第15話 毒舌幼馴染のチョコは少し苦め


 バレンタインデー、それは男にとって夢のような日であると同時に、悪夢のような日でもある。

 こげ茶色の塊を片手に勝鬨の咆哮をあげる猛者もいれば、空のげた箱を目の前に崩れ落ちて涙を流す負け犬共もいる。


 バレンタインデー、それは明らかに神が人間に優劣をつける日。福沢諭吉もまさか一日の間に全国でこれほどまでに差別が罷り通るだなんて思ってもみなかっただろう。




 薄らと目を開けると、見慣れた木目が俺を見下ろしている。

 布団から這い出ると、未だに底冷えする空気が俺のパジャマを内側から攻めてくる。

 立ち上がり、カレンダーを見る。そう、今日は運命の日、バレンタインデー。



 普段の俺ならば仮病でもなんでも使って学校を休むのだろうが、今の俺はそこまで愚かではない。そう、今日の俺は焦る必要がないのだ。


 ここで勘違いしてほしくないのは、焦らない=チョコがもらえるということではない。そんな簡単にチョコをもらえているのなら、俺は今まで泥水をチョコに見立てて啜る必要もなかったし、チョコを持って狂ったように喜ぶ下賤な男共を横目に血の涙を流す必要もなかった。

 そう、それは根本的な問題。チョコをあげるとか、チョコをもらうとか、そんなことを根底から覆すものだからこそ、俺は焦ることなくカレンダーの前でにんまりと笑うことができるのだ。


 カレンダー上に載っている二月十四日の文字は、赤い。左端にちんまりと並ぶその様は、まるで「今まで調子に乗ってすみません。今週はあなた方に真ん中を委ねます」と頭を垂れて他の日にへつらっているようにも見える。




 そう、本日二月十四日は、日曜日である。





 俺はもらえない。それは確固たる事実である(泣きそう)。

 だがお前たちももらえない。だって今日は日曜だもの。わざわざ休みの日にお前たちの家にまで赴いてチョコを手渡してくれる甲斐甲斐しい通い妻のような女はいない。よってお前たち下賤な男もチョコをもらうことはないということだ。何て優越感。


 仮に月曜日にチョコをもらったとしても、それはバレンタインデーのチョコではない。だって二月十五日だもん。バレンタインデーじゃないじゃん。


 ということで、俺は焦らない。何故なら俺以外のほとんどの男も、チョコを手に入れることがないからである。

 学校がないということは、チョコをもらえなかった男たちと共に咽び泣く必要もないし、チョコをもらった男たちをうらやむ必要もない。俺は悠々自適に家で休むことが出来るのだ。

 危うく高笑いしそうになったが、何とか理性で抑え込む。今ここで高笑いでもしようものなら、隣に住む某毒舌幼馴染さんがついに俺が狂ったかと救急車を呼びそうで怖いからだ。


