第10話 小鳥遊花梨について 中編
目覚めは最高だった。
何故かはわからない。ただ、俺の心の底から楽しさが溢れてきて、年甲斐もなく早朝の五時に飛び起きるという結果になってしまった。
窓を開けると、早朝特有の爽やかな空気が雪崩れ込んできて、俺の部屋の濁った空気を追い出していく。
ちらりと見えた隣の家の窓を見て、思い出した。
そういえば、今日花梨ちゃんとデートだった。
「……いや、デートだから楽しみで早く起きたとかじゃないから……」
誰に対してかよくわからない言い訳を済まし窓を閉める。
確か待ち合わせの時間は朝の十時だ。あと五時間何をして潰そうか。とりあえず漫画本を手に取って、俺はそんなことを悩み始めるのだった。
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目を開けると、視界いっぱいに白黒の漫画が広がっていた。
まさか転生で漫画の世界に!? と思ったがそうでもないらしい。先ほどから俺の鼻腔を紙の独特な匂いが擽っている。
手を顔に乗せると、何かが乗っている。見ると、漫画本だった。どうやら俺は二度寝をしてしまったらしい。
時計を見る。十時十分。
「……転生ってことで何とかならないかな」
全然ならなかった。
大遅刻になりそうな予感だった。ていうか、もう遅刻だった。
急いで支度を済ませ家を飛び出る。時計を見ると十時二十分。走ればあと五分で間に合いそうだ。
どうせ遅刻なら周りの景観を楽しみながら歩くのもよかったが、そんなことをすれば花梨ちゃんに殺されそうなので出来る限りの全力疾走で目的地に向かう。
駅前の時計塔の前には、むすっとした表情の花梨ちゃんがいた。
ベレー帽みたいな帽子にシンプルなベージュ色のワンピース、大して寒くもないのに肩にかけているショールが目についた。男の俺にはよくわからないファッションだった。多分お洒落なんだろう。
花梨ちゃんは俺に気づくと、更に頬を膨らませる。とても可愛らしいが、今はその可愛らしさに溺れるわけにはいかない。
「遅いですよ、お兄さん! 今何分だと思ってんですか! 二十六分ですよ、二十六分! 初デートで遅刻とかありえないです!」
「待て花梨ちゃん。よく考えるんだ。二十六分だと四捨五入で十時だ。よって俺は遅刻じゃない」
「ふむ、なるほど。それなら遅刻じゃありませんね──って、そんなわけないじゃないですか! 遅刻も遅刻、大遅刻ですよ!」
「いや、ほんとごめん。二度寝しちゃってさ」
「む、何ですかその普通の理由……。まあいいです。お昼奢ってくれたら許してあげます」
ぷんすかと怒っている花梨ちゃんを何とか宥め、デートを始める。昼飯を奢るだけで許してくれるらしい。花梨ちゃんマジ天使。
すると花梨ちゃんは急に俺の服装をじろりと見て、大きなため息を吐いた。
「あのですね、お兄さん。だぼだぼのTシャツにジーンズって……デート舐めてんですか?」
「え? ダメ?」
「ダメですよ! 何ですか、タメの友人とでも遊ぶ気だったんですか!?」
「タメみたいなもんじゃん」
「デェトでしょ! それ忘れちゃダメですよお兄さん! 気合入れてお洒落してこなくちゃ!」
そう言って胸を張る花梨ちゃん。どうやら自分の服装を見ろということらしい。
「うん。まあ花梨ちゃんの服もいいんじゃない?」
「謎の上から目線! 何この人怖い! 自分の服装棚にあげちゃってる!」
「まあ、ともかくデート行こっか。ちなみに俺全く計画立ててないから、よろしく」
「お兄さんって絶対レストランで割り勘とか言っちゃうタイプの男の人ですよね」
「何言ってんだ。俺はレストランに行く時は大抵財布を持って行かないから全部払ってもらうタイプだぞ」
「思ってた以上に最低さん!」
両手を上げ降参ポーズを見せる花梨ちゃん。この子のオーバーリアクションは見ていて飽きないものである。
「それで、まずはどこ行くの?」
「え、ああ。うーん……私もてっきりエスコートされるものと思っていたので、考えてないんですよねー……」
ちらりと、こちらを恨めしそうに見る花梨ちゃん。半眼になった顔も可愛らしい。というか、ギャルみたいな見た目と相まって何故か色気が出ている。
「まあ、デートと言えば映画でしょ。映画館行こっか」
