?」
虎次郎は顔を上げた。アディショナルタイムと表現するとは。アディショナルタイムは、前後半の後に設けられる時間で、昔はロスタイムと言われていた。
「言われてみれば、そうだろ?」
「うーん、そうかもしれない。サッカー人生のアディショナルタイムか」
虎次郎も納得した。戦力外になって、大学を経て教員になった自分の教員人生は、サッカー人生のアディショナルタイムじゃないかって。その中で、様々な出会いをするだろう。そして、人生最高の瞬間を迎える時、試合が終わるのかなと想像した。
「考えた事、ない?」
「うん」
虎次郎は少し考えてしまった。
「まぁ、徐々にわかってくるさ。そして、新しい出会いがあると期待してるよ」
「ああ」
監督は昼食を食べ切った。虎次郎はまだ食べ切っていない。
「まぁ、これからの人生、頑張れよ」
監督は虎次郎のこれからの人生に期待していた。きっといつか、どこかでその名が知れ渡ると信じて。
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