 さて、二度寝でもしようかなとベッドに飛び込もうとするが、その前に朝食を食べておいた方がいいだろうという結論に至り、部屋を出る。冷えた床に眠気が吹き飛んで行った。



 ▼



「なんでいるんだ?」

「早く朝食作りなさいよ」

「会話が成立してないぞ」


 リビングのドアを開けると、そこは毒舌だった。



 ……雪国風に解説してみたが、それでも理解が出来ない。

 リビングには梨乃がいた。優雅にソファに座りながら、紅茶を飲んでいた。


「で、なんでここにいる?」

「朝食」

「コンビニで買うとかできないの?」

「ぶっ飛ばすぞ」

「なんで?」


 理不尽な暴力宣言に震える。まあ朝食を作るくらいなら、俺のを作る片手間に作れるだろう。

 トーストでいいかと尋ねると、梨乃は小さく頷いた。何故かまな板の上に置かれていたティーポットから香ばしい匂いと共に湯気が立ち上っていた。


「花梨ちゃんは?」

「友達の家らしいわ。暇なのかしら」

「お前もだろ」

「口より先に手を動かしなさいよ蛭が」

「蛭は手ないぞ」

「じゃあ蠢きながら私の為に朝食を作りなさいよ」

「暴君か?」


 軽口をたたきながらも、朝食を作っていく。

 ふと、こいつは俺にチョコを渡しにここまで来たのではないかという考えが俺の頭の中に舞い降りて来た。

 なんだかんだいって俺たちは幼馴染だ。幼馴染の関係ということで、巷で噂の友チョコとやらを渡しに来たのかもしれない。

 そう考えると今まで朝食をねだりに来た毒舌乞食にしか見えなかったこいつが、何だか天使のように見えてくる。


 トーストを焼き終わりテーブルに乗せると、梨乃がこちらに歩いてくる。さりげなく何か紙袋みたいなものを持っていないかと確かめるが、何もない。手ぶらだ。


 どうやらこいつは本当に朝食をねだりに来ただけらしい。何て非人道的なやつであろうか。

 それでも一応聞いてみる。チョコをもらいたいという希望丸出しだとなんか悲しいので遠回しに聞いてみる。


「そういえば、今日って何日だっけ?」

「今日? 二月十四日だけど」

「あー、そっか……二月十四日か……」

「……? それがどうしたのよ」


 爆沈。我が幼馴染は本当に理解していないらしく、トーストにイチゴジャムを塗りながら可愛らしく小首をかしげている。

 だが俺は諦めない。


「なんか、二月十四日って特別な日だったよなー……」

「……まあ、そうね」


 今度は何やら考え込む梨乃。ついに俺が言いたいことを理解したのか。

 すると梨乃は、悲しそうな表情のままトーストを頬張って、言った。


「二月十四日はキャプテン・クックが太平洋探検中にハワイで先住民に殺されてしまった日だものね……それは特別だわ」

「誰だよ」


 どうやら全然理解していないようだった。梨乃は悲しそうな表情のままパンの耳を齧った。絶対に悲しいと思っていないだろう、コイツ。ていうか、絶対に理解している。理解しているうえで無視しているのだ。

 暫くはにらみ合いが続く。先に目を逸らした方が負けだ。

 勝者は俺だった。梨乃はしばらくの間知らんぷりをしていたが、やがてため息を吐いた。


「あー、そういえば今日はバレンタインデーだったわね」

「え? そうだっけ?」

「白々しいったらありゃしないわ。それで、チョコは?」

「あるといったら嘘になるな」

「あれ、作ってないの?」

「なんで俺が作んなきゃいけないんだ、男がもらう日だろ」


 俺の言葉に、梨乃はおかしいわねと考え込む。

 どうしたんだと尋ねると、梨乃は首を傾げながら答えた。


「いや、今朝花梨が、お兄さんが余りにもチョコをもらえなかったから自棄になって自作のチョコ『俺のイチモツくん』なる傑作を作り上げたって夢を見たって言ってたから、もしや正夢じゃないのかと思っていたのだけれど、どうやら杞憂だったようね」

「君の妹、病気だよ」

「それで、俺イチくんは?」

「略すな。そんな頭おかしいチョコ作るわけねえだろ」


 なんだ、そうだったのと少し残念そうな表情を見せる梨乃。もし俺が本当に作っていたのだとすれば、どんな表情をしていたのだろうか? 

 そんなことよりと頭を切り替える。

 もう恥も外聞もない、そのまま聞いてしまえ。


「それで、お前はチョコをくれないのか?」


 そう尋ねると、梨乃はきょとんとこちらを見つめた。


「あら、欲しかったの?」

「そりゃあ、男なら誰しもほしいさ」

「ちょっと待ってね、たしか冷蔵庫の中に余りがあったような……」

「なんでお前俺の家の冷蔵庫からチョコ取り出して俺にあげようとしてんの? それ俺のだよ」

「チョコじゃない」

「アホか?」

「文句が多いヤツね。畜生の方が多少は従順だわ」

「畜生って言うなよ」


 冷蔵庫からチョコを取り出した梨乃は、そのチョコをトーストに挟みサンドイッチにして食べ始める。俺にくれないのかよ。


「欲しいなら花梨に言いなさいよ。あの子料理は下手なくせにお菓子は時々作ってるし」

「お前は作れないのな」

「コンビニで買えるのに何で作る必要があるの?」

「夢も希望もないやつだな」

「そんなもの古本屋に売っちゃったわ」

「古本屋もよく買い取ったな」


 買い取る価値があったことに驚きを隠せない。

 トーストを食べ終わった梨乃は、ちらちらと時計を確認しながら立ち上がった。


「それじゃあ、もう帰るわ」

「あれ、もう帰んの? いつもは部屋でダラダラしてくのに」

「そんな暇な身じゃないのよ」

「よく言うわ」

「じゃ、さようなら」

「はいよ」


 そそくさとリビングから出ていく梨乃の姿を見ながら、一体どうしたのだろうかと考える。


 まあ、考えたところでどうしようもないのだが。

 俺は自分の朝食を食べ終えると、食器を流しに置いて遅すぎる二度寝をしに部屋に戻ったのだった。




 ▼



 その日の夕方、俺の部屋のベランダに一つの紙袋が投げ込まれていた。

 中身を見ると、何やらチョコのようなものだった。


 隣の家の窓を見るが、カーテンをぴったりと閉められているのでその中はうかがい知れない。

 部屋に戻りチョコらしきものを見てみると、それは何だか歪な形をしたものだった。


 多分、梨乃が作ったのだろう。

 いいとこあるじゃんなんて思いながらそのチョコを口にした俺は、反射的に顔を顰めてしまった。


「めっちゃ苦いんだが……」


 毒舌が作ったチョコも本人に似て、少々苦みが強かったようだ。

 だがそれもまた一つのチョコの味だ。

 俺は残ったチョコ全てを口の中に流し込み、咀嚼して良く味わう。



 相変わらず苦い。だが、このチョコを一生懸命作っている梨乃の姿を想像すれば、心なしか、苦かったチョコが少し甘くなったような気がした。

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