「……ありきたりなチョイスですね……まあいいです。行きましょう」
「俺ジョーカー見たい」
「それデートでチョイスします!? こわっ!」
割とドン引きしてるのか、少し俺から距離を取る花梨ちゃん。いいと思うんだけどな、ジョーカー。いや、確かにデート向けじゃないけども。
「まあ映画だったら大体なんでも面白いだろうから、行ってから決めたらいいでしょ」
「……なんか今日一番まともな台詞ですね。じゃあ、行きましょうか。映画見た後はそのダッサイ服装を何とかするために服屋さんに行きましょうそうしましょう」
「はいはい。仰せのままに」
映画館へと歩き出す。しかし数歩歩いて横を見ると、花梨ちゃんの姿がない。
振り向くと、彼女はその場から一歩も歩かずにこちらを見ていた。
「……何してんの?」
「……お兄さんは、本当に女心がわかってないですね」
「どういうこと?」
ゆっくりとこちらに近づいてくる花梨ちゃんを見ながら、俺は内心首を傾げた。今の数歩の間に彼女は俺の女心の無さを再確認したというのだろうか。だとすれば、一体なんでそれがバレてしまったのだろうか。
花梨ちゃんは俺の前まで来ると、腰に片手を当て、もう片方の手で俺をびしりと指さして厳しい声で言った。
「普通デートと言ったら、手を繋いでいくもんでしょーが!」
「……いや、デートっていっても、友達に見栄を張るための、いわば疑似デートなんでしょ? なら別にそこまで本格的にやらなくても……」
「シャラップ! お兄さんは黙ってその手を差し出しとけばいいんですよ!」
「はいはい……ほら」
「どうもどうも」
手を差し出すと、上機嫌な言葉とは裏腹に、ちょっと躊躇したような動きで花梨ちゃんがその手を握った。花梨ちゃんの手はふわりと暖かく、距離が縮まったので心なしかいい匂いまでしてくるようだった。
「さ、行きましょうか! あ、そうだそうだ、写真撮っときましょうね」
「え、これ撮るの?」
「当たり前じゃないですか! ほら、ちょっとこっちに寄ってください!」
俺の手をぐいと引っ張った花梨ちゃんは、繋がった俺たちの手を自らの頬にそっと当てて、そのままもう片方の手を高く掲げ携帯で写真を撮った。
「ほら、可愛い!」
「はいはい、可愛い可愛い」
「む、何だか反応が悪いですね。まあいいです、行きましょうか」
手を繋いだまま、俺たちは歩き出した。その何とも言えない距離感に謎のこそばゆさを感じてしまう。
ちらりと横を見れば、嬉しそうな表情で写真を見ている花梨ちゃんの姿。
その横顔に何処かの毒舌幼馴染の影を見出して、俺はそっとため息を吐くのだった。
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結局ありふれた感動モノの映画を見た俺たちは──しっかり泣いた後──少し休むためにとある喫茶店で駄弁っていた。
「さっきの映画すっごいよかったですね~」
「なんか年甲斐もなく感動しちゃったわ」
「む、お兄さん、感動するのに歳は関係ないですよ! 感動したいときにするのが人間というものです!」
「お、何だか見た目にそぐわず哲学的なことを言いよる」
「見た目にそぐわずってなんですか……」
運ばれてきたコーヒーをちまちまと飲みながら、俺は外を見た。昼時なので通りは人であふれている。こんな中を今から歩くのかと若干げんなりしていると、ウエイトレスが何かを運んできた。
見ると、座っている俺と同じくらいの目線の高さまであるパフェがどんと置かれていた。
花梨ちゃんは舌なめずりをしながらそのパフェにスプーンを刺した。そして、そのまま輝くような笑顔でこちらを見た。
「あ、そういえば昼ご飯奢ってくれるんでしたよね?」
「悪魔かな?」
「小悪魔と言ってください」
パシャリと写真を撮った彼女は、そのままもぐもぐとパフェを食べ始める。可愛らしい顔で食べるんだなーなんてことを思いながら、俺もスプーンを突き刺した。
口に運ぶと、仄かに甘いクリームの味が広がっていく。
いつも食べてるクリームよりも甘いと感じるのは、値段が高いせいか、はたまた目の前で満面の笑みを浮かべている彼女のおかげか。
まあ、わからなくてもいいか。
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