第9話 小鳥遊花梨について 前編


 とてもくだらないことを言ってみよう。

 俺の幼馴染、小鳥遊梨乃の妹である小鳥遊花梨のつむじは左巻きである。

 くるりと、まるでカタツムリの殻のように美しい左巻きのつむじは、見ているだけで魂が抜かれそうになるほどに美しい。不自然なほどに明るいその髪はとても柔らかそうで、目の前に座っている俺の鼻腔を先ほどから何やらフローラルな香りが攻撃している。

 詩的な表現を終えた俺は、ふうとため息をついて、微動だにしない花梨ちゃんのつむじを眺めた。

 そう、俺は幼馴染である小鳥遊梨乃の妹こと、小鳥遊花梨ちゃんに土下座をされているのだった。

 何故こうなったのだろうか……。



 ◆



 事の発端は、何を隠そう俺の家に突然やってきた花梨ちゃんだった。

 何やら真剣そうな表情をして俺の部屋に入ってきたその姿に、俺は度肝を抜かれた。

 何故なら、俺の記憶の中の花梨ちゃんと目の前にある姿が全くといっていいほどに異なっていたからである。

 俺の記憶の中の花梨ちゃん(数年前である)は、梨乃と同じく艶やかな黒髪に、化粧を施していない健康的な顔だったはずだ。

 しかしどうだろう、今俺の目の前にいる少女は、髪は不自然に明るく、その顔はナチュラルとはいえふんだんに化粧が施されている。長い睫にうるうるリップ。

 その瞬間、俺の中にいた花梨ちゃんは死んだ。


 衝撃を受けた俺をよそに、花梨ちゃんは近くのクッションに座った。ショートパンツから覗く生足が眩しすぎて、俺は目頭を押さえた。もしかすると、じわりと滲み出た涙をもみ消すためだったのかもしれない。

 しかし、驚くのはそこだけではなかった。むしろ、そこからが真の驚愕ポイントであったのだ。

 ぴたりと正座をした花梨ちゃんが、そのまま流れるような動作で土下座をしたのだった。


 いや……どういうこと? 


 花梨ちゃんの急な奇行に何も言えない俺は、ただただ彼女のつむじを眺めることしかできなかった。

 そして、場面は最初に戻る。



「あのー……花梨ちゃん?」

「はい、なんでしょう」

「いつまでその恰好続けてるつもりなの? あと、なんで土下座してるの?」

「おっと失礼、私としたことが肝心の内容を伝え忘れていました」


 若干チャラくなってしまった花梨ちゃんの格好だが、性格は全く変わっていないらしく俺の記憶のままの口調で顔を上げた。

 相変わらずチャラい見た目になったなぁ……。


 ちなみに今日の花梨ちゃんの格好は肩だしトップスにショートパンツである。非常に目のやり場に困る。

 視線をうろうろとさせていた俺は、このままでは不審に思われると、彼女の脚に視線を固定した。


「あの、なんで脚ばっか見てんですか?」


 すると、上から届く困った声。

 しまった、これじゃあ脚フェチみたいじゃないか。


「いや特に意味はない。それで、内容って?」

「あ、はい。実はお兄さんにお願いしたいことがありまして」


 姿勢を正した花梨ちゃんは、こちらをまっすぐ見て、はっきりと言った。



「私と、デートしてくれませんか?」











 勘違いしてほしくないことがある。

 小鳥遊花梨は別におかしな子ではない。むしろ真面目で気が利く、いうなればクラスに一人はいる明るい感じの女の子なのである。

 決して姉の幼馴染である男を捕まえ「デートをしてくれ」なんて宣うような破廉恥な子ではないのだ。


 聞き間違いをしたと心で結論付けた俺は、咳ばらいをして再び花梨ちゃんに尋ねる。


「えっと、ごめん。ちょっと聞こえなか──」

「私と明日デートしてくれませんか?」



 遮られた。めっちゃ本気だった。

 え、何この子暫く見ない間にこんなんになっちゃったの? 

