第14話 毒舌幼馴染に甲斐甲斐しく看病される話

 


 目を開けると、ぐにゃりと湾曲した天井の木目が見える。

 はるか昔の壁画のようにアメイジングなうねり方を披露する木目をぼんやりと眺めながら、俺は大きく息を吐いた。ずきりと痛む頭。


「コタツなんかで寝なきゃよかった……」


 新年からついていない。そう嘆く俺を嘲笑うかのように、窓の外で雀が鳴いた。ちらりと見ると、ベランダの手すりに丸々と太った雀が止まっていた(笹の葉に止まろうとして、あまりの不安定さに慌てている)。


「だっせぇ」


 鼻で笑うと、今のお前には言われたくないとばかりに羽ばたいてくる。

 その光景が微笑ましく、つい小さく笑う。こめかみが痛んだ。

 大人しく寝とけという神からの啓示なのだろう。俺は大人しく鳩尾辺りまでずり落ちていた布団を再び引っ張り上げる。

 目を閉じ、ぐにゃりと面妖な文様が浮び上がる瞼の裏を見つめながら、心を落ち着かせていく。

 程なくすると、暖かな眠気が静かに俺を囲んでいく。頭痛が和らいでいくようだった。

 しかし、微睡みの中に揺蕩いながら、静かに眠りにつこうとしていた俺の耳に、何やら大きな足音が飛び込んできた。それも、複数。

 足音はどんどんこちらに近づいてきて、ついには俺の部屋の前でピタリと止まった。


 次の瞬間、開け放たれるドア。薄目を開けて見ると、見慣れた顔が二つあった。


「邪魔するでー!」

「邪魔するなら帰りなさい、花梨」

「おや、お姉ちゃん見てください。あんな所に天然記念物のコタツカゼヒキがいますよ。珍しいですね」

「本当だわ。馬鹿みたいにコタツの中で熟睡して風邪を引いちゃう能無しがこの二十一世紀にまだいたなんてね、驚きだわ」

「写真撮る? ネットに晒す?」

「花梨、他人をネット上に晒すのは危険だから止めなさい」

「はーい、ごめんなさーい」

「……晒すならコイツのクソダサ私服ファッションを晒すのよ」

「流石お姉ちゃん。じゃあまず何からにしよう。お、この意味のわからん英単語を羅列させただけの厨二シャツにしますか」

「お前ら出てけ」


 和らいでいた頭痛が再びはしゃぎ始めた。俺はドアの前で騒ぐ小鳥遊姉妹を睨みながら言った。


「聞きました? お姉ちゃんさん。あの人、せっかく看病しにはるばるここまで来た私たちに、出てけですって」

「ああいう捻くれた奴が孤独死するのよ、花梨。よく見ておきなさい」

「……お前ら学校は?」

「休校ですよ。ニュース見てないんですか?」

「彼、日本語わかんないから……」

「あっ……」

「いやわかるわ。何であっ、まずいこと言っちゃった……みたいな表情してんの」


 どうやら彼女たちは俺を看病しに来てくれたみたいだ。そうなのだろうか……?

 頭痛の種が増えた気がしないでもないが、まあその優しさはシンプルにありがたい。素直に礼を言っておく。


「まあ、一人で気が滅入ってたとこなんだ。ありがとな」

「おやすい御用ですよ、お兄さん。元々勝手に帰ったお姉ちゃんが悪いんですから」

「起こしたわよ。けどあなたが起きないから」

「起きるまで起こすんだよ、そういう時は。そんなんじゃいいお嫁さんになれないよ?」

「そんな格好してる花梨には言われたくないのだけれど……」


 ちなみに今日の花梨ちゃんの格好、白いホットパンツに気が狂ったのかと思うほどに裾の短い服。暖かそうなジャケットを羽織ってはいるが、それでも寒そうだ。よくそんな服を着れるものだ。ファッションに命を掛けすぎではなかろうか。チラチラと見える臍が扇情的である。あ、やばい頭クラクラしてきた。

 梨乃の言葉に、花梨ちゃんはちっちと人差し指を振る。


「お姉ちゃん、わかってないね。こういう格好してるお嫁さんが、案外旦那に尽くすからこそ、ギャップ萌えで世の男性はクラっとくるんだよ。ね、お兄さん?」

「どのタイミングで俺に聞いてんだ。俺は興味ない」


 嘘である。ギャップ萌えは最高である。旦那が風邪を引いた時にしおらしく、甲斐甲斐しく世話をしてくれるギャルママなんて涎垂ものである。

 しかし今言えば梨乃の反応が怖いので知らないふりをしておく。


「尽くすって……花梨、あなた家事全般何も出来ないじゃない」

「わかってないね〜。家事も大切だけど、一番大切なのは愛情だよ、愛情。旦那のベッドに寄り添って、心配そうな瞳で見つめるのが結局一番なの。ね、お兄さん?」

「興味ない」


 嘘である。そういうシチュはとても燃えるものがある。キュッと手を握られて、涙目で「早く良くなってね……?」なんて言われた暁には、気合いで身体の中の雑菌共を殺し尽くすくらいにやる気が出る。

 しかし今言えば以下略。


 梨乃は理解できないわとでも言いたげに肩をすくめると、手に持っていたビニール袋をコタツの上に置いた。


「どうせずーっと寝てただけだろうけど、一丁前に食欲はあるのかしら?」

「なんか刺々しいな……ていうか、お前料理出来んの?」


 俺が尋ねると、梨乃は方頬笑んで、ビニールの中身を取り出した。


「ここにア〇社長カレーがあります」

「お粥作ろうとは思わないわけ?」

「贅沢言わないでよ、これ高かったんだから」

「いやまああのカレーめっちゃ高いけれども……風邪の時はお粥でしょ……」

「蜜柑ないんですか?」

「なんで勝手にコタツで寛いでんの?」


 カオスである。もうこの部屋に色々な情報がありすぎる。


「じゃ、私カレー作りに行くわ」

「私ちらし寿司が食べたーい」

「お前の命を散らしてやろうかっ」

「きゃーこわーい」

「姉妹でじゃれ合うな。もうご飯作るならさっさと行ってくれ」

「ところであなた、本当にただの風邪?」

「変な邪推はやめろ! 本当にただの風邪だよ!」


 最近の若者はキレ症ねと呟きながら、梨乃が部屋を出ていく。

 俺はおおきくため息を吐いて、ごろんと寝返りを打った。先程から頭痛が酷い。

 そんな俺を心配したのか、花梨ちゃんが近寄ってくる。


「大丈夫ですか? お兄さん」

「大丈夫。ていうか、あんま近づかない方がいいと思うぞ」


 クスリと笑う花梨ちゃん。そして、俺の髪をぐしゃぐしゃと乱暴に撫で始めた。


「お兄さんはいい人ですねー。こんな時にも他人の心配ですか」

「いや、他人の心配というか、これで本当に花梨ちゃんとかに風邪移したら、申し訳ないからさ」

「大丈夫ですよ。私馬鹿なんで」

「自覚はあったのか」

「オイ」


 ぐいと俺の髪の毛を引っ張る花梨ちゃん。やめて頭皮が死ぬ。

 顔を動かすと、ニマニマといやらしい笑みを浮かべた彼女の顔がそこにある。

 俺の頭皮を死滅させる行為がそんなにも可笑しいのか、彼女はとても楽しそうだ。怖い。


「ていうか、今日は友達の家に遊びに行かないのか?」

「妙子ちゃんですか? なんか、ウイルスにビビりまくって引きこもってますよ」

「えらく心配症なんだな……まあ、それが正しいんだろうけど」


 花梨ちゃんは俺の髪から手を離し、ずり落ちていた布団をかけなおしてくれる。何気ない仕草にどきりとした。


「じゃあ、花梨ちゃんも梨乃も家に居た方がいいんじゃないか?」

「隣の家なら大丈夫ですよ、多分。それにお姉ちゃんがソワソワしててめっちゃウザかったんです」

「ソワソワなんかしてないわ」

「あ、帰ってきた」


 会話に割り込むように、ドアが開かれる。そこには皿を持った梨乃の姿が。どうやらカレーを作り終わったらしく、香ばしい匂いが部屋に広がる。作り終わったといっても、チンしただけなのだが。


「コイツの無様な姿を見たかっただけに過ぎないわ」

「またまた、ずっと心配そうに窓の外見つめてたじゃん。笹の葉っぱしか見えないのにね、うぷぷぷ」

「殺す」

「落ち着け」


 カレーの皿を律義にコタツに置いてから拳を振りかぶる梨乃。慌てて起き上がって羽交い絞めにする。ぐわんぐわんと揺れる視界と暖かな感触が混じり合って、なんとも言えない心地だった。