 そういえば今じわじわと来たけど見た目がめちゃくちゃ変わっているじゃないか。なんだこのギャルのファッションは。


「えっと……まず、理由を聞いていいかな」

「話せば長くなります。具体的には明日の午前二時十八分くらいまで」

「三秒でよろしく」

「友達に見栄を張って彼氏の存在を仄めかしてしまいました」

「よろしい」


 人間、素直が一番。

 しかし、数年前までは女の子らしいメルヘンな格好でおままごとをしていた花梨ちゃんが、今では友達と彼氏について話すなんて、なんだか可愛らしいではないか。もしかして梨乃もこんな時期があったのだろうか。


「友人が『高校生にもなって処女なんてありえないよねー』と言ってきましたので、つい『そうですねぇ』と戯れてしまい……」


 前言撤回。可愛らしいを通り過ぎている。


「えっと、ちなみにそれはどんな友人なの?」

「妙子ちゃんですか? この子です」


 携帯を見せてくる。ロック画面には、プリント倶楽部なるもので目を大きくする代わりに顔の細さを犠牲にしてしまった花梨ちゃんが、それでも健気ににっこりと笑ってこちらを見ていた。そして彼女の横に、同じくモンスターになった妙子ちゃんとやらが立っている。

 まあ、ギャルだった。

 金髪で派手で、色々とすごくて……。

 言うまでもなくギャルだった。

 ということは、花梨ちゃんのこの格好は、その友人たちが色々と彼女に吹聴した結果なのだろうか。だとしたら許せん。いや、この服装に関してはありがたいのだが。


「随分と……その、個性的な友人なんだね」

「でしょう、私の自慢の友人です」


 えっへんと胸を張る花梨ちゃん。こういうところは年相応で可愛らしい。


「それで、デートだっけ? なんでまた俺と」

「私の近辺にはお兄さんしか異性がいないんですよ。私に父とデートしろとでも?」

「そういえば女子高だったね……って、合コンとかしないの?」

「妙子ちゃんが嫌がるので出来ないんです」

「なんだ、そんなギャルみたいな恰好してるのに合コンは嫌なのか」

「こんな格好のくせして深窓の令嬢らしくて、異性との付き合いをとても大事にしているそうです」

「いいことじゃん」

「あまりにも異性と接したがらないその貞操帯ぶりから、彼女は裏で妙子ではなく貞操帯子ちゃんと呼ばれているのでした」

「やめて差し上げろ」


 普通にイジメである。ていうか異性と付き合ったことないんだったらこの妙子とやらも処女じゃないか。なんだけしからんありがとうございます。

 俺の言葉に、花梨ちゃんはくすりと微笑んだ。


「機会があれば、お兄さんにも会わせてあげますよ」

「えー……別にいいよ」

「そんなこといって、妙子ちゃんがお嬢様って聞いた時、目がキラキラしてたじゃないですか」


 バレてたー。


 まさか俺が、普段はギャルっぽいけど実はお嬢様な女の子萌えなのを見透かしていたとは、花梨ちゃんおそるべし。


「後でお姉ちゃんに言っときますね」

「待てそれはおかしい」

「何がおかしいんですか。浮気は報告ですよ」

「いや浮気っていうか、まだ付き合ってないから」

「まだ? ということは後々……」

「…………忘れてくれ」



 普通に口を滑らした。



「ていうか、まだ付き合ってなかったんですね。てっきりもう懇ろなのかと」

「なんで? むしろいつも毒舌ばっか吐かれてるよ」

「ふーん、けど、この前デートとかしてたじゃないですか。夏祭りも一緒に行って」

「デートじゃなくて買い出しだし、夏祭りは成り行きでだよ。別に色っぽいことなんてなかったしね」

「お姉ちゃん、わくわくしながら準備してたんですけどね」

「…………聞かなかったことにしておく」


 後でバレた時、俺が殺されそうだ。


「なんだか話が脱線してしまいましたけど、とりあえずデートしてくださいね」

「いや、俺はいいけど……花梨ちゃんは大丈夫なの?」

「何がですか?」


 きょとんと首を傾げる花梨ちゃん。可愛い。


「いや、梨乃とかがうるさそうだし」

「お姉ちゃんが? 別に何も言わずに出ればいいだけじゃないですか」

「あ、そうね……」


 この前、梨乃が花梨ちゃんは内弁慶だと言っていたが、案外本当のことなのかもしれない。


「ということで、明日の朝十時に駅前で集合で!」

「え、普通に隣同士なんだし朝合流していけばいいんじゃ?」

「わかってませんねお兄さん。こういうのは待ち合わせするからいいんでしょーが!」


 見栄からくるデートの割には、色々とあるらしい。


「まあいいけど。じゃあよろしくね」

「よろしくです! あ、写真とかいろいろ撮ると思うので、格好とかしっかりしてってくださいね」

「はいはい……」


 花梨ちゃんは満足したのか、さっさと帰ってしまった。

 何だかどっと疲労感が俺の肩にのしかかってくる。激しい運動をした後のような倦怠感だ。


 ごろんと寝頃がった俺は、ふとある事実に突き当たった。


「写真撮ったら、梨乃にバレるんじゃね?」



 そんなこんなで、幼馴染の妹とデートをすることになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る