「ずっとお兄さんの家の合い鍵を取り出しては、考え込んでまた仕舞っての繰り返しだったんですよ、この人」

「殺す」

「落ち着け! 俺は何も聞いてないから!」

「メール送ろうと携帯開いて閉じて、何か思いついたかのようにコンビニにカレー買いに行って何故かクッソ高いア〇カレー買って来てニマニマ笑顔で来たんですよ!」

「殺す」

「花梨お前ちょっと黙れ!」


 ドタバタと暴れる梨乃を何とか押さえつける。先ほどから頭痛が酷い。叫んだ際にきりりと痛んだ。

 暫くの間羽交い絞めにされたまま息を荒くしていた梨乃だったが、不意にその動きをぴたりと止めた。

 そして暫く何も言わずじっとしていたが、やがて小さな声で呟いた。


「……離してくれないかしら」

「え、あ、ああ……」


 離れると、梨乃は深呼吸をして──花梨ちゃんに拳骨を喰らわせてから──コタツの上のカレーを取り俺に突き出してきた。

 カレー特有のスパイスが効いた匂いが鼻腔を擽る。


「ほら、食べなさいよ」

「おお、ホントにカレーだ」

「当たり前じゃない。レトルトなんだから」

「お前が作る飯はレトルトでも信用ならんからな……いただきまーす」


 手渡されたスプーンでカレールウと米をちょうどいい塩梅で掬い、口に入れる。

 その瞬間、口に広がる仄かな甘みと、その後に波のように押し寄せてくる熱さを伴った辛味。汗が噴き出る感覚が、急速に身体を冷やしていく。


「おお、ホントにカレーだ!」

「ぶん殴るわよ」

「今日は何も入れなかったんだな。この前はウニっぽくなるとかいう噂を聞いて俺が買ってきて冷蔵庫に置いてあったプリンたちに醤油入れまくってたのに。醤油の味しかしなかったぞあれ」

「病人に出すほど外道でもないわよ、私は」

「病人じゃなくても止めてほしいけどな」


 梨乃は静かにベッドの傍に腰掛けると、俺の顔を見上げた。


「熱、測ってみたの?」

「朝な。七度九分だったわ」

「今測りなさいよボンクラ」

「はいはい」


 体温計を使い、熱を測ってみる。

 気まずい空気が流れるのも一瞬、すぐに乾いた機械音が鳴り響く。

 七度五分。少しだけ下がっていた。この調子なら明日には平熱に戻っているだろう。

 しかし梨乃は、体温計を持って心配そうに眉根を寄せた。


「まだ微熱ね……」

「別にこれくらいなんてことないさ。明日には治ってる」

「そうだよ、お姉ちゃん。心配しすぎ。それより漫画取ってくんない?」

「お前はもうちょっと心配しろ」


 ぐでーっとコタツに身を任せている花梨ちゃん。俺の言葉に、うるさそうに耳を塞いでコタツの中に潜り込んでしまった。猫か。


「じゃあ、今日は帰るわ。さっさと寝なさい」

「へいへい」

「冷蔵庫にポカリあるから、喉乾いたらそれ飲むのよ」

「なに、今日はえらく甲斐甲斐しいな? なんかいいことでもあったの?」


 その質問に、梨乃は軽く俺を睨みつけてくる。しかしすぐに俺の部屋が散らかっていることに気づき、コタツの上やら床の上に散らばっているゴミを片付け始めた。今日は本当に優しい幼馴染である。

 あれ、毒舌じゃない梨乃ってただの美少女幼馴染じゃね?

 梨乃にトキメキを感じていると、梨乃はこちらを向いて自信に満ちた表情で言い放つ。


「別に、大したことないわ。ただ弱ってる相手を痛めつけるのはフェアじゃないからね」

「何そのプライド」


 ふふんと胸を張る梨乃。コタツから顔を半分だけ出した花梨ちゃんが呆れた目で彼女を見ている。

 床に落ちているゴミを拾うために屈んだ梨乃は、小さな声で「それに──」と続けた。


「あなたがいないと、何しても楽しくないもの」

「…………」


 それだけ言うと、ゴミを捨て終わった梨乃は、コタツの中にいた花梨ちゃんを引きずり出して部屋から出て行ってしまった。


 静寂が部屋を覆う。彼女たちが階段を下りていく足音だけが、等間隔で伝わっていた。


 大きく息を吐く。


「あっつ……」


 熱だろうか? 






 ──それとも